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目が覚めると王宮の、いつもの部屋でいつもの侍女がいた。
わたくしに気がつくと涙目で無事を安堵してくれる。
「アリー、あなたのほうこそ無事でよかった」
「はい、なにやら甘い匂いの薬を嗅がされて意識を失っていただけですので。私どもよりも姫様がご無事で本当によかったです」
「どうなることかと思ったけど。王都からそんなに離れてなかったのよね」
「ダーマッド様のおかげですね。何もかも取り仕切られて一睡もされてないはずですよ。あのように取り乱した姿は初めて拝見しました。姫様のことが本当に大切でらっしゃるのですね」
「……は?」
そんなわけない。あるはずもない。この侍女のアリーだって知ってるはずだ。わたくしとダーマッドの仲が悪いことを。
いつも落ち着き払ったダーマッドが取り乱すなんて、ありえない。
…でも、もしかしたら、ほんの少しでも心配してくれたのかしらと期待しそうになる。
本当はわたくしだって、ありがとうって素直に言いたかった。助けに来てくれて嬉しかった。
ため息しか出ない。自分が情けなくて。
期待するのはもう諦める、ずっと前に決めたのだから。
「きっと自分の首が心配だっただけですわ。王女を拐われるなど王国を守る騎士として失格でしょう?」
「まぁ姫様ったら。ふふ。ダーマッド様に救出されて安心して寝てしまったのでしょう?こちらまでずっと姫様を抱っこしたまま連れ帰ってくださったのですよ?ダーマッド様に姫様の目が覚めたことを伝えて参りますね」
「え、どうしてですの?」
「事情聴取、というものらしいですわ。ちゃんとここでお待ちになってくださいね」
「え、ちょっと、まってアリー」
にんまりとした笑顔でアリーが部屋をすささと出ていく。いや、本当にまって。
わたくしの見た目、どーなってますの??
鏡、姿見…!あーもう!ベッドから遠いですわね!髪がぼさぼさですわ!ブラシはどこかしら?化粧はもちろん落としてくれてるのね。つまりスッピンですわ。
これでどうやってダーマッドに会えと?
ダーマッドの腕の中で、眠ってしまったなんてひぇぇ!とんだ大失態ですわ!お姫様抱っこですって?えぇあの逞しい胸にしっかりと抱きあげられて馬に乗ったのは覚えてる……。昨夜はジェラルドが一緒の部屋にいたせいで一睡もできなかったからぼーっとしてて……あぁもうっなんてもったいない!
よだれとか垂らしてないかしら?いびきとか寝言とか大丈夫だったかしら??
あーーーー!!!アリーったらせめて身だしなみをしてから……
鏡の前でおろおろしているとアリーに連れられたダーマッドが失礼します、と部屋に入ってくる。
「姫様ったらベッドでお待ちになるよう申し上げましたのに。ガウンをお持ちいたしますね」
しまった!ネグリジェ!こんな格好を見られるなんて!
「アリー殿、私は構いませんよ。少し話を聞いたらすぐ帰りますから」
いつもの柔らかな笑顔でダーマッドが立ったまま言った。
「そこはわたくしが構うんですわ!乙女心のわからない田舎騎士はこれだから!」
ガウンもだけど扇子が欲しいところ。でもネグリジェにはおかしいから、両手で顔を覆うしかない。だって多分顔が真っ赤だ。
「ダーマッド様。お茶くらいご用意いたしますからソファにお掛けくださいね。さぁごゆっくり」
アリーに勧められてダーマッドがソファに腰掛ける。アリーはにまにましたまま多分お茶の準備に行った。
ダーマッドは助けに来てくれた時と同じ黒い騎士服のままだった。休憩は取っているのかしらと心配になる。
彼の騎士服は黒い詰襟のチュニックに黒いロングコート。これは略式なので申し訳程度に金色の模様が刺繍されているがそのシンプルさがいい。
この制服は本当に殿方を凛々しく魅せてくれる。
ダーマッドは背が高すぎず細いながらも逞しい体躯をしていた。スリムなわりに肩幅がしっかりとあり、足は細く長い。
スタイルがとてもいいからこの騎士服が本当に似合う。
貴族のご令嬢方には「スタイルの無駄遣い」「後ろ姿は最高」などと陰口を叩かれていた。それはダーマッドにそのまま伝えておいた。女性にはモテないようだ。ふふんだ。
「華やかさゼロ」とか「顔が地味すぎ」とかご令嬢方が蔑みの言葉を吐くたびに逐一ぜーんぶダーマッドに伝えた。彼はいつもやんわりとした笑顔で、なんとも思ってないようで「その通りですね」と頷くばかりだったが。
逞しい腕に抱き上げられた感触を思い起こす。細く見えるのにしなやかな筋肉がしっかりとついていた。お姫様抱っこされてたなんて…顔が熱い。
ぶりっ子のようだが顔を覆ってスッピンなのと赤いのを隠しとおすことにする。わたくしは家族やジェラルド以外に殿方と接触したことがないのだから男性に免疫がないのは仕方ない、そう自身に言い訳をする。
「ジェラルド王子のことですが」
ダーマッドは、何故だかいつもよりもにっこりとしているような?
「愛するあなたを助けに来た、と言っているのですがそういうことで間違いないですかね?」
やはり割増の笑顔でそう訊ねる。そういうこととはどういうこと??
「そんなこと、言っておりましたわね。そういえば」
「つまり二人で申し合わせての駈け落ちということですね?」
「え?は?なに…」
わたくしがぽかんとしているのを肯定と受け取ったのかダーマッドが首を横に振る。
「できませんよ。そんなこと。国王の命令に背くなどあってはなりませんからね。グィネヴィア王女殿下。いくら私との結婚が嫌だからといって」
「まって、違うわダーマッド……聞いて、あの」
ちょっとどこからつっこんだらいいのかしら全部よね?えーと、
「国同士のいさかいで引き離された婚約者、というのはお可哀想なことです。しかしジェラルド王子が直々に助けに来るほどおふたりが愛しあっていたとは存じませんでした。王子はそこら辺にはいないような美男子ですから忘れ難い気持ちはわかります。まぁあなたも見た目は美人ですしね」
美人?今ダーマッドがわたくしのこと美人って言いました?え、うそ。今のとこもっかい言って?ふわ、口元がわなわなする。顔を覆っていてよかったですわ。じゃなくて。
「彼らは仕立屋と入れ替わってこの王宮に入り込んだようですね。花嫁衣裳はもう元々用意したものにしましょう。ドレスだってうちの母が気にしていただけなので。母には私から説明しておきます」
ダーマッドは膝頭に肘を付いて、こちらをじっと見上げた。笑顔は消えていた。
「グィネヴィア王女殿下、婚儀までは私の許可のない外出は禁止します。誰かと会う際も必ず私に確認を取ってください。知らない者とは接触しないよう、あ、アリー殿も注意してくださいね?」
「畏まりましたダーマッド様。お任せください!」
ティーセットを持って戻ってきたアリーが元気良く返事をした。
「え?ちょっとまって、どうしてわたくしの行動をダーマッドごときが制限できますの?」
「まぁ姫様、もうすぐ姫様の旦那様になるお方ですよ。当然です。ダーマッド様がどれほどしん…」
ダーマッドが目配せするとアリーは慌てて申し訳ありません、とお茶を置いて壁際に控えた。
「国王陛下からもそう言いつけられておりますので。どうしてもお出かけになりたい時は私を呼んでください。私の護衛を一人こちらに控えさせておきます」
お茶を美味しそうに飲むとダーマッドは入口の護衛に頼んだぞ、と声を掛けて部屋から出て行った。