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昼過ぎ、辺境伯邸周辺が賑やかだ。
窓から外を見ると立派な騎士たちが出陣するかのように次々と邸を出立している。
あれは……たしか青揃隊ではないか?
鎧は纏っていないが、白地に青い縦縞の、遠目にも目立つマントは一度見たら忘れない。屈強な男たちが綺麗に隊列を組んだまま馬を走らせている。
近くでは泥だらけの姿しか見ていなかったから、ずいぶんと華々しい姿に少し驚く。
「中々来ないから探しに行かせたのですよ。隠密も辺境警備隊もそんなに暇じゃないですからね」
後ろから凛とした女性の声が聞こえる。
辺境伯の奥方は実質ここの領主で、国王、将軍に次ぐ権限を持っている。彼女が青揃隊を出したのであれば誰からも文句はないだろう。
「私も様子を見に行きましょうか?」
「いけません。結婚式まではみっちり花婿修行ですよ。ダーマッド様」
にっこりと有無を言わせない笑顔で宣告される。
花婿修行なんて聞いたことがない……
朝の会議?の後、私の大声に怯えた王女を部屋に連れて行って、サロンへ戻ったら全員からこんこんと説教された。
あれでは王女が可哀想だ、酷すぎる、王女の扱いを学ばないといけない……等々。
私が王女の目元につい、キスしてしまった……ら彼女はぐったりと意識を失ってしまった……。
ベッドへと寝かせると呆れ顔のアリーにサロンへ戻るようにと促されて、説教だ。途中から戻ってきた奥方にもこんこんと。
言い訳がましいが、王女の涙に、本当は頭を撫でるとか、宥めて差し上げたかったのだ。
両手が塞がっていたし、できれば頬をすりすりとしたかった……のだが、控えめに涙の溢れた所に唇をそっと当てた……だけ、
そこまで言ったら全員が項垂れて溜息をついた。
正直、自覚とかどうこう言われても何をどう直すべきかさっぱりわからない。
何故か皆、肝心の知りたい部分になると言葉を濁す。
アリーの、三年分くらいの成分が一気に来たから容量オーバーなんです!との訴えに皆はうんうんわかる可哀想に、と頷いているが、私にはさっぱりわからない。三年分の、何の?そこをきちんと教えて欲しいのに。
私が理解出来るようにと、いろんな喩えを出してくれたが
『生まれたての子兎の前に、この世でいちばん凶暴な狼が牙を剥いている』
というのが全員納得、らしい。
私が凶暴な狼?この世でいちばん?グィネヴィア王女から見た私はそんななのか……?愛らしい王女が子兎というのはよく分かる。狼というのが女性を狙う男のことだとは、分かる。
が、私は一応子供の頃から騎士の心得として婦女子には優しく接するよう叩き込まれたし実際そうしてきた。
王女には、先ほどのキスはやり過ぎたとは思っているが、婚約するまでずっと手を触れたことすらないし、紳士的に振る舞ってきたつもりなのに。
いや、もうすぐ結婚する、婚約者なのに触れる程度のキスさえ駄目なのだろうか……。
ずっと王女ひとりを思い続けて、やっと側にいることが出来る立場を手に入れたというのに。
なんでなんだ……ショックというか、もう、私が泣きたい。
「少しずつ、少しずつ慣らすのじゃ、ダーマッド。散々色男を見てきた妾でさえ耐えられぬものを、どうしてあの清純そのものの王女が受け入れることが出来よう?一気に事を為そうとするでない」
タマル女帝が親身な面持ちで優しく話し掛けてくれる。が、
「だから何が耐えられないんだ」
知りたいのはそこなんだ!
「それはもう、あれこれじゃ!」
なげやりだな!ジェラルドが何か言いたそうにして、口元を手で押さえる。言え!
「タマル様のおっしゃる通りですよ。ダーマッド様」
奥方が優しく諭すように続ける。
「何をおっしゃってるのかさっぱりわからないんです、本当に」
「まぁ、……そこは置いといて」
置いとくのか。奥方も言葉を濁すのか。
「少しずつ王女に近寄るのです。凶暴な狼でも距離感を間違えずに少しずつ、段取りを踏んで接すれば子兎だって、だんだんと慣れて安心して側にいることが出来るかと」
どのくらい、どんな風に王女と接して行くべきか、というのが私の『花婿修行』ということらしい。
結婚式までに、王女が私を受け入れてくれるだろうか。あと一週間とちょっと。間に合うのか……。
ジェラルドが満面の笑みで「間に合わなかったら初夜はお預けだね」と耳元で囁いてった。くそ。
もとより無理強いするつもりはなかったのだが、「それはそれで駄目過ぎる。グィネヴィアがマジで可哀想」と言われた。だからそれがわからないんだ!なんなんだほんとに!
ハーラとアリーが懇切丁寧にどの服を着るべきか、組み合わせや色遣いなどを教えてくれる。
どれもきちんと感のある、落ち着いた渋い色味のもので露出の一切ない服ばかりだ。黒が好きなのだが詰襟以外は駄目とのこと。攻撃力が高すぎる、て何のことだ?
嬉しかったのが、王女の好きなものや好みをアリーが教えてくれたことだ。
贈り物をしたい、と告げるとお菓子ならパレル通りのジュアンさんとこのエッグタルト、とか花なら白かピンクの、香りの優しいふんわりしたもの、今なら芍薬がいちばんお好きで薔薇でもいい、などと詳細のメモを書き出してくれた。
こういうはっきりとどうしたらいいか、を伝えてくれるととても助かる。
「ダーマッド様からならその辺の花でもカードでも、何でも喜ばれるとは思いますけどね」と始めは言っていたのだが困惑顔の私に呆れていた。
何でも、と言われても女性の好むものなどさっぱりわからない。王女に贈り物が出来るなど私には夢でしかなかったのだから。王女が喜ぶというならなんでも贈りたい。
「宝石なら、どんなものがお好みか、分かるか?私から贈っても大丈夫だろうか……」
宝石、の単語にアリーの瞳が輝いた。横で聞いてるハーラも最高の笑顔だ。ふたりでああだこうだと言い募り、結局奥方やタマル女帝まで巻き込んで盛り上がっていた。私は蚊帳の外だ。
仕方ないのでなんだ、なんの盛り上がりだと寄ってきたジェラルドと一緒に見守ることにする。
「ジェラルドはグィネヴィア王女殿下に贈り物をしたことがあるのか?」
「聞いたらむくれるくせに」
とニヤニヤしている。まぁ、たしかに。
「むくれる、けど、何を喜んだかな?て」
「そうだなぁ」
ジェラルドが顎に手を当てて思案する。
「私からじゃ特に、かなぁ?何でも喜んでる素振りはしてたけど……そもそも物欲がなさそうだよね。王女だから何でも手に入る環境だけど、彼女はちょっと違うし」
「あぁ。何でも買い与えてくれるような親ではないな」
国王がケチだから、というよりも堅実な経済観念のもと育てられている。財務大臣とはとても仲良しだ。たしかに無駄な出費は好まないだろう。
「なんだったかな、あぁ桃だな。白桃っていう極東原産の高級な果物を贈ったときは目をキラキラさせて食べてたな。たしかにあれはとても美味しかった」
「それはどこで手に入るんだ?」
ジェラルドが私の肩にもたれ掛かる。
「ふふ、結婚のお祝いにしとくよ。丁度季節だ。僕から愛しのグィネヴィアと最愛のダーマッドに、ね」
「気持ち悪っ」
ジェラルドはスキンシップ過剰だが、うざがって退けるほどベッタリとくっついてくる。成分が足りないとかなんとか……肩にもたれるくらいは許容しないと更に気持ち悪い事態になると、学んできた。
個人個人で距離の取り方が違うのだな。王女との距離感も、これから学んで行けるだろう。
廊下をドタドタと荒々しい足音が近付いてくる。
「お待たせ致した」
白と青のマントを翻して逞しい男達がイケメンを連れて入ってきた。ちょっと中年に差し掛かった、甘いマスクのイケメン。
「ほんと待たせ過ぎだ」「遅いよマジで。何なの?迷子なの?」「何をしておったのじゃ」「ようやくいらしたわね、さて晩御飯多目に用意しないと。あら、昼は食べたの?要る?要るの?要らないの?」
「要ります!」
一時に文句を浴びて、イケメンがあからさまに嫌そうな顔をしている。
「何なんだほんとに……こいつらには拘わりたくないってーの……」
なんだ?聞こえないぞ?




