32 番外編 将軍家のせがれ
本編の続きですが内容がダーマッド寄りのため番外編としました。
「さぁ、お飲みください」
煎じたばかりの薬湯を飲ませようと口元にカップを当ててくる。身体はソファに横たえられている。ドレスのままだが重い頭飾りは奥方の侍女が外してくれた。
「っ、自分で…出来る」
「熱いので、そのように震える手ではいけません」
後ろからジェラルドが顔を押さえると辺境伯の奥方がカップをゆっくりと傾ける。熱い、苦い液体が口に流し込まれる。むっとする匂いに吐き出したいのを堪えて少しずつ飲み込んだ。
「ジェラルド様はサロンの方へ行ってくださいませ。私が……大切なダーマッド様をいたぶる輩を受け入れるには…少し時間が必要ですので」
奥方が冷たく言い放つと輩呼ばわりされた王子は溜息をひとつ溢して素直に部屋を出て行った。
ゾエ将軍とグィネヴィア王女を追って辺境伯のところへ出掛ける、と言われた後の記憶が少し抜けている。
気がつくとジェラルドの膝の上で馬車に揺られていた。女のように横抱きにされている。気持ち悪っ!飛び退こうとして身体が動かないことに気付く。頭もくらくらとする。
「ごめんよ女神様。耳の早い連中に付け狙われているみたいなんだよね。君を巻き込むと、いいかげん僕が王女に殺されてしまいかねない。馬車でおとなしくしていてくれるかな?」
しまった。盛られた……。
「もう目覚めたか。人間用では足りぬとは。毒ではないぞ。医療用の薬ゆえ害はないが、今日いっぱい身体は動かぬ。通常の人間であれば寝ているはずなのじゃが。可愛い寝顔をもう少し愛でていたいのう」
かろうじて上半身を少し起こすと女帝が驚いている。半ば呆れた様子だ。
「まさか、そこまで動けるか。一応ゴリラ用の枷を付けておいたが用心のしすぎではなかったのう」
足になにやら違和感がある。これのことか。ゴリラってなんだ。たしかそんな動物がいたな。人間用はなかったのか。それもなんか違うな。文句を言おうとするが喋る力がない。唇が少し開くだけだった。
「そんな色っぽい顔はやめてくれ。君に危険が及ぶことのないよう、必ず守るから安心してほしい。殆ど寝てなかったろう?今寝ておくといいよ」
ジェラルドが頬を撫でながら優しく囁く。気持ちの悪さに総毛立つこともできない。寝れなかったのは誰のせいだと……。朦朧としてジェラルドの腕の中で再び意識を手放した。
次に気付いた時には、周囲に刃渡りの音が響いていた。聞き慣れた戦場の音。鳴り連なる金属の激突音、呻き声。爆音が響く。大砲とは違うけたたましさだ。戦く馬の嘶き。暴れる馬蹄の音。
馬車の中には女帝もジェラルドもいない。クッションに沈められた身体をなんとか起こして窓の外を見ると二人とも戦っている。ジェラルドの言葉を思い出す。
いや……何故私が守られねばならない。これしきの敵など自分で蹴散らせるのに!意味がわからない!
一頭の馬が、私の乗った馬車を守るように立ちはだかる。グィネヴィア王女だ。隠密の姿のままだが優雅な動きで王女とすぐ分かる。
何故王女が戦場にいるのだ!
王女にこのようなことが起きぬように私の役目があるのに!王女を守ることも出来ずに何が騎士だ……!
目が合うと王女がこちらに寄ってきた。この情けない姿を見られたくないのに、やはり王女から目が離せない。
「必ずお守りいたします。ご安心を」
目元しか見えないが黒瑪瑙の瞳が優しく微笑んでくれている。愛しくてたまらない声音に、今は悔しくて涙が溢れそうだ。
本当に、私だとばれてはいないらしい。でも、私が王女をお守りしたいのに!この場から安全なところへ連れ去りたい……!
敵の襲撃に馬を翻して駆け寄る。細く薄くしなやかな湾曲した剣が閃くと音もなく屈強な男を退けた。
王女は見たこともない武器を扱う。私の剣技とは全く違う太刀捌きに、普段なら感心するところを実戦となると心配しかできない。助けに行きたくてもがいても身体は動かず枷の重しが揺れるだけだ。
敵が散り始めると王女と、同じ格好の隠密たちは倒れた敵の始末をしつつ街道に吸い込まれるように消えて行く。
奥方の薬湯を飲んで、頭の靄が少しずつ晴れてくる。
優しく抱き締めて、幼い子供を労るように身体を擦ってくれる奥方に気持ちが弱ったのかこれまでの経緯を話した。王女を危険に晒して、守れなくて情けなくて悔しい気持ちをたどたどしく、酩酊した男の愚痴のように吐き出す。
「本当に、お辛かったですね。よくぞおっしゃってくださいました。ダーマッド様」
私が話し終えるまで、奥方も辛そうに眉尻を下げて聞いてくれた。上擦って上手く喋れない私の背中を、頭をよしよしと撫でてくれる。
「貴方だってまだ十代の子供なのですから。こんなことで情けなくなんて、ちっともありません。それを悔しいとお思いになる貴方を誇りに思いますよ。それに」
足の、枷を付けられていたところの擦り傷に薬を塗り込んでくれる。本当に、今の私はただの子供だ。
「ジェラルド様が貴方に変装をさせて動けなくした理由も今なら分かります。貴方に頼れば敵を即全滅できたはずなのに。そこだけは感謝せねば……。先程は貴方のぐったりした姿に冷静さを欠いてしまいましたが」
どういうことだろう?女装は絶対タマル女帝の趣味だ…。ていうか奥方にも前に女装させられたよね?あの時は私のことをディアンヌと呼んで楽しそうだったけど。
不思議そうに奥方を見つめると一瞬にこりと微笑んだあと真面目な顔で、両手で私の頬を包み込んだ。
「貴方は名実ともにこの国の将軍となられるお方です」
「…………」
「公に、この王国の顔となるお人なのですよ。ご自覚ください。ガラン侯爵だけでなく国王が、王妃が、王子が、国の中枢を担う者たちがどれだけ貴方を大切にしてらっしゃるかご存知ですか?」
奥方は真っ直ぐに私を見つめて、はっきりと言い聞かせるようにそう告げた。
自分はまだ、王宮騎士に成り立ての新米騎士で……。
家柄だけで将軍になるなんて、となんとなく思っていた。そういえばあのケチな国王が高級な梨をくれたりしたな。なるほど、ずいぶんと大切にされている…。なんか鼻水が……。
「隣国の、しょうもない謀……いえ、平時に、平服を着た人達を、たとえ中身が軍人であっても大義名分なしに貴方の立派な姿を晒してその力を奮っては、輝かしい経歴に傷を付けてはなりません。自分がどれだけお強いのか自覚が足りなさ過ぎます。鬼畜司令官、女神様、猛獣……貴方の規格外な強さは即刻噂になるのですよ?どこで誰が見ているかわかりません。隠密を育てる私が言うことではありませんが」
「でも、グィネヴィア王女は……」
「姫様は隠密に姿を偽っておいででした。それは、まぁ私の責任でもありますね。姫様をあんな風にお育てしたのは私と、王妃である妹ですから。それは貴方に謝らなければなりません」
ぐすり、と鼻を啜るとハンカチで私の鼻を摘まみながら申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「こんな立派な騎士が姫様を守ってくれると予め分かっていれば必要のないことでした……。しかしこういった汚れた戯れ事は私ども裏方の人間の仕事です。貴方は関わってはなりません。わかったら、今は……少し、休みましょう。ね?ダーマッド様」
見覚えのある侍女たちがドレスを脱がせて、化粧を落として身体を清めてくれる。温かい良い香りの薬湯を浸した布で拭き取ってくれるのがとても気持ちいい。
激しい眠気が襲ってくる。
まって、元の姿に戻るなら、一目、グィネヴィア王女に……会いたい……




