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国の護りの要、辺境伯の領館は華美さの全くない堅強な砦だ。
ガラン侯爵邸を思わせる歴史ある要塞といった風情。周囲は平原が広がり畑や羊や山羊のいる牧場といったのどかな田舎であるが一際高い物見櫓や頑丈な城壁、立派で大きな厩舎がここが軍事基地であることを主張している。
中のほうは住みやすく、今風に改築されているとリュシラ伯母が言っていた。先程入ったお風呂はむしろ王宮よりも快適で素晴らしかった。今いるサロンは貴族の館らしい華やかな佇まいだ。
温かいお茶をいただく。薬草茶らしく不思議な良い香りがする。などと落ち着いていると外から慌ただしい騒音が鳴り響く。馬車が城門をくぐる音に急ぎ立ち上がり窓の外を見る。
空は夕闇に包まれようとしていた。
暗がりの中、今朝方見た帝国の馬車と騎士たちが前庭に乗り付けている。
玄関の方へと急ぐ。
リュシラ伯母とその夫のローンファル伯父がすでに異国の一行を出迎えていた。普通の貴族であれば対応に困るであろう客人は奥方に任せて置けば何の問題もない。
「歓迎はしませんが無下にもできませんね。先ずは私どもの大事な人をこちらにお渡しいただけますか」
にっこりと優雅な微笑みを浮かべた辺境伯奥方の、拒否を許さない宣告に、恐らく女帝その人、がジェラルドを見やると美貌の王子は肩を竦めて馬車に戻った。
麗しのご令嬢を横抱きにして馬車から軽やかに降りてくる。美男美女でなんともさまになる光景だ。
ご令嬢を見たリュシラ伯母が驚き慌てて駆け寄った。伯母が慌てるなど、珍しい。
「まぁ!なんと……!ディアンヌ様!お久しゅうございます…なんとお痛わしい……」
ジェラルドがご令嬢を降ろすと伯母が支えるようにご令嬢をしっかりと抱き締めた。後ろからジェラルドも背中を支えている。
ディアンヌという名前なのか。まさか伯母さまの知り合いだなんて。どういう関係なのだろう?常に冷静沈着な伯母が動揺するほど大事な人、とは。
ディアンヌは、一瞬こちらを見ると、やはり悲痛な表情を浮かべて伯母の抱擁を受け止めていた。一言も喋らない。そういえば彼女の声を聞いたことがない。声がでないのだろうか?歩けないようだし身体が弱くていらっしゃるのか?
「大変でしたね、お辛かったでしょう?」宥めるように背中を優しくぽんぽんと叩きながら慈しむように話し掛ける。「大丈夫です、大丈夫ですよ。ディアンヌ様。全てこのリュシラにお任せくださいまし。まぁ本当によくぞご無事で……」
ディアンヌの頬を両手で包み込んで心配そうに顔を覗きこむ。今にも泣きそうなご令嬢をよしよしと撫でてもう一度ぎゅっと、それは大切そうに抱き締めると伯母は後方のジェラルドを睨んだ。
「ジェラルド様、お願いできますか?」
「もちろんです奥方。さぁディアンヌ」
ジェラルドが再び彼女を横抱きにするとリュシラ伯母が館へと早足で誘う。
リュシラ伯母は王宮でジェラルドとは何度も会っている。ジェラルドに抱かれたご令嬢を励ますようにずっとその背を撫でながら館へ入って行った。
残された女帝はローンファル伯父に案内されて玄関をくぐろうとしている。え?あれ?
「ダーマッド、ダーマッドは!?」
思わず、間抜けに叫んでしまった。
女帝とローンファル伯父が真顔で目を合わせる。
「姫様、ダーマッド殿は先に館へ入っております。無事ですが酷くお疲れでしたので直ぐに休んでいただきました。お知らせが行ってないようで申し訳ありません」
「さよう、ダーマッドだけ先に行かせたのじゃ。すれ違うたか?まだ遭うておらなんだのだな」
そういうとそそくさと中へ入っていった。
帝国の騎士たちは従僕に案内されて兵舎らしき建物へ入っていった。ジェラルドの豪奢な白馬を馬丁が嬉しそうに首を撫でながら厩へと引いている。
騒がしかった前庭はだんだんと静けさを取り戻していく。夜の闇が深まる。
「姫様、陽が落ちると寒うございます。さあサロンへ戻りましょう?」
呆然と立ち尽くすわたくしをアリーが手を引いて館へと歩き始める。アリーもいつもの侍女の姿へと戻っている。
「ダーマッド……無事なのね……?」
「旦那様がそうおっしゃるので大丈夫ですよ、姫様。すれ違って残念でしたね。ダーマッド様はとても大変でしたもの。お元気になるのを待ちましょう?」
アリーがわたくしの肩を優しく擦りながら応える。
ダーマッドが無事で良かった……。
そう、すれ違った。すれ違っただけなのだ。
あの底なし体力のダーマッドが酷く疲れているというのだからとても大変だったのはわかる。ゆっくり休んでもらいたい。
でもその前に一目でいいから顔を見せて欲しかった……。わたくしがここにいることを知らされなかったのだろうか?いや、そうだとしてもダーマッドには嫌われているものね……。
ジェラルドたちに捕まっている間、彼はわたくしのことをちらりとでも考えてくれただろうか?
これから女帝やジェラルドと話し合わないといけない。涙が溢れそうなのを必死に堪えてサロンへと向かった。




