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わたくし、王女グィネヴィアと侯爵令息ダーマッドの婚儀は初夏の予定だ。あと一ヶ月とない。
もともと隣国に嫁ぐようにと誂えた準備がそのまま転用された。
花嫁衣裳だけでも、と侯爵夫人のたっての希望でドレスは一から直すこととなった。
仕立屋がわたくしの部屋に通される。
王室御用達の店ではなく、侯爵家の懇意にしている仕立屋という事で全く知らない面々だ。
「グィネヴィア王女殿下、此度のご婚約誠におめでとうございますぅ」
黒い小粋なスーツを着込んだマダムが三人ほど助手を連れている。大きな長持ちから助手たちが大きな黒い布を取り出して広げていた。
え、花嫁衣裳なのに黒?
と思ったのも束の間、わたくしは猿轡を噛まされ簀巻きにされて長持ちの中に押し込められた。
どさり、どさり、と鈍い音が聞こえてくる。声を上げる間もなく侍女たちが倒されたようだ。長持ちがゆらゆらと揺り動かされる。どこかへと運ばれているらしい。
「お世話になりましたー。あ、どうもー、お疲れさまでございますぅ」
先程のマダムの声が聞こえる。落ち着いて普通に王宮から逃げおおせてるようだ。
ちょっと誰か長持ちの中身改めとかさぁ、しないかー。するなら入る前にしてるものねー。今は戦時でもないものねー。
長持ちの中は思ったよりも柔らかくクッションがきいている。運びかたも丁寧だ。一体どこの誰の仕業だろう?わたくしをさらってどんな利益がある?
この中はなんだか甘いいい香りがするわ…。
気がついたらベッドの上だった。カーテンの隙間から夕闇が見える。時刻は五時半といったところか。部屋はそれなりに美しく貴族の館であるように思えた。
「痛いところはないかい?グィネヴィア」
ランプの灯りに包まれた優しそうな顔が覗きこむ。美しい女性のように見えるが声は男性のものだ。
「ジェラルド?」
ジェラルドは隣国の王子、わたくしの元婚約者。
「ジェラルドがどうしてここに?」
「もちろん君を救うためだよグィネヴィア」
「救う…?」
「意に沿わない結婚を強いられていただろう?僕の愛しいグィネヴィア」
ああ、ダーマッドとの結婚のこと…。意に沿わない、か。ほんとうにそうね。
「僕の愛しいひと。僕の国で結婚しよう。愛しているよ」
ジェラルドが両手でわたくしの手を優しく包み込んだ。
わたくしはさっと手をはねのける。
「それは無理ですわ、ジェラルド。わたくしたちの婚約はすでに破談しておりますのよ。まだ和平の契りを交わしたばかりですのにこのような無茶はいけません」
ジェラルドの服装は仕立屋マダムの助手のものだ。この王子は正直そこらへんの女性よりも美しい顔をしている。誰も、わたくしも女装だとは全く気が付かなかった。マダムも王子の手下なのだろう。
ん?マダムを手配したのは侯爵夫人だ。まさか…。
「だって手をこまねいていると君はあの山ザルのものになってしまうだろう。そんなの耐えられないよ。僕の美しいグィネヴィア」
山ザルとは侯爵令息ダーマッドのこと。そういえばジェラルドの前でも彼をそう罵りましたわね。
「まぁ、ジェラルドがそんなにもわたくしのことを想ってくださってると知ったらお父様も考え直されるはずよ。今から王宮に一緒に願い出ましょう。わたくし誰からも祝福された結婚がしたいですわ」
いやいやいや、無茶するなぁこの王子…
王宮に連れ帰って逆に捕縛してもらおう、そう考えながらグィネヴィアはにっこりと微笑んだ。
ジェラルドが美しいだの愛しいだの言ってくれるのは隣国の王女へのリップサービスだと思い込んでいた。まさかそれほど自分に執着していたとは…。これは気が付かなかった自分の失態だ。
「うん、そうするよ。でもそれはうちの城にグィネヴィアを無事に連れ帰ってから、ね」
ジェラルドはわたくしに負けじとにっこり微笑む。
あぁ、この美人の病んだ笑顔からどうやって逃れよう…。