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救済

 ヴェルノアーガの咲かせた花は東京ドーム程の大きさにまで成長していた。

 血のような真っ赤な花弁。

 花の中心には小さな触手が生えている。

 そして、触手の囲まれた中心には白い皮に包まれ、蛹のような姿の光がいた。

 まるで光を雌しべとし、周囲の触手が雄しべのように見える。

 ヴェルノアーガは成長し、雌しべとなった光に受粉し、世界に種を蒔く。

 世界各地のこのヴェルノアーガが咲き、人々を無差別に食らう。そうすることで一気に生贄を獲得するというおぞましい計画が裏に隠れていた。

 狼鬼はその計画を全く知らない。だが、野生の勘がヴェルノアーガを生かしておけないと警鐘を鳴らしていた。


「ミツケ……タ!」


 狼鬼は光を標的に捉えるとゆっくりと進撃する。


「コロス……コロス!」


 何色にも染まらない深い憎しみの殺意。ただ、偽りの意思だけで狼鬼は光へと迫る。

 周囲の触手達は雌蕊を守らんと狼鬼に襲い掛かる。

 噛まれようと巻き付かれようと狼鬼は歩みを止めない。

 止まる必要がないのだ。触手の力など大したものではない。少し力を入れれば引きちぎれ、そうでなければ尻尾で切り落とすこともできる。

 だから、いちいち真剣に相手にする意味はない。

 まるで腕に張り付いた葉を叩き落とすように簡単に触手を処理すればよいのだ。


「コロス!」


 触手を処理しながら、光まであと数十メートルのところで光の周囲から触手が生える。

 しかし、先端は蛇のような頭ではなく、剣やドリルやハサミなどの凶器に変わっている。

 光を取り込んだヴェルノア―ガは光の創造の能力が使用可能となっており、その力で触手を作り替えたのだ。

 そして、同様に襲いかかる。

 だが、ダイヤモンドと同等の硬度まで強化された生態鎧に全く歯が立たない。

 剣は粉々に砕け、ドリルは逆に削られ、粉となって下へ落ち、ハサミは捻じ曲がる。

 敵わないとわかっているだろうが触手は何度も生え、特攻する。案の定、触手達は返り討ちに遭い、肉片と赤い血で道を作る。

 激しい抵抗の嵐の中、止まることなく進撃し、触手達の返り血でどす黒い赤色に染まった狼鬼は悪魔か巨人かと思う程恐ろしい怪物でしかなかった。

 世界を救う英雄などには到底見えなかった。


◆ ◆ ◆


 意識が深い闇へと落ちていく。

 冷たい空間は居心地が悪い。


「コロセ!」


 まるで黒い絵具で塗りたくったような真っ暗な空間。

 どこが上で下かもわからない。

 ただわかるのは周囲から殺せという憎しみの言葉だけが反響していること。

 狼鬼に変身後から止むことなく、永遠と聞かされる怨嗟の叫びがロウの精神を消耗させ、汚染していた。

 体の中から光によって殺されかけ、苦しめられた者達の悲しみ、憎しみ、怒りといった負の感情がまるで自分のことかのように理解してしまったことで耐え難い苦しみを味わされている。。

 数百人の力は純粋な呪いとなってロウの意識と人格を闇へと引きずり込み、怪物へと堕とそうとする。

 殺せ!

 光を殺せ!

 変身を解こうにも呪いは鎖となってロウの体を蝕む。呪いを解くには呪いの元凶である光を殺さなくてはならない。

 もう、ロウは自力で人間には戻れない。この悪意が晴れるまで、光は殺すまでは怪物として戦わなければならない。


『コロセ! コロセ!』


 ノイズに近い怨嗟の叫びは鳴りやまない。


『苦シメロ! 苦シメロ!』


『惨殺! 惨殺!』


 光に迫る度に怨嗟の叫びは大きくなり、ロウの意識を深い闇へと誘う。

 ただ、光を殺す。

 その為だけにロウは光に迫る。

 確かに光を殺す覚悟は決めていた。

 だから、大量の人を嫌々ながら食べた。

 だが、どうしてロウは光を殺す覚悟を決めた理由を失っていた。

 世界を混乱していれるだけじゃない。もっと、大事な理由を忘れてしまった。

 しかし、世界を救うためどんな理由があろうと結局は殺すのだからそれでいい。

 それでいいと思った。


『それでいいのか?』


 意識が闇の中へと引きずり込まれ、ノイズのような怨嗟の言葉の中で馴染みのある男の声が聞こえてきた。

 真っ暗な夜空に淡く輝く満月が不意に思い浮かんだ。

 その瞬間、黒い空間にまるで一等星のような眩い光が現れる。


『彼女はそんな死を求めているのか?』


 ロウの体が時が止まったように固まる。

 光はロウに殺されることを望んでいる。

 狼鬼の行動は間違っていない。

 だが、そうでない。その行動の本質は一体何なのか。

 僅かに残った自我の中で必死に思い出す。


「ソウダ……。シニタガッテイタ。ダカラ……」


『違うでしょ。彼女は大切に思われて死にたいの』 


「タイ……セツ」


 今度の少女の声だ。

 顔はよく思い出せないが、命を食らう直前の期待と覚悟に満ちたあの真っすぐな瞳は脳裏に焼き付いている。

 そうだ。ただ、死にたいんじゃない。

 大切な人に殺され、死を悲しまれることでその心に生き続ける。

 それが人としての最上級の死に方。

 光の思いを知った時、ロウは決意をした。

 光を道具や玩具としてではなく、『保谷光』という人間として殺すと。

 全ては光の幸せ、満足の行く最期の為。

 それが兄として生前救えなかった贖罪と救済。


「ソウ……だ! 俺は!」


 ロウの意識が覚醒していき、怪物から人へと戻っていく。

 だが、ロウという人間の目覚めを妨げようと呪いの引きずり込む力は強くなる。

 闇から、呪いの支配から逃れようとロウは必死に藻掻くが無数の手はガッチリと体を掴むため、逃れることは簡単なことではない。


「離せ! 俺は……保谷ロウとして光を殺さなくちゃいけない! だから!」


 呪いは少しでも光を苦しませ、望まぬ死を迎えることを望んでいる。

 憎しみに汚れた手を振り解いてもまた別の手がロウを掴む。

 それでも諦めず、ロウは抗う。

 光の為にも。

 必死の抵抗の末、右腕だけは自由となる。

 そして、右腕を限界まで伸ばし、光を掴もうとする。

 そもそも光というのは掴めるものかすらわからない。

 だが、その先に何かがあるのはわかっていた。

 その先を求めて、腕を伸ばす。


「俺は……俺は!」


『お兄ちゃんとして……妹を思って。あなたにならできるでしょ?』


 またしても少女の声。でも、先程の少女とは違う声だ。

 その声と共にロウの右腕をか細い肌色の手が掴む。

 この暖かく、硝子のような繊細な感覚。抱いたことがある。

 霧の街で出会った少女。

 彼女もまた兄を慕う妹だった。

 そして、彼女に続いて、似たような細い腕と筋肉質な手がロウの手を引っ張り、呪いから引きはがす。

 完全に自我が戻ったロウは安堵の笑みを浮かべる。

 ロウが触れている三人は本人なのか都合よく作り出した幻想かはわからない。

 でも、確信したことが一つある。

 生きている。

 あの三人は確かに自分の体の中で生きている。


「ありがとう。エマ、キャシー、タウシェン。俺は……行くよ!」


 その瞬間、ロウは光に包まれる。

 三人はふっと柔らかな笑みを浮かべながら、ロウの手を離し、背中を押した。


♢ ♢ ♢


「ガハァッ!」


 ロウはハッと目を覚まし、膝をつく。

 意識を失う前と感覚と全く違う。

 資格も聴覚などの五感全てが鈍っており、力もあまり入らない。

 ふと、自分の手を見るとそれは普通の人間の手であった。

 狼鬼から保谷ロウへと変身が解けていた。


「……光!」


 自分の手から数メートル前にいる光に視線を移す。

 ふうと大きく息を吐いて、一歩前に踏み出す。

 暴走による過剰なエネルギー消費のせいでとてつもない疲労がロウを襲う。

 目は霞み、脚は鉛のように重く、手に力が入らない。

 そんな状態でもロウは目に進む。

 光を殺すために。


「待っていろ……今行くから……な!」


 相手が光とは言え、光を取り込んだヴェルノア―ガはロウの敵だ。

 瀕死のロウは、ヴェルノア―ガにとってまたとない好機。

 地面から触手が生え、牙を向いて襲ってくる。

 抵抗する力もないロウは触手を睨みつけ、威嚇しながら前に進むことしかない。

 万事休すかと言ったその時だ。触手はロウを食らう寸前で動きがピタリと止まり、まるでバグを引き起こしたかのようの左右に激しく揺れる。

 そして、横から先端がハサミになった触手が止まった触手を切った。

 

「何が……起きて!?」


 ロウは慌てて、周囲を見回す。

 すると、光の能力で創造された触手がロウに襲い掛かる触手と戦っていた。

 先程まではロウのもう一つの姿の狼鬼を激しく拒絶していたとは思えない行動。


「光……わかったよ!」


 ロウは理解した。

 ヴェルノア―ガに取り込まれても尚、光も僅かに自我が残っていると。

 なら、まだ願いを叶えることができる。

 その希望を胸にロウは再び前に進む。

 創造された触手は殆どがロウを守るように戦っているが、光の意識が薄まっているのか一部はロウに襲い掛かる。

 だが、間一髪のところで軌道を変え、ロウの足元に突き刺さる。

 希望はあるが時間はない。

 できる限り、足を速めた。

 前の世界では光を苦しめてしまった。

 自分の存在のせいで。

 そして、最期も救えず、世界を憎むほどの屈辱を味わせて死なせてしまった。

 もう、そんな苦しみを味わせるわけにはいかない。

 ここで全ての因果を断ち切る。

 その思いを胸にロウは光の前に立つ。


「……これで……いいんだろ?」


 ロウの問いかけに光は反応を示さない。否、反応できないのだ。

 口には丸い枷のようなものを付け、瞳は潰され代わりに蝸牛のような触覚が生えている。

 腕は胸の前にクロスし、固められて全く動かない。

 光は罪人だ。例え、善意があったとしてもエゴを押し付けて殺していい理由にはならない。

 楽園と言う甘い言葉でか弱い人々を誘い、希望を与えたあとを絶望に突き落とした。

 決して、許されるべきではない重罪。一回死んだくらいでは人々の怨恨を消えないだろう。

 しかし、もういいだろう。

 生前から救われず、こんな人とはかけ離れたおぞましい姿になり果てたことで十分苦しんだ。

 光は理不尽な悪意によって悪にならざる得なかった被害者なのだ。

 だから、最期くらい……最期だけは救われていいだろう。


「……お前に会えて……良かった」


 ロウは力を振り絞り、右腕だけを狼鬼の腕に変化させる。

 そして、天高く振り上げる。

 その時だ。

 光の口枷が左目の触覚が地面に落ちる。

 

「オ兄……チャ」


 たどたどしい光の言葉遣い。

 再生した左目は残念ながら人間の瞳ではなく、昆虫のような緑色の複眼に変化していた。

 もう、時間がないこと 身見をもって伝えたのだ。


「光……!」


 ロウが名前は呼ぶと、光は複眼でロウを見つめる。

 光の目は微かに笑っていた。

 

「アリガ……トウ……」


「……あぁ。ありがとう。俺の妹でいてくれて」


 募る話はあった。だが、わざわざ口にする必要はない。

 ありがとう。その短い言葉だけで十分だった。

 ロウは優しく微笑みながら、腕を振り下ろした。



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