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寝取

 光にはロウしかいなかった。

 まともに相手をし、愛してくれる人間が。

 頼る相手も遊ぶ相手、話し相手もロウ以外存在しなかった。

 光の苦しみも喜びも受け入れてくれるのはロウだけ。

 甘えはやがて依存へと変化していった。

 仕方がないことだ。ロウ以外の人間が誰も光に手を差し伸べない環境が光を歪ませたのだ。

 ロウがいないと光は生きていけない。ロウのいない世界、見捨てられた場合は餓死する他ない。

 光はまるで蚕だ。

 人間の家畜として生かされることを選んだ蚕はもう人間の手が加えなければ生きてはいけない。

 帰り道を歩いていると、ふと人の気配を感じた。

 向くとそこには制服姿をロウがベンチに座っていた。


「お兄ちゃ……」


 光は最愛の兄を見かけて、声をかけようと口を開ける。

 しかし、喉から言葉は出なかった。

 次に目撃した光景があまりの衝撃的で言葉を失ってしまったからだ。


「え……?」


 あ然とした。

 公園の反対側から「ロウ」と名前を呼ぶ見知らぬ少女が綺麗な黒髪を左右に振りながらロウの元に駆け寄ってきた。

 胸元の赤いリボンがとチェックのスカートが可愛らしい制服。

 まるで女優かなんかか疑う程のスタイルとその美しい顔立ち。制服姿が似合わない大人びた雰囲気。

 光には見覚えがあった。

 ロウの中学校の入学式に参列した時に、高等部の生徒が着用したものだった。


「……何なの……」


 どうしてロウの隣に他の女がいるのか。

 兄の隣にいるべきなのは私なのだと言うのに。そうでなければ、私は誰の隣に入ればいいのか。

 激しい怒りが湧いている。

 私の兄を取るなと。


「はい、ロウ」


「ありがとうございます。先輩」


 落ち着いたところで少女は二本あるサイダーの内、一本をロウに渡す。

 

「すみません。本当は俺が買いに行くべきなのに……」


「いいの。そんなカッコつけなくていいの」


「でも……」


「ほら、肩の力を抜いて。気張り過ぎなの」


 申し訳なさそうにするロウの頭を撫でて、励ます少女。

 ロウは恥ずかしそうに顔を逸らして、ペットボトルに口を付ける。

 すると、罠にかかったと言わんばかりに少女は笑みを浮かべる。


「あ、間違えた。そっちは私が口を付けたのだった」


「!?」


「関節キス……しちゃったね」


 わざとらしく笑う少女は年相応のあどけなさを感じる。

 ロウはふぐのように頬を膨らせ、飲んだサイダーを噴き出す。


「ちょ、ちょっと!? いくら何でも驚きすぎ!」


「せ、先輩がからかうから!」


 引き上げられた溺者のように咳き込むロウを少女は慌てて、介抱する。

 体を密着させ、背中を擦る。

 近い。近づくな。気安く私の兄に触れるな。

 今すぐにでも少女を突き飛ばして、ロウの隣に座りたい。

 でも、そんなことをする勇気はない。

 きっと、本当にやればロウは光を軽蔑する。

 ロウにまで見放されたら光はもうこの世界では生きていけない。


「大丈夫? 落ち着いた?」


「はい……もう大丈夫です」


 ロウは大きく深呼吸をする。

 

「何か……かっこ悪いところ見せて……俺は……」


「別に無理に気張る必要はないよ」


 落ち込むロウの頭を少女は優しく撫でる。


「今は私と二人きりなんだから、背伸びなんかしなくていいよ。サッカー部のエースじゃなくて、人気者のロウじゃない。等身大のロウでいいの」


「先輩……」


 優しい言葉に諭されたロウは徐に少女の肩に寄りかかり、瞳を閉じる。

 まるで飼い主に甘える子犬のよう。表情は安らかで兄としての威厳は皆無。

 ロウの初めて見る姿、表情を目の当たりにし、光は絶望した。

 光の瞳に写るロウは完璧超人のヒーローだった。

 文武両道、容姿端麗。困っている人を見境なく助け、みんなから慕われる人格者。

 そんな兄がしょうもないことでからかわれ、頬を赤らめ、慌てる。そして、一人の女性に甘える。

 決して、光の前では見せない姿。否、見せるはずがない。

 光の前では立派な兄として導き、支える。不甲斐ない部分を見せて、不安にさせるわけにはいかないと考えていた。

 しかし、兄という肩書など関係なく、ロウは成長途中の子供だ。

 それなのに両親からの期待、部活動でもエースとしての責任、日常生活でも一定以上の成績を取らなくてはいけないというプレッシャーを全てを背負っている。子供に荷が重すぎる。

 だから、甘えられる存在が欲しかった。背負い込んだものを忘れさせ、一緒に背負ってくれる存在が。

 その存在が隣の少女。

 ロウに支えられてばかりで一人立ちできない光では決して務まらない役割。

 本当に自分がロウの脚を引っ張る邪魔物でしかないことを痛感し、光は思わず大声を上げて、泣きたくなった。

 でも、ここで感情に任せて泣いて、二人の時間を壊すわけにはいかない。

 口を手で抑えて、必死に堪える。


「ねぇ、ロウ」


「何です……」


 ロウが顔を上げた瞬間、少女はロウのネクタイを引っ張り、顔を近づける。

 そして、柔らかい口づけを交わす。


「関節キス以上のことをする仲でしょ? 私達は」


「……はい!」


 普段なクールな姿から予想できない恥ずかしそうに赤らめた表情と子供のようなあどけない笑顔を浮かべるロウ。

 光は逃げるようにこの場を去る。

 最愛の兄に私以上に愛する人を見つけてしまった。

 この世界には自分の居場所なんてないと悟った。

 こんな世界なんて壊れてしまえばいいと心の底から願った。

 ただ、焼気になった生まれた願いが数日後に叶うことになると、光は思ってもいなかった。

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