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劣等

「ただいま……」


 玄関の扉を開け、ジャージ姿の光はゆっくりと家へと入る。

 嘔吐物塗れの制服を着て帰宅するわけにもいかず、学校を出る前にジャージに着換え、水道で手洗いしてから帰路を歩いた。

 帰るだけだが、ただ光は辛かった。

 周りに当然、制服で帰る生徒達ばかりでジャージ姿の光は浮いていた。

 加えて学校では駄目人間として名前を知られている為、周囲の生徒達はヒソヒソと耳打ちをし、奇異の目を向けていた。

 それが堪らないほど辛かった。

 好きでこんな格好をしているわけではない。寧ろ、自分は被害者だ。

 それなのにどうしてこんな屈辱を味わなければならないのか。

 消えたかった。苦しいだけの人生など生きたくなかった。

 だが、死を選ぶ勇気もなく、ただ怠惰で生きていた。


「はぁ……」


 リビングには明かりが付いているため、家には誰かしらいる。

 だが、誰も返事を返さない。

 靴を脱ぎ、重い足取りで家に上がる。

 そして、リビングに向かう。


「……おかえりなさい」


 リビングでは母が退屈そうに夕方のワイドショーを眺めている。


「うん……」


 母は光を一瞥する。


「……制服はどうしたの?」


 母の問いに答えることなく、光は黙って俯く。


「また……なのね」


 すると、母は溜息を吐いてゆっくりと立ち上がり、光の前に立つ。


「先生からね、電話があったの。期末試験、また赤点だって」


 これから起こること理解した途端、光の体は硬直し、額から嫌な汗が流れる。

 光の成績は悪いの一言であった。

 赤点を超えるのがまず目標であり、平均点を超えることなどまずあり得ない。

 順位も下から数えれば両手で足りる程に低い。

 ロウは何度も勉強を教えていたが、一向に改善する様子は見られなかった。

 別に勉強が嫌いなわけではなく、努力も怠っているわけでもなく、ただ、本当に理解できず、できないのだ。

 学習障害を持っていた。普通の家庭ならそれを理解して、フォローをするのだろう。

 しかし、保谷家は違った。


「この保谷家の恥晒し!」


 母は光を厳しく怒鳴りつける。

 大きな恐怖が染み込んだ声に光の体が小さく跳ねる。


「どうして!? どうして、普通のこともできないの!?

ロウみたいに高くなくていいの!」


 母が厳しくする理由は二つあった。

 一つは比較対象であらロウがあまりにも優秀過ぎたのだ。

 小学生の頃から成績は良く、中学受験も問題なく合格。ハイレベルな環境にいても優秀な成績をキープしている。

 初めての子供がかなり優秀であるが故に妹の光もロウに負けず劣らず、優秀だろうと期待していた。

 しかし、実際は優秀でもければ、普通でもない。それどころか底辺と言っても差し支えない程、劣っていた。

 劣っているだけならまだ良かった。

 ただ、保谷家という環境が光にとって問題であった。

 父親は若い頃に起業し、一代で会社を一部上場企業までに成長させたカリスマ。

 母親は元看護士であり、学生時代は看護士の卵の傍ら、モデルとして世の女性の憧れとして、芸能の世界に立っていた。


「ごめんなさい……」


「……はぁ。もういいわ。期待していないから」


 実の娘に投げかける言葉と相応しくない言葉を吐き、再び母はテレビに注目を戻す。


「制服とジャージは洗っておきなさい」


 目を見ることなく、母は光に指示する。

 光は口答えすることなく、黙って指示に従う。


「ただいま帰ったぞ」


 光と入れ替わるように玄関から低い男性の声が聞こえてくる。

 母は咄嗟に立ち上がって玄関に向かう。

 一家の大黒柱が帰っきた為、光も母の後に続く。


「おかえりなさい、あなた!」


「あぁ」


 玄関には皺一つない綺麗なスーツ姿の父がいた。


「今日は早いのね」


「仕事が早く終わってね。まだ少し仕事が残っていたが、みんなが残業ばかりする僕を叱ってくるから」


 参ったよと頭を掻きながら、嬉しそうに笑う父。

 厳格ではあるが優しくもある父は様々な人から崇拝されている。ロウも父の大きな背中に憧れを抱いていることは光も知っている。

 しかし、光は父のことを好きになれなかった。


「お父さん……おかえりなさい」


「……そういえばロウは?」


 光が言葉をかけるも父は一切反応しない。

 まるで光など存在していないかのように。


「ロウはまだですよ。最近、帰りが遅いのが気になるわ」


「あいつのことだ。非行に走ることはないだろう。それに年頃の男なんだから……色々と家族に言えんこともあるだろう」


「それは……まぁ!」


 二人は結婚して二十年近く経つが今だに愛が覚めることなく、仲がいい。

 それでいてロウも溺愛している。

 だから、光を無下に扱う。二人には光を愛するリソースがない。

 優秀なものと劣等なものとどちらにリソースを割いた方が将来的にいいかなど目に見えている。

 伸び代ない光など二人には邪魔な置物でしかない。かと言って、捨てられるものでもなく、仕方なく家に置いている。そういう認識なのだ。


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