仮面
額から血が流れ、リヒトの顔は真っ赤に染まっている。
しかし、恐ろしいと感じない。
リヒトの表情には恐怖や苦しみなどと言った感情は一切感じられない。
それどころか、安らぎが見える柔らかな表情。
これまで死闘を繰り広げていたとは思えない狼鬼の変身は解け、保谷ロウへと姿が戻る。
「俺の……勝ちだ」
激しい呼吸を繰り返し、ロウはリヒトの首に手をかける。
死を目前にしてもリヒトは抵抗する素振りを見せない。
腕をもがれ、酷いダメージを負ったリヒトに最早抵抗する力などない。
「……殺せよ」
「言われるまでもない」
ロウはリヒトの首を折らんと力を入れる。
「俺を殺すのに迷いはなかった。だが、光に手を貸すことには……迷いがあっただろう?」
ロウの言葉にリヒトは顔を背ける。
「ただ、生きたいだけなら、直ぐに殺せばそれでよかった。暗殺でもすればよかった。だが、お前は……」
「お前と……同じだ。無関係な人間を無差別に殺すのは気が引ける。俺は生きたい。だが、他人を犠牲にして……苦しめてまてま生きることには疑問があった。でも……死の恐怖に俺は屈した」
リヒトは自嘲する。他の転生者にはない心があった。
人の死を嘆く心。
しかし、狂えなかったが故に壮絶な苦しみを味うことになった。
その点はロウと共通していた。
「だが、今は恐怖を感じない。寧ろ、心地がいい」
「……今、楽にしてやる」
これから殺されるとは思えない程、安らかな笑顔を浮かべるリヒト。
それを見て、ロウはより一層、殺さなければならないと決意した。
ここで殺さなければリヒトは永遠に苦しみ続ける。
それに心を持った人として二度目の生涯を終えて欲しいという願いがロウを決意に導いた。
「最後に……いいか? 実の妹を殺す覚悟は……出来ているのか?」
リヒトの問いに、ロウは据わった瞳で訴えかける。
覚悟は決まっている。だから、もう何も言わないでくれ。
これ以上、余計な言葉を聞けば折角、無理矢理繋ぎ合わせたの決意が崩れてしまう。
ロウには人の心がある。
最愛の妹をこの手で殺したいわけがない。
しかし、最愛の存在だからこそ、これ以上の罪を背負って欲しくない。無関係な人間を苦しめるわけにはいかない。
世界の人々を守る為、そして、光を罪から救う為、ロウは光を殺す。そうすることでしか、この件は解決しない。
ロウの覚悟を汲み取ったリヒトは最後の力を振り絞り、ワープホールを生み出す。
「この穴を通れ。お前の行きたい場所に行ける」
「行きたい場所……」
「光の目の前でも……いや、今のお前ならたくさんの人がいる場所か」
「……よく言う」
穴を通れば、直ぐに光の元に行ける。
尚、向かったところめ腹部に穴が空いている程の大きなダメージを負っている上に変身できるエネルギーもない以上、勝ち目はない。
だから、もう一人だけ人を食わねばならない。
否、本当に生き残る為ならば一人では足りないのかもしれない。
一人分でも無敵とも言える凄まじい力が発揮することを考えると大量のエネルギーを摂取すればそれだけ狼鬼の力も強力になる可能性が高い。
だが、人としての心を持つロウには絶対に犯してはいけない禁忌。力の為に無差別に人を殺すことなどできない。
それをしてしまっては光と同じになってしまう。
しかし、甘い考えで殺せる相手ではない。
善と悪の間でロウは苦悩する。
「人を無闇に食うのは違うのはわかる。……ただ、無駄死にするだけなら、誰かの命の為にその身を差し出すのほうが……マシかもしれない」
「……死に意味を与える……」
「どうせ死ぬなら……世界の未来の為の犠牲になる方が俺は好きだ」
重度の薬物中毒者は所詮、線香花火のような儚き命。先も長くない命が光の手によって、無意味に消されるのであれば、せめて狼鬼の力となる方がその死は意味があるものになる。
無論、これはロウとリヒトのエゴだ。普通の人間なら、どのような死を迎えようともそれが死であることに変わりないと思うだろう。
だが、一度死に、望みながら地獄のような境遇で生きているロウとリヒトだからこそ、せめて最期は自らが納得の行くものにしたい。
誰かに最後を与えられるのではなく、己の心で決めた最期を選ぶ。
それが二人の共通する思い。
「……善の為なら……悪になる。俺は……全てを背負う」
ロウは覚悟を決めた。
一人を殺して、手を赤く染ればそれは殺人。
だが、千人を殺し、全身に血を浴びれば英雄になる。
世界を救う英雄になる為に、ロウは悪になることを決意する。
その様子を見たリヒトは満足そうな表情を浮かべ、ゆっくりと目を閉じる。
「急げよ。俺が死んだら、穴は徐々に消えていくからな」
「……ありがとう」
ロウはまるで仏の様な笑みを浮かべながら、リヒトの首を落とした。




