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真実

 不気味な静寂が街に流れている。

 昼間だと言うのに街には人影が一切ない。

 女性の遺体を背負ったリヒトとその後を付いていくロウしかいない。

 まるで時が止まった、あるいは死んだような街にロウは冷たさを覚える。

 これが苦しみを味わった人間が最後の希望とした目指した楽園の影。

 その影を生み出しているのは光だと思うとやるせない気持ちになる。


「なぁ、さっきから誰もいないが……」


「そうだな。ここ周辺の人間は全員壊れて、収容所に連れていかれたからな」


「収容所?」


「この楽園で最も悲惨な場所だ」


 リヒトは立ち止まり、左側に佇む建物に目をやる。


「ここが?」


 ロウ達の目の前に聳えるのは鉄格子に囲まれたまるでSF映画に出てくるような近未来的な研究所のような施設。

 収容所と言われるからにはコンクリートの壁に覆われた質素な施設を想像していたが現実は予想の斜め上を超えていた。

 一面、窓のない真っ白な壁に覆われた施設は周囲が煉瓦造りの建物に囲まれていることも相まって、そこだけ別世界から移動してきたような不気味な空気が漂っている。

 敷地内に入るための出入口の前には赤い熊の着ぐるみ二体が立っている。

 その愛くるしい姿の着ぐるみの手には似つかわしくない物騒な機関銃が握られている。それだけでこの施設が如何に重要なのかを知らしめている。

 そんな武装した着ぐるみにリヒトは話かける。

 着ぐるみ達はすっと門を開け、リヒトを中に通す。

 ロウも続いて、足を踏み入れる。

 門番の着ぐるみ達からは睨まれていた気がするが、本当の面は見えない為、真相は不明。

 しばし、歩いていると施設から軍服を纏った鷲の着ぐるみが出てくる。右目には黒い眼帯をしており、デフォルトされた姿がありなかまら歴戦の戦士の風格が漂っている。

 リヒトは背負った女性を鷲の着ぐるみに渡す。

 鷲の着ぐるみは女性を抱きかかえると、リヒトに綺麗な敬礼をして立ち去る。


「これから中に入るが……覚悟はできているか」


 施設そのもの入口の前まで来ると、リヒトは振り返り、ロウに覚悟を問う。

 リヒトの目は恐ろしく据わっていた。それほど、この中は異常な世界なのだろう。


「当然のことだろ」


 ロウの覚悟は既に決まっていた。

 光と影を全てこの目で確認したうえでなくては善と悪の判断は下せない。

 例え、既に悪と判断していようと要となる真実から目を背けるわけにはいかない。

 それにロウは戸惑いがあった。

 本当に光を殺せるかどうか。殺す直前に家族としての情が勝ってしまい、殺し損ねては意味がない。それどころか自らの命を散らすことになる。

 だからこそ、退路を断つ為にも、自分自身を追い込む選択肢を取らざるを得なかった。

 それ相応の覚悟を持っていることに気づいたリヒトは余計な言葉をかけることなく、黙って施設内に入る。

 施設内は細い廊下が連なっていた。外壁と同様に真っ白な壁が並んでおり、白い蛍光灯も相まって非常に目が痛くなる。

 廊下はまるで迷宮のように入り組んでおり、代わり映えしない景観も相まって迷えば二度と外には出られないだろう。

 そんな廊下をリヒトは足を止めることなく進む。

 施設に入って約十分程経った頃。

 一つの部屋がロウ達の前に現れる。


「ここが目的地だ」


 リヒトはそう呟くとその部屋に入る。

 ロウも後に続く。


「これは……」


 ロウの前には透明なアクリル板があり、さらに中の部屋の様子が伺える。 

 その部屋の中には薬物中毒者であろう人々が全裸で閉じ込められていた。

 岩か何か固く、荒い表面をした物で肌を削った為に全身が血だらけの女。

 喉に指を突っ込み、何度も嘔吐する男。

 それ以外にも異常な行動をする人々が多数いる。

 部屋の壁に何かを打ち付けた凹みや爪痕、血痕が付着している。白い壁ということも相まって汚れや血はより目立っている。


「地獄絵図……だな」


「……これはまだ、マシな方だ」


 リヒトが吐き捨てるように呟いた瞬間だ。

 施設内に耳の中を突き刺すような不気味な警報が鳴り響く。

 その瞬間だ。部屋の天井の穴から霧状の何かが薬物中毒者達に降り注ぐ。

 一見すれば心地よいただのミストシャワーだろう。

 違う。これはそんな安らぎを与えるものではなく、寧ろ死を与えるものだった。

 霧状の何かを浴びた薬物中毒者は白目を向き、喉を掻きむしって激しく苦しみ始めた。

 防音処理がなされたアクリル板のせいで中の人間のおぞましい悲鳴は一切聞こえない。

 だが、苦しむ際を見ていると聞こえないはずの悲鳴が頭の中に響き、息苦しくなっては嫌な気持ちになる。

 苦しみに耐えられなかった人、立つ力を失い突き飛ばされた人がばたばた床に倒れる。

 そうなれば最期、もがき苦しむ人々にお構いなしに踏み潰される。

 踏ま潰された人間の頭部が高い場所から落とされた果物のように砕け散り、辺りに破片や脳が散乱している。

 おぞましい過ぎる光景に唖然とする中、ドンと大きな音がロウ達の耳に入る。

 屈強な肉体の男が喉を抑えながら、残った腕でアクリル板を全力で叩いていた。板の前にロウ達に早く出してくれと助けを乞うかのように必死の形相を浮かべ、口をパクパクと動かしている。しかし、男の努力は空しく、アクリル板にはヒビどころか傷一つつかない。

 ロウは無意識に拳を突き出す。

 わかっていたはずだ。今更助けても手遅れだと。助け出したところで持って数分の命でしかないと。


「無駄だ。これは俺達転生者ですら壊すの容易じゃない。……狼鬼ならいけるかもしれないが」


 ロウの思いは空しく、男は糸が切れたかのように動きがピタリと止まる。そのまま白目を向いて、アクリル板にへばりつきながら、ズルズルと床へと倒れていく。

 男が最後の一人であり、部屋に閉じ込められた人間は全員息絶えていた。

 作業が終わり、部屋の一つの壁が開く。壁の奥は真っ暗な穴がある。

 すると、開いた壁とは反対の壁が穴のある壁に向かって動く。

 動く壁はまるでブルドーザーのように床に転がる遺体とその他の物体を穴の中に押し入れる。

 その無残な光景を見て、ロウは言葉を失う。

 人のなせる所業ではなかった。

 手も汚さず、ただゴミを処分するかのように人間を作業的に殺す。

 これが人の、命の末路だと言うなら、ここは楽園ではない。

 地獄だ。

 折り重なった死体の山々と床にぶちまけられた嘔吐物と人体の一部を見ればそうとしか言えない。


「本来なら俺達、転生者が殺すことでその人間の魂をエーテルに捧げることになる。だが、この楽園の中で死ねば俺達が直接手を下さなくてもエーテルに捧げられる。こうは言いたくはないが、効率的で誰も苦しまず、生贄を差し出せる……と光は思っている」


「だからと言って……」


「あいつにとって生きていることに価値があって、死んだらそれ以降に意味はない。遺体は邪魔なゴミなんだよ。だから捨てられる」


 最愛の光が命を冒涜している。

 敵対することは覚悟していたが、まさかここまでの外道に堕ちているとは思ってもみなかった。

 しかし、光の考えが理解できないわけではなかった。

 ロウ達は今まで命の価値が軽い世界で生きていた。

 死んだ人間は足手纏いであったり、疫病の原因として煙たがられてきた。

 殺人は悪ではなく鹿や獣を狩ると同様に生きていくうえで必要な行為。

 そんな世界で生きてきたのだから、命を粗末にしようと冒涜しようと関係ない。

 何故なら、それが当然だからだ。

 だが、人には感情という一つのブレーキがある。どんな残虐なことを行おうとしても感情が邪魔をして、結局は未遂で終わるのが常人。

 だからこそ、こんなことを行う光は常人ではないという証明であった。


「……だからって、こんなの人の最期なわけがない」


「兄妹とは言っても根本は全く違うか」


 元凶の光とは正反対の反応をするロウをリヒトは鼻で笑う。


「この死体、どうなるか知ってるか?」


「いいや」


「再利用される。主な使い道は食料になるくらいか」


「……はぁ?」


「驚くのか」


 リヒトは眉を顰めて、困惑する。

 生きた人間を食べて力を入れるお前が驚くなと言わんばかりにロウを凝視する。


「まぁいい。なぁ、あんたは殺せるのか。光を」


「……殺すしかないだろ」


「実の妹だぞ」


「そもそも俺達は生きていちゃいけない存在だ。元々の居場所に返すだけだ」


「……そうか」


 リヒトの問いに少しは葛藤を見せるものの、ロウの答えは決まっていた。

 光は殺す。覚悟が決まってしまった。

 覚悟が決まったとは言え、確かに唯一の家族である光を殺したくはないという感情がまだ残っている。

 しかし、このまま野放しにしておけば、被害者は増えるだけ。

 これ以上、光の罪を増やすわけにはいかない。

 今の光は化物でしかない。無作為に命を奪う邪悪な化物。

 生きたまま救うことなど不可能な程の業を背負ってしまった。

 光を救う方法と罪を償う方法は共通して、ただ一つ。

 死のみ。

 それに死者ならば死者らしく死んでいなければならない。

 だから、この世界で生きてはいけない死者を本来の場所ーーーあの世に送り返す。

 殺す。

 それだけが光を救える唯一の救い手段。

 

「俺には選べない選択肢だな」


 ロウの覚悟を知ったリヒトは嘲笑する。

 実の妹だろうと殺せる覚悟を持つロウの愚かさを。

 恐れを抱いた結果、何も行動せず、まるで飼い慣らされた動物のように言いなりになった自分自身を。


「俺は以前の世界では少年兵としてたくさんの仲間を見送った。場所によっては荷物になると死体を見捨て、投げ捨てたこともたくさんある。弔うことすら許されなかった。だから、死体とは言え、無惨に扱われるのは怒りが湧いてくる」


「なら、抵抗の一つはしてみればいい」


「だが、俺達はエーテルに従うしかない。歯向かえば、死ぬ。そして、永遠の地獄を彷徨うと脅されている。まぁ、これほどの力を手に入れて歯向かう奴など殆どいなかったがな」


 永遠の地獄。酷く抽象的だが、一度は死を体感した人間にとってこれほど効果のある脅し文句もないだろう。

 しかし、この脅しも形骸化しているだろう。

 死んでもなお、異世界に転生してまで生きたいと願った人間がわざわざ命を捨てるようなことを行うのは正直滑稽だ。


「誰かを苦しみ犠牲になっているのはわかっている。それが正しいことではないし、いい気持ちにはならない。でも、俺は……」


 リヒトは腰に携えた剣を抜き、頭上に円を描く。

 円の中から白銀の鎧が降り、リヒトの体に装着される。

 鋼鉄の鎧を纏い、仮面を被り、自分自身の全てを隠したリヒトは剣先をロウに向け、溜めていた言葉を吐き出す。


「生きたい。死にたくない」


 これまで出会った転生者達とは違い、シンプルで人間的な願い。

 そこには一切、無駄な欲はない。

 他者を殺したいとも上に立ちたいという思わない。

 ただ、純粋な願い。


「だから、俺は戦う」


「そうか。十分な理由だ」


「……もう手加減はしないぞ」


「敵に情けをかけるのは自己満足でしかないからな」


 二人は再びを相まみえる。

 今度は一切の手加減はない。

 どちらかが死ぬまで終わることの死闘。

 これは正義と悪の戦いではない。

 生きるために戦う生物として当然の本能という正義と他者を救う為に戦う正義の不毛な戦いだ。

元ネタはアウシュビッツ収容所です

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