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幻覚

「今日は楽しかったね!」


 空は紅に染まり、夕日が地平線ギリギリに顔を出している。

 カラスのような黒い鳥がやがて夜を迎えることを告げるかのように甲高い鳴き声を上げている。

 昼間は人々がごった返していた通りもこの時間になれば片手で数えられる程しかいない。


「学校の帰り道を思い出すね」


「そうだな」


 そんな人気のない通りをロウと光は手を繋いで歩いていた。


「色んなこと話しながら帰ったよね。テストの結果とか、友達のこととか」


「あぁ。たくさんの寄り道もな。近くの川で派手に水浴びしたりさ」


「あれね! 急にお兄ちゃんが川に飛び込んで、私も巻き込まれて。あの後、ママに滅茶苦茶叱られたよね」


「いや……あんまり思い出したくない記憶だな」


「そうだね。でも、私にとっては大事な思い出。それも中学生までだったけど」


「……確かに薫先輩と付き合い始めてからめっきり減ったよな」


 そう言うと光は俯き、ロウの手をより一層固く握る。

 光が小学生に入学してから、五年間は一緒に帰っていた。

 同じ小学校に通っていたため、授業が終われば昇降口を待ち合わせ場所にして、それから今のように仲睦まじく、時には寄り道をして帰っていた。

 ロウが中学生になってから、一年間は続いていた。

 しかし、ロウが中学生二年に上がった頃、その習慣は突然終わりを告げた。

 ロウに恋人ができたのだ。

 (まゆずみ)(かおる)。一つ年が上でロウが所属していたサッカー部のマネージャー。モデルのようなスラリとした体に絵画の女性のように美しい顔立ち。学校一の頭脳と運動神経、どんな人間にも優しく接する慈愛の心を持ち、まさに完璧を擬人化したような女性で男女関係なく憧れの的であった。

 その有象無象の中にロウもいた。

 光はよくロウから薫の話を聞いていた。

 薫先輩はとても綺麗で頭も良くて、優しくて、ミスした時も励ましてくれたと。

 薫の話をするロウの瞳はまるで子供のように輝いていた。声も弾んでいて、見るからに楽しそうだった。

 そんなロウを横目で光は見て思った。

 お兄ちゃんは本当に薫先輩に憧れていて、好きなんだと。

 私なんかよりもずっと、ずっとと。

 そして、その憧れの先輩と付き合うことになったあの時、ロウは見たこともない輝く笑みを浮かべた。

 光の心は酷く深い海に沈んだような冷たさと寂しさを感じた。

 ずっと、隣にいたロウが離れて別の女の隣を歩く。そう考えただけでも光は苦しかった。


「寂しかったんだよ……。薫先輩にお兄ちゃんを取られて……」


「それは……ごめんな」


「だから……薫先輩が大嫌いだったよ。……したいくらいに」


「うわぁぁぁぁ!」


 光がボソリと呟いた瞬間、言葉を遮るかのように叫び声が響き渡る。


「なんだ、この悲鳴は!?」


 ロウは咄嗟に光の手を振り解き、悲鳴の聞こえた方向に駆け出す。

 背後で「待って」と光のか細い声か聞こえたロウは光よりもと気に留めることはなかった。

 声量からしてそこまで遠くではないはず。ロウは一つ目の角を左に曲がるとその光景を思わず目を見開く。


「おい、大丈夫か!」


 道の真ん中で中年の男性が口から泡を吹き、苦しそうに呻き声を上げ、喉を掻きむしって、芋虫のように動きで藻掻き苦しんでいた。

 目の焦点はあっておらず、左右で反対の方向を向いていた。

 何故だ。ここは光が万人を幸福するために作り上げた楽園。

 それなのにこの男性は酷く苦しんでいる。今にも死にそうなくらい。

 ロウは咄嗟に男性に元に駆け寄る。


「しっかりしろ! どうしたんだ!」


「虫がぁぁあ! はいずってくるぅぅ! やめろ! 嫌ァぁ!」


「虫!? そんなのどこにもいないぞ!?」


 男は体を激しく体を揺さぶる。まるで体にまとわりつく虫を振り払うように。

 しかし、ロウの目には男の体に虫一匹すらついていないように見えた。

 男の目に一体何が映っているのか、ロウには一切わからない。


「口の中にぃぃ! ひやぁぁ!」


「おい……この狂いよう。まるで薬物中毒者みたいだ」


 見えない物に怯え、まるで悪魔に乗っ取られたかのような狂いよう。

 以前の世界でよく見た人間の一種だ。

 滅亡するであろう世界ではいつ死んでもおかしくない。毎日誰かが死に、地面には腐りかけた死体が転がっているような狂った世界ではまともな精神では生き残れない。

 ロウのように精神が強い人間なら狂っても平気だろうが、弱い人間はどうか?

 環境に押し潰されて狂って死ぬか自ら狂って死ぬか。

 殆どは自ら狂って死ぬことを選ぶ。薬を打ち、飲んで、理性を捨てて、絶頂と言える快楽と地獄と言える苦しみを味わいながら死に絶える。

 死体はいつもは暴れている男性のように白目を剥き、口から泡を拭いていた。まるで死ぬ前に恐ろしい怪物でも見たかのように見えた。

 あまり、いい死に方ではないと思っていたが、決断した本人にとって、死ぬことになっても薬の力で一瞬でも幸せを感じられるのならそれでいいのだろう。


「お兄ちゃん! これを食べさせて!」


 後ろから追ってきた光はポケットから黄色の丸い飴玉を取り出し、ロウに手渡す。


「食べさせればきっと治るから!」


「……これで?」

 

「それを寄越せ!」


 すると、男性は飴玉を見つけた瞬間、まるで獣のような獰猛さでロウから飴玉を奪い取り、口に頬張る。

 飴玉を舐め始めた瞬間、男性は先程の狂いようがまるで嘘のように穏やかになる。

 だが、目は相変わらず焦点は合っておらず、明後日の方向に向いていた。

 そして、助けたロウと光に一切の礼も言わず、男性は「幸福だぁ」と取り憑かれたように呟き、千鳥足で去っていった。


「何なんだ……これは」


 ロウは飴玉が転がっていた手の平を眺める。

 あんな飴玉で男性の症状が治るというのが些か信じられない。

 いや、光の能力ならば万能薬の一つも作れるのかもしれないと考えた。

 しかし、飴玉を奪い取る様子と摂取した瞬間の変わりようを普通の飴玉ではないの理解した。

 薬物中毒者は薬物の苦しみから逃れる為に量を増やして摂取する。そうして、負のループを繰り返し、体はボロボロになり死に至る。

 まさにあの男性はロウの思い描く典型的な薬物中毒者でしかなかった。

 

「なぁ、光。……あの飴玉は」


 ロウは光に問いかける。

 疑うしかなかった。

 あの飴玉の正体を。


「……お兄ちゃん。私を信じて」


「信じたいさ! でも、あんなのを見たら!」


「それでも! 信じて!」


 光はいきなりロウに抱きつく。そして、潤んだ瞳で訴えかける。

 「それはズルい」とロウは呟く。

 ロウも光を疑いたくない。最愛で唯一の家族を疑いたいと思うわけがない。

 しかし、運命は残酷なことに二人を敵同士として引き合わせた。

 光をこの世界に転生させた神は受肉し、自ら世界に君臨する為に転生者達に人間を殺させ、生贄として捧げさせる。

 光ももしかしたらそうなのかもしれない。実は影で人を殺し、神に捧げているのかもしれない。

 残念なことにその可能性が高い。

 そして、万人が幸福でいられると謳われたこの楽園で先程の男性の狂いようを見て、信じろと言われても無理がある。

 嘘を付かれ、裏切られたようなものだ。

 光が光ではない転生者であったなら、ロウならもう既に殺しにかかっていただろう。

 だが、ロウは手を出さない。否、出せない。

 最愛の家族を殺す勇気などロウにはない。

 心の奥底でもしかしたら何かしらの訳があって男性が狂ったのか。外部から別の誰かが手引きしたのではと言い訳に近い甘い考えに逃避してしまうのだ。


「光……」


 光の涙の訴えをロウは受け入れるしかなかった。

 夕暮れの空を飛ぶ、鳥が鳴く。

 まるで、甘いとロウを嘲笑うかのように。

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