断罪
「ここが私の部屋なの」
感動の再会を果たした後、光はロウを自室へと案内する。
薄いピンクの壁紙に囲まれ、まさに御伽話のお姫様が過ごしている部屋と形容しても差し支えない。黄金の姿見に高級そうなアンティーク。部屋の中心には天蓋カーテンのベッド置かれていた。
周囲には大小様々なぬいぐるみが飾られている。ぬいぐるみはピンクのフードを被った兎や大きな耳のネズミといった以前の世界で流行っていたキャラクターだ。
「ねぇ、これ覚えてる? お兄ちゃんと一緒に遊園地に行った時に買ったぬいぐるみ」
「当たり前だろ? 覚えてるさ」
プリンのようなカラーリングの犬のぬいぐるみを見せてくる。
光はこのキャラクターを制作した会社のキャラクターが好きだった。生前はその会社のキャラクターのぬいぐるみに囲まれた豪華な部屋で暮らしたいと夢見ていたが、死後になって叶うとは喜ぶべきなのか、恐れるべきなのか。
「……」
「どうしたの?」
何も言葉を発さずにいるロウの顔を覗き込む。
不安があった。果たして、光は再会を喜んでいるのだろうか。
今は確かに楽しそうにしているがそれは仮面で本当は嫌い、憎んでいるのか。
ロウの記憶の中の光は人を憎んだりすることはない優しい少女であり、そんなことはないと思いたい。
しかし、吐き気を催す外道共に耐え難い苦しみを与えられながら死んだ。きっと、心の奥底から助けを求めていただろうが、結局ロウの力が及ばず、死んでしまった。
だから、優しさんど消えてなくなり、助けられなかった、助けに来なかったと憎んでいるのではないかと思っていた。
「もしかして、私がお兄ちゃんを憎んでいると思っているの?」
ロウは思わず目を見開いて驚いた。
「どうして……わかった?」
「だって、妹だよ? お兄ちゃんの考えていることくらい、お見通しだよ」
光はニッと柔らかな笑みを浮かべる。
まるでどんな罪人でも受け入れてくれるような聖母のような笑みだった。
「光、俺……」
そのまま「ごめん」と口を開こうとしたその時、光は人差し指をロウの口に当てる。
「謝らないで。弱い人が死んで、強い人が生きるのが前の世界の理。だから、死んだの」
「それでも……」
「私、知ってるんだ。お兄ちゃんが助けに来てくれたこと」
「何で知ってるんだ!?」
「天から見てたんだ」
そう話すと、「長くなるよ」と言って、ベッドに腰掛けると、自分の隣をポンポンと叩き、ロウを誘う。
ロウは誘われるがまま、光の隣に腰掛ける。
「不思議だったんだ。死んだと思ってたら目を覚ましたの。私が私を見下ろしていたの。……本当に酷い有様の自分を見て、吐きそうになった。どうしてこんな目に遭わなくちゃならないんだろうって、悔しかったし、世界を憎んだ」
膝の上に置いている光の手は小刻みに震えている。
自分の死体を見る。それだけでも衝撃的であるが、その死体が男共に玩具扱いされ、まるでボロ雑巾のような状態なら、どうしようもない苦痛だろう。
もし、自分が同じ立場になったらよ想像しただけでも発狂しそうになる。それを光は味わってしまった。
ロウは震える光の拳に被せるように自分の手を置く。
「お兄ちゃんの手……温かいな」
ロウの手の温もりを感じると、光の手の震えがゆっくりとだが収まる。
「本当にびっくりしたんだからね。まさか、あんなに武装した人がいたのに助けに来るなんて。普通だったら死んじゃうよ。助けに来なくても仕方がない状況だったのに」
「だからって……見捨てられるわけがないだろ」
ロウは拳を固く握り締める。
被害者であり、誰のよりも助けを求めてい光が諦めてしまう程、あの時の敵は危険であった。
はっきり言って、光の救出作戦は無謀だった。
相手は滅びゆく世界で貴重な重火器を持った集団。たった十人程度であったが、元米軍兵生身の人間であり個々の質が非常に高く、火器の扱いも然ることながら、体術の長けていた。
そんな相手に所詮は一般人よりも少し腕っぷしがある程度のロウが正直に戦えば勝ち目はない。
あの時は同じく仲間や家族を拉致された同志と手を組み、凡そ百人の部隊で物量戦で何とか敵を殺し、ロウは生き延びることができた。
しかし、ロウ側の陣営も半分以上の死者を出し、ロウも一歩間違えればその中に混じっていても、なんら不思議ではなかった。
「命を懸けてでも私を助けようとしてくれた。そして、凄く悲しんでくれた。だからね、私はお兄ちゃんのこと、恨んでなんかいない。逆に尊敬してるの」
「光……」
光はロウの肩に寄りかかる。
懐かしい甘い匂いが鼻孔をくすぐる。
胸の奥でずっと突っかかっていた鉛がストンと落ちていく感じがした。
「お兄ちゃんは私が生き返っているのが嫌なんだよね」
「そんなわけないだろ!」
光の言葉に思わず、立ち上がり、声を荒げて否定する。
「ずっとお兄ちゃんを見てきたからわかるんだ。嘘をついているよね」
ロウは深く溜息を吐く。
「そう。私はエーテル様にこの命を貰った。お兄ちゃんの敵なのは事実」
ロウはまるで体の軸や芯が抜けたような感覚に陥る。
最愛の妹が敵。殺さなくてはいけない敵。
再会した時にその結末が来ることは重々理解していた。だが、実際に光の口から真実を告げられるとなるとショックは大きい。
「でもね……無暗に人を殺したくない。私もお兄ちゃんみたいにみんなを守りたいし、幸せでいて欲しい。だからこの楽園を作ったの」
「嘘じゃないよな」
光はロウの腕をぎゅっと抱き締め、一切視線を逸らすことなく、じっと瞳を見つめる。
淀みなどなく、吸い込まれそうになるほど綺麗に輝く青い瞳。
嘘は言っていないように見えた。
「納得いかないのならいいんだ。お兄ちゃんになら殺されてもいい。ううん。お兄ちゃんに殺されたい」
「縁起でもないことを……」
「変な人に殺されるのってすごく嫌だよ。最期くらいは満足したいよ」
光は袖をロウの袖を強く握りしめる
何も言い返すことができない。
光は下種な男共に女性としての尊厳を踏みにじられ、玩具扱いされて死んだ。それは単純に死ぬことよりも苦しかったことだ。
それなら、愛する人に悲しまれ、愛されながら死ぬ方が余程幸福だろう。
だが、殺す立場の人間からすればいい迷惑だ。ただ苦しく、悲しく、一生癒えることのない傷を負うことになるのだから。
「わかった。その時は……覚悟を決めるよ」
それでもロウは光の願いを受け入れる。
確かにロウにとっては苦痛以外の何ものでもない。しかし、最愛の妹の願いなら聞き入れるのが兄の役目。その願いが過去に受けた吐き気を催す程の苦しみから生まれたものなら、もうに二度と味わせてはならない憐みが受け入れる要因だった。
「ありがとう。お兄ちゃん!」
光は瞳を潤ませ、笑みを浮かべる。
殺して欲しいという願いを受け入れてくれたことに笑顔を浮かべるその様子にロウはやるせなさを覚える。
光にとって死は幸福の一つなのだ。いわば救済に近いもの。
あの時、救出が間に合っていればこんな考えに至ることはなかったのだろうか。癒えたはずの傷が再び疼く。
「それじゃあ、ここを案内するから!」
すると、光は勢いよく立ち上がり、ロウの腕を引っ張る。
あまりの勢いにロウは前のめりになって、倒れそうになる。
「待ってくれ! 急すぎないか!?」
「私の作った楽園を見て欲しいの」
ロウの前に立つ光は振り返り、
「それに今度は私がお兄ちゃんを連れ出す番だから」
と笑みを浮かべる。
「光……」
その笑みを目の当たりにした時、ロウは寂しさを感じた。光は変わってしまった。ロウの記憶の中ではロウが光の手を引っ張っていた。まだ守るべき存在だった光は今では自分の脚で進む道を決められるほど立派に成長した。
寂しくもあるが、同時に光の成長も感じられて嬉しくもあった。
これを生前で平和な世界で感じたかった。いつか、光の方から手を離し、愛する人の手を握って欲しかった。
光はロウと共に部屋から飛び出し、長い廊下を走る。
「プリンセスからの午後から公務が……」
廊下の奥からリヒトが大量の資料を抱えながら、ロウ達に向かってくる。
「全部キャンセル!」
「はぁ!? ふざけん……ふざけないでいただきたい!」
光の我儘にクールな落ち着いていたリヒトは声を荒げてしまう。
しかし、一切足を止めることなく光はリヒトの横を通り過ぎるのであった。




