再会
「これがプリンセス城……」
「本当に……私達の世界にこんな場所があったんだ……」
一歩、城内に入るとまるで異世界に足を踏み入れたような浮世離れした空間を目の当たりにする。
まず、現実という地獄を味わった来園者達を労うように出迎えるのは絢爛豪華な大広間。
一切のずれのないアーチ状の柱が並び、真っ白な壁所々に黄金が装飾されている。
天井には明らかに高級なシャンデリアによって明るく照らされ、さらに星と宇宙をテーマにした絵画が描かれている。
左右にが色とりどりのガラスが合わさったステンドグラスの窓があり、シャンデリアとはまた違った暖かく、鮮やかな光が広間を彩っている。
完全とも言えるバランスと一切の汚れも破損もない広間には一種の神秘性が感じられる。
素人目でもわかるその圧倒的とも言える芸術的美しさに来園者は思わず息を呑んで、酔いしれる。
ロウも同じように目を奪われる。ただ、城の内部と言うより、どちらかと言えば宮殿に近い作りだとほんの些細な感想を心の中で呟く。
「僕! あっちに行きたい!」
「私はあれが見たい!」
大人ですら好奇心を煽られる芸術的で浮世離れした空間。
当然、大人以上の好奇心を持つ代わり、理性を従わせる手段を持たない子供は本来の目的を忘れて、城内を冒険しようと集団から離れてしまう。
その瞬間だ。パッチワークは音も立てずに瞬時に子供達の前に移動し、行く手を阻む。
そして、子供の細い手首を強く掴む。
「勝手な行動は謹んで欲しいな」
「い、痛いよぉ」
パッチワークはぐっと手に力を入れる。一、二メートル離れた位置でも骨が軋む音が聞こえる。
痛みによって子供達は苦悶の表情と瞳に涙を浮かべる。
確かに子供と言え、勝手な行動はしかられるべきだ。場所によっては命の危険に関わる時があるからだ。だからと言って、限度はある。痛みという恐怖やトラウマを植え付けてまでしかるのは褒められたことではない。
見兼ねたロウはパッチワークの傍らまで歩き、止めようとする。
「おい。泣かせるまでやる必要はないだろ?」
パッチワークの腕を掴んだその時だった。ロウの全身に戦慄が走る。
着ぐるみというのは中に人が入っているはずだ。だから、掴めば何かしらの硬い感触がある筈。
しかし、なかった。パッチワークには何もなかった。
まるで空気がさほど入っていない風船を掴んでいるかのような呆気ない感覚。骨組みといった軸もない。
それなのに真っすぐ立ち、しっかりと歩く。子供を泣かせるくらいの力がある。
おかしいと思うには十分な材料がそろっていた。
「子供を離せ!」
ロウは力づくでパッチワークから子供達から引き離す。子供達を背中に隠すと、鬼の形相でパッチワークを睨む。
パッチワークはポーズを変えないまま頭だけを動かし、無機質な顔でロウを凝視する。
睨んでいるのかも反省しているのか、そもそも何を考えているのかわからないその表情が酷く不気味で背筋に悪寒いが走る。
「……さぁ、先に進もう」
パッチワークは何事もなかったように再び歩き始める。
歯向かった罰として、ペナルティという名の攻撃をもらうかと覚悟していたが特に何もなかった。
しかし、何もなかったからといって安心できず、寧ろ警戒心は増すばかり。気を抜いた瞬間、首を狩りに来るかもしれない。
何にせよ、警戒しておくことに越したことはない。
「ありがとうございます!」
パッチワークの背中を睨んでいると背後から子供達の母親が頭を下げ、感謝を述べる。
母親の足元には二人の子供が体を震わせながら、ぎゅっと母親の脚を掴んでいた。
「当然のことをしたまでだ」
すると、ロウは屈んで、子供達と視線を合わせる。
「二人とも次からは気をつけろよ」
二人の頭をクシャクシャと撫でる。
子供達は笑顔を浮かべ、「うん」と元気に首を縦に振る。
「なら、大丈夫だ」とロウは立ち上がり、再びパッチワークの後についていく。
まるで迷路のような入り組んだ城内を只管歩く。
通る道には絵画や彫刻等の芸術品が並んでおり、まるで美術館の中を案内されているかと錯覚しそうになる。
そして、長い螺旋階段を上ると長い廊下に辿り着く。
高い天井には白く照らす六シャンデリアが吊られており。また神や天使と言った神聖な存在が描かれた絵画五枚が等間隔で並べられている。
左右の壁にも等間隔で絵画が立て掛けられているがこちらは聖母や農民達が農業に勤しんでいる風景と言った普遍的な内容のもの
足元には赤いカーペットが奥まで敷かれている。
そして、奥には黄金に輝く扉があり、まるでその場所が人生の終着点、ゴールといった雰囲気を醸し出していた。
「僕の案内はここまでだよ!」
案内を終えたパッチワークは手を振って、ロウ達の前からいなくなる。
ロウ以外の来園者達は別れを惜しむように手を振って、パッチワークを見送る。
得体の知れない存在がいなくなり、ロウはほっと一息をつく。
しかし、安心するのも束の間。突然、放っておかれた来園者達は次は何をすればいいのか?
先程の子供達を見るに勝手な行動はできない。だからと言って、全く動かずにいるのもできるはずがない。
「これから俺達はどうすればいいんだ?」
「ここからは私がご案内いたします」
ふと、廊下の奥から青年の声が聞こえてくる。
今来た道からパッチワークと入れ替わるように現れた一人の青年。
ワックスでガチガチの固めたオールバックの黒髪。キリっとした眉毛に三白眼。スラリとした細身の体によく似合う真っ黒な燕尾服。胸元には赤いネクタイをつけている。
「あなたは?」
「申し遅れました。私はプリンセスの執事を務めさせていただいているリヒトでございます」
執事――リヒトは名乗ると右手を胸に当て、深々と頭を下げる。
まるで教材通りの礼儀正しい振る舞いは来園者達の不安を簡単に取り除く。特に女性達はリヒトの背筋をなぞる様な心地よい声と甘くてハンサムな顔立ちに目を奪われ、うっとりとしていた。
ロウはじっとリヒトを睨む。
表情の見える人間なだけマシだった。
「さぁ、皆様。この先は王宮でございます。中でプリンセスがお待ちです」
リヒトは指を鳴らすとと重い扉が開く。
まるで超能力や魔法と言った類の芸当にロウ以外の来園者は目を丸くする。
扉が開き、リヒトは左手を出し、来園者達を王宮へと案内する。
来園者達はこの楽園を統べる存在と対面すると聞いて、背筋をピンと張り、コンパスのような脚で恐る恐る扉をくぐる。
ロウもいよいよ謎と言うベールに包まれたプリンセスの正体を暴けるかと思うと流石に緊張する。
果たして、ロウの不安が的中するのかはたまた杞憂で終わるのか。
後者であって欲しいと願いながら他の来園者達に続いて王宮へ足を踏み入れようとし時、ふと奇妙な視線を感じる。ふと、左を見るとリヒトが先程の甘いマスクからは想像できない鬼の形相でリヒトはロウを睨んでいた。
「俺の顔に何かついているのか?」
「えぇ。化けの皮がね」
「ほう、面白いこと言うじゃないか」
リヒトの淡々と発したその言葉にロウは思わず笑ってしまう。
「なぜ、笑う!」
笑うロウにリヒトを静かに怒りを露わにする。
「すまない。ただ、ここに来て初めて人間らしい人間を見たからさ」
ロウの笑いはリヒトにとっては馬鹿にされたように見えていた。しかし、ロウは嘲笑したわけではない。安心から零れた笑みであった。
楽園に来て、中身のいない着ぐるみや仮面を被ったような気味の悪い人間達しか見ていなかった。
そんな存在ばかりが蔓延るこの楽園で、リヒトは怒りという感情を露わにした。
それにリヒトの皮肉は自らがロウの敵……すなわちこの楽園が転生者が関係していると説明しているようなものだ。
化けの皮。それが人と狼鬼の二つの姿を持つロウに相応しい皮肉であった。
ロウとしては確信に近いものを抱いているもののそれでも疑いからは脱却できていなかった。その間にも闇討ちや暗殺でも遂行しておけば多少は傷を与えられたかもしれない。しかし、確信に変わった今は最大限の警戒状態の今、転生者程の力がなければ指一本すら触れられなくなった。
楽園の住人達のように感情を表わさなければ良かったものの、理由はわからないがリヒトは余計な感情を露わにしたおかげで少なからずチャンスを潰した。
そういった人間らしさを見て、この楽園に人間がいると知って、安心して笑ったのだ。
「安心したよ。あんたを見て」
「……どうして、あなた達はそういうことを……」
ロウの言葉を聞いて、リヒトは歯を食いしばり、視線を逸らす。
ロウには見当がつかなかった。何故、リヒトはロウに対してここまで嫌悪をするのか。
敵であるからと言えばそれですんでしまうが、それにしても感情のベクトルが鋭い。
まるで親を殺した仇や、恋人を奪われたかのようなそんな感じだった。
その言葉に不可解さと不安を抱きながら、いよいよ王宮へと入る。
「ここが王宮か」
ロウは一度深呼吸をして、王の間を見回す。
広間に比べれば流石に狭いものの、相変わらずシャンデリア等のものが配置されている。
一番の相違点と言えば王宮の一番奥の階段の上に置かれた黄金の玉座。
ロウは玉座を睨む。玉座に座る一人の少女。
玉座につくほどの長い黒髪に淡いピンクの美しいドレスに身を包み、プリンセスの倍以上あり、身の丈に合っていない玉座に座っている姿はまるで人形のようだ。
そして、肝心の顔は薄いベールが覆っていて、よく見えない。
「彼女がプリンセス……」
ロウ以外の人達はプリンセスに釘付けになる。
ベールによって遮られた顔は見えず、正直なことを言えば美人かどうかすらわからない。
だからこそ、人々は惹きこまれるのだ。未知の存在や隠された存在、圧倒的な存在を目の当たりにした時、人は好奇心や探求心を刺激され、存在を明らかにせんと躍起になる。狭いところで言うなら噂話や都市伝説。広いところで陰謀論やUMA、遺跡。
きっとプリンセスはそのような存在なのだ。別の観点から見ればそれは神に等しい存在だ。
「皆のもの、よくこの楽園に辿り着きましたね」
来園者達がプリンセスに見惚れている時、プリンセスはゆっくりと口を開き、清く澄んだその声を人々を届ける。
「その声は!」
愛くるしいその声を耳にした時、ロウは思わず目を見開く。
聞き間違えるはずがなかった。忘れるはずがなかった。
ロウのことを兄と呼び、慕ってくれたあの声を。
あの時、助けられず、二度と聞くことができないと思っていたあの声がこの最悪の状況になって、叶ってしまった。
悔しくて、心苦しくて、これから起こるであろう結末を予感し、絶望した。それでも、あの声が聞けたことにロウは幸福を感じていた。
「ここまで来るのにきっと想像を絶する苦難を味わってきたことでしょう。しかし、もう安心なさい。あなた達は……救われました」
まるで幼子の頭を撫でるかのような愛情深い聖母のような言葉にロウ以外の来園者達は涙を流して聴き惚れる。
「楽園は……あなた方を祝福します」
楽園に住まうことを許され、来園者達は歓喜する。まるで、四肢に繋がれた枷を外され、晴れて自由に身となった罪人のようだ。
地獄のような世界から脱却し、幸福のみが存在する世界で後の人生を送る。
ロウも以前の世界で苦しみながらも生き抜いてきたからこそ、来園者達の気持ちは自分の事のように理解できる。
来園者達のテンションが最高潮に達している最中、リヒトが申し訳なさそうに割って入る。
「皆さん、歓喜しているところ申し訳ございません。これから私についてきて、色々と説明及び洗礼を受けていただきたいのですが」
「洗礼?」
洗礼という言葉にロウは反応する。
カルト宗教では洗礼と評して洗脳じみたことを行うところも少なからず存在するからだ。
「はい。あなたが思っているほど恐ろしいものではないのでご心配なく」
「あぁ、そうかい」
リヒトはロウの警戒を見抜き、煽るように指摘する。
「さぁ、皆様。私についてきてください」
リヒトは来園者達を引き連れ、洗礼に向かうように先導する。
不信感はあれど、この楽園で溶け込むには従うわなけれはならない。郷には入れは郷に従う。
ロウも渋々、リヒトの後に続こうとしたその時だ。
「お……おい! そこの赤いジャケットの方」
赤いジャケットの服を着ているロウをプリンセスは呼び止める。
ロウの脚が蝋によって硬めらたかのように動かなくなる。
「あなただけはここに残って……ください」
先程まで語りかけるような話し方から一変し、どこか馴れ馴れしさと敬愛を感じる話し方になる。
ロウの額から脂汗が流れ出る。動悸が激しくなり、喉に鉛玉が詰められたような感じがして息苦しい。
いよいよプリンセスの正体を知る時が来た。
本当にプリンセスが予想する少女なのか? はたまたただ似ているだけの人物なのか。
不安と恐怖に僅かに抱いてしまっている希望が混ざり合って、後味の悪い感情になる。
「プリンセス! 何を仰るのですか! こいつは!」
「だからこそ彼と対話する必要があります」
「ならば、私も同伴します!」
「お願いです。二人きりに……させて」
リヒトはロウとの対話を必死に止めようと説得するが、プリンセスは考えを曲げることはない。それどころか涙ぐんだ声で訴えかける始末。
「わかりました。お気をつけて」
執事という立場である以上の仕える相手であるプリンセスの命令は絶対。それに涙ぐんだ声を聞いても、願いを聞き入れないのは男として褒められたことではない。
リヒトは舌打ちをするとプリンセスに深々と頭を下げる。
そして、ロウ以外の来園者達を引き連れて王の間を後にする。
静寂が王の間に流れる。張り詰めた固い空気は吐き気を催す程、息苦しい。
「……こっちに来て」
プリンセスはロウに手招きをする。
一つ、深呼吸をしてロウはプリンセスの元へ歩いていく。
足取りが重くもあり、軽くもある。
真実を知りたい。でも、その真実がもし、ロウの不利益となる、傷を負わす存在である可能性が高い。
時には真実なんてものは知らない方が幸福なことはある。プリンセスの正体を探らないまま、殺せば負う傷は少ないかもしれない。
だが、何も知らないまま物事を終わらせて、その結末に納得がいくのか?
わからない。だから、ロウは真実を探ることを選んだ。
例え、自身に立ち上がれない程の傷を負うことになっても。
決して、許されることのない罪を背負うことになっても。
「ここまで……来たぞ」
ロウは玉座に続く、階段の前に立つ。
ここから先は王に許された者のみが上がることを許される場所。
平民とは立場が違う王の存在を知らしめる場所。
「上って」
「あぁ」
指示されるままにロウは階段を上る。
一段ずつゆっくりとプリンセスへと近づく。
遠くにいたプリンセスの姿が大きくなるたびに最愛の妹の姿が重なる。一段上る度に幻影の妹は成長していく。
幼稚園の頃から小学生。中学生かすくすくと育ち、死んだあの年の姿に変化した時、ロウは目の前にプリンセスがいた。
プリンセスはゆっくりと玉座から立ち上がる。
そして、ロウの両手を手に取り、顔を覆うベールを掴ませる。
懐かしいその手の感触で気づいた。自分の予感は当たっていたと。
確信したロウは戸惑うことなくベールを上げる。
「……やっぱりか。光」
ベールの奥にある顔を見て、ロウは悲しい笑みを浮かべた。
会いたくて、会いたくて何度も願った妹――保谷光がロウの目の前にいた。
言葉にならない感情がロウの心の中で生まれた。
確かに死ぬ直前まで再会を望んでいた。でも、お互い同じ人間という種族で再会したかったのだ。
こんな害虫と同等の存在であり、殺し合わなければならない転生者という種族での再会は一切、望んでいなかった。
「やっと……会えた!」
しかし、光は違った。
瞳に涙を溜め、満面の笑みを浮かべてロウとの心の底から喜んでいた。
そして、ロウに固く抱きつく。これからは絶対に離さない言わんばかりに固く、きつく。
二度と味わえないと思って光の感触をロウは味わっている。
匂い、感触、呼吸、全てが愛おしい。
ロウの絶対に塞がることがないと思っていた心の隙間が一瞬で塞がり、満たされていく。
それが幸福だった。
「あぁ、会えたな。ずっと会いたかったんだ」
ロウはゆっくりと光を抱き締める。
瞳から一筋の涙が零れた。




