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月下

 夜の森は光は一切なく、闇に覆われ一寸先すら見えず、背筋を撫でるような恐怖があった。

 その恐怖を増長させるように不気味な獣の遠吠えが響き、木々の上から鋭く睨む鳥の目が怪しく光る。

 また、肌を撫でるような冷たい風が木々の間から吹き、嫌でも鳥肌を立たせる。


「なぁ、何処まで行くんだ?」


「もう少しだ」


 いつ獣に襲われてもおかしくない状況でもタウシェンは臆することなく、先の見えない獣道を黙々と進む。一歩踏み出す度に小枝の折れる音が耳に入る。

 命を懸けても向かう場所というのは一体どういう場所なのだろうか。万病に効く秘湯か。それとも極上の果実が生る木があるのか。皆目見当がつかない。

 そんなことを考えながらタウシェンの後を付いていくと、やがて暗闇に一点の光が見えてくる。どうやら森の出口のようだ。


「あれに向かうぞ」


 タウシェンは光に向けて、勢いよく走りだす。まるで楽しみにしていた遊園地のアトラクションに向かう子供みたいだった。

 あの光の先には一体何があるのだろうか。期待が胸に中に広がる。

 そして、ロウ達は森を抜ける。


「いい景色だろ」


「あぁ。絶景だ」


 視界に広がる絶景に、ロウは目を奪われる。

 ロウ達が出た場所は高い崖。崖の下は大きな森が広がっている。

 そして、頭上には大小様々な無数の星が雲一つない夜空に散りばめられていた。

 ここら周辺で一番高い場所のようでこの空を遮る木や山はない。


「ここは俺だけの場所。お前以外に誰も教えていない」


「そうなのか」


「なぁ、知ってるか。人って死ぬと星になるんだってな。だから星の輝きは命の輝きらしいぜ」


「何だそれは。でも……悪くない」


 まるでおとぎ話や神話のような幻想のような話。

 だが、想像力豊かな人間だからこその文化。

 死という未体験の事象に人は必ず恐怖する。死ぬということは痛いのか苦しいのか、もしかしたら気持ちいいかもしれない。例え、後者だとしてもそれを伝える者はいない。

 だから、恐怖を和らげる為に、そして亡くなった家族や大切な存在への悲しみを和らげる為にこのような御伽話を作ったのかとロウは考えていた。

 因みに一度死んだことがあるロウは死を冷たく、恐ろしいものと捉えていた。


「俺の家族もきっとあの中に入るんだろうな」


 タウシェンの言葉を遮ることなく、ロウは黙って聞く。

 すると、タウシェンは「よいしょ」と言って、腰を落とす。


「俺の家族はな。強盗に襲われて死んだ」


 そして、星を眺めながらタウシェンはポツポツと語り始める。


「その時は俺はまだ子供で……今ほど強くなくてな。ただクローゼットに隠れて怯えることしかできなかった。そして……見たんだ。クローゼットの隙間から両親と……弟が殺される瞬間を」


「心中……察する」


 無力と弱さは罪だ。何も守れないものに幸福を手に入れることも与えることもできず、ただ己を憎み、後悔することしか許されない。

 ロウも最愛の妹を守れず、今もずっと悔やんでいる。

 そして、タウシェンは目の前で家族を殺された。恐らくロウ以上に自責の念に駆られているはずだ。


「それから、俺は強くなるために……誰かを守れるようになるためにここに来た。お前もそうだろ」


「何故、わかる?」


「同じ匂いがしたから」


 タウシェンは自分の鼻を指しながらニッと笑う。

 確かに似た境遇を持つ者は共感しやすい。

 だが、ロウは少し疎外感を感じていた。確かに同じように大切な家族を守れず、失った者同士。しかし、タウシェンはロウと同じかそれ以上の苦しみを味わっているにも自然に笑い、二の轍を踏まないように強くなろうとした。

 思い返せばロウに笑う余裕はなかった。崩壊した世界という環境であっても、他者の為でなく自分の為に強くなろうとした。

 同じ境遇でありながら正反対の道を歩んだ二人。ロウはただ、己の弱さを思い知らされるだけだった。


「……そうだ。俺も家族を失った。両親は餓死して、妹はレイプされて……」


「だからか。ゲーハに怒ったのは」


「似てもいないのに重ねたんだ」


 タウシェンはロウを信頼し、辛い過去を話した。ならばその信頼に応えたいと思ったロウは自身の過去、ゲーハに対して異常な程の怒りを向けたことへの理由を説明した。


「俺は……この世界の人間じゃないんだ」


 そして、自分が異形の存在であることも。


「は?」


 ロウの告白にタウシェンは目を丸くする。


「別の世界で生きていて、死んで、この世界に転生というか転移してきたんだ」


「何だそのファンタジー。でも……お前がそんなあり得ない嘘を言うような人には見えない」


 初めこそは鼻で笑う。しかし、冗談が得意ではないロウがそんなことを言うはずがないとタウシェンは認識していた。

 そして、ロウのまるで狼のようなキツイ表情を見て、嘘をついていないことを確信した。


「この世界には俺と同じで転生した人間……転生者が蔓延っている。転生者はこの世界の人間を無差別に殺し、生贄として、ある邪神を蘇らせようとしている」


「お前は……それに加担しているのか?」


 タウシェンはロウを睨む。

 睨むその目には怒りと不安が映っていた。

 風が靡く。木々が擦れ、森が騒めく。


「いや、それを阻止するために転生した。俺は転生者を狩る転生者だ。毒を持って毒を制すと言うだろ?」


 ロウが答えるとタウシェンは腕を組み、何かを考えこむ。

 静寂と重苦しく張り詰めるた空気が流れる。

 信じるべきかどうか迷っているのか迷っているのだ。これに対しロウは何も言わない。信じられないのならそれは仕方がない。そもそも他者の言うことなど間に受けてはならない。九割は信じても残りの一割は疑うもの。

 それにロウは万人を救ってきた善人でもない。生前は生きるために他者を殺し、この世界でも偽善で町一つを混乱に貶めた。

 寧ろ、悪であると糾弾や批難されることを望んでいた。その方が贖罪になり、不要な期待や重圧から逃れられるからだ。


「お前、真面目だな」


 しかし、タウシェンはロウの神妙な面持ちを見て、本性が生粋の悪でないことに気づき、と安堵する。


「本当に悪ならそんな顔しない。ゲーハみたく、自分の行い正当化するし、悪びれない。でも、お前は後悔している」


「……そうだ。後悔こそが毒なんだ。ここに来るまでに何個も街を崩壊させてきた。それに転生者を狩るには誰か食わなければいけない」


「人を……食う」


「人なんて食うもんじゃない。あんなの苦しいだけだ。それも大切な人であればあるほどな。もう人なんて食いたくない。でも、食わなければ真価を発揮できず、ただ殺されるだけ。そして、唯一対抗できる力を持つ俺が死ねば、もっと沢山の人が死ぬ。それはもっと……」


 夜空に浮かぶ星を見つめながら、犠牲になった二人に思いを馳せる。

 エマは子供達を救ってもらう為に自らの命を差し出した。

 キャシーはほぼ介錯であったが、それでも体を交えるくらい、信頼してくれた。

 そんな二人をこの手でかけ、あまつさえ食らうなどロウにとってこれ以上にない裏切り行為でしかなかった。例え、それが万人救う犠牲であってもだ。


「多数の為の……少数の犠牲……か。お前も……苦労してんだな」


 タウシェンも星を見上げる。


「なぁ、一つ聞いていいか?」


「なんだ?」


「どうしてお前はそんな辛い思いをしてまで戦うんだ。普通の人間なら他人の為にそこまでしないはずだ。お前を突き動かすのはなんだ?」


 星からロウに視線を移し、タウシェンはロウに問いかける。

 普通の人間なら家族や友人ならまだしも赤の他人。ましてや別の世界の人間の為に戦うなど、はっきり言って異常だ。もし、その行動に利益があるのなら、その利益が苦しんでまで得られるものならまだ理解できる。


「誰かが理不尽な悪意で苦しんでいる。それを……見過ごすことができなかった」


 しかし、ロウは利益など求めていなかった。


「俺の生きていた世界は戦争によって滅んだ。そこに市民や国民の意思はなくただ、国のトップのくだらないプライドと利益の為に、世界は汚染され、殆どの人間が死に絶えた。みんな、理不尽な悪意に殺された。俺は……何もできず、理不尽な悪意に飲み込まれた」


 ロウは歯を食いしばり、拳を固く握る。

 幸せな日常が、気の合う友人達が、愛した人達が理不尽に奪われる苦しみは今でも心に刻み込まれている。

 そして、全てを奪った理不尽な悪意を激しく憎んだ。しかし、ただの人間であるロウに世界を動かすことも、救うことなどできなかった。


「死んでからってのもおかしいけど、俺の世界以外にも理不尽な悪意に襲われている世界があることを知った。痛みを、苦しみを知っているからか、他人事に思えなかった。そして、理不尽な悪意を倒す力を手に入れるチャンスがあった。俺はあんな苦しみを……誰にも味わせたくなかった。理不尽な悪意から世界を救いたい。だから、俺は戦うことを選んだ」


 理不尽な悪意から人々を救いたい。

 そもそも見捨てることができなかった。今までたくさんの人々を見捨ててきたから、その後悔と贖罪の意味こめて、せめてこの世界だけはどうにかしたい。

 そういった願いと思いからロウは戦うことを決めた。


「お前は……本当に優しい人間だな」


 タウシェンは声高々に笑う。目の前にいる人間が、弟子という下と思っていた人間が自分とは比べ物にならないくらい、高い理想と覚悟を持っていた。

 自分が如何にちっぽけな人間でなのか思い知らされ、ただ笑うことしかできなかった。


「人の痛みになれる。それは普通の人間じゃできない。どん底を味わったお前だからこそ、できることなんだろうな」


 すると、タウシェンは懐から小さな酒瓶と二つの赤い盃を取り出し、内一つをロウに差し出す。


「これはどこから?」


「倉庫からパクってきた」


「いいのか? バレたら怒られるぞ」


「バレなきゃいい」


 確かここでは余計な食事や飲酒は禁止している。

 だが、規律に厳しいはずのタウシェンはがまるでいたずらっ子のような無邪気な笑みを浮かべながら、ロウの目の前に置かれた盃に酒を注ぐ。


「なぁ、俺と兄弟の盃を酌み交わしてくれねぇか?」


「どうしてだ?」


「俺の村では心の底から認め、尊敬する相手には盃を交わすしきたりがあってな。お前が俺を認めてないなら受けなくてもいい」


 そして、タウシェンはロウの前に酒瓶を置く。

 ロウはただ嬉しかった。自分を一人の人間として認めてくれた。自分を肯定してくれる人がいた。それが何より幸せな事か。

 孤独だったロウには身に染みて理解している。  


「ありがたく受け取らせてもらう」


 ロウは酒瓶を手に取り、タウシェンの盃に注ぐ。

 そして、酒瓶を置き、盃を手に取る。


「今日から俺たちは兄弟だ。そして、たくさんの人を守ることを誓う」


「あぁ。勿論だ」


 二人は同時に酒を喉に通した。


♢ ♢ ♢


「ち、畜生! あの二人! いつか殺してやる!」


 ロウ達が盃を交わしている間。深い霧がかかる修練場と麓を繋ぐ階段をゲーハ一向が下りていた。

 己の欲を満たすためにヒナタを襲い、ガクに手を上げた彼らはロウ達にコテンパンにされ、挙句に破門された。

 ゲーハは崩れた顔面で摩りながらロウとタウシェンを逆恨みした。奴らがいなければ自分の欲を満たせた。働かずに飯を食べられた。厳しい修練こそあるが、古株だったこともあって特に押さえつけられることなく悠々自適に暮らせるはずだった。

 しかし、それもたった二人のせいで崩れ落ちた。

 ゲーハは自分をコケにし、居場所を奪ったことに対し、激しい憎悪と異性に好かれる二人を激しい嫉妬を抱いた。

 この負の感情をいつか晴らさんと決意しながら階段を下りていた。


「ちょいとそこのあんたら」


 階段を下りているゲーハ達の前に色黒の男が霧の中から現れる。

 ゲーハ達は男を怪しむ。猛獣が犇めく森に囲まれ、暗闇に包まれた夜分遅くにこの階段を扱う人間など殆どいない。回避できる危険を冒してまで修練場を訪ねる人間などはっきり言って異常者か正真正銘の馬鹿しかいない。


「な、なんだ!」


「この上に人がいるのかい?」


「な、何を言って!」


 愚かなゲーハ達でも気づいた。この男は異常だと。

 この階段を上る必要があるのは修練場に用がある者だろう。しかし、男は上に何があるか知らない。なのにこの階段を上ろうとしている。

 そして、何より何故、人がいるかどうかを聞くのか。例え、道を誤った旅人であっても、助けを求める人間でもわざわざこの階段を上る非効率的なことをするか。そもそも、麓から少し歩けば村があるからそこにばいい。


「もう、だるい」


 なかなか口を開かないゲーハ達にイラついた男はゆっくりと右手を前に出す。

 すると、本来ならあり得るはずがないこと……腕をまるでゴム紐のように伸ばし、ゲーハの取り巻きの一人の頭を掴む。

 そして、固いはずの人間の頭部を握り潰す。血が散乱し、粉々に砕ける頭部はまるで林檎のよう。


「いいから。あるのかないのか答えろ」


「ひ、ひぇぇぇぇぇ!」


 今さっきまで人間だったものの残骸を目の当たりにし、ゲーハ達は恐怖によって狂乱する。

 死にたくない。そんな単純で当然の生存本能をむき出しにし、慌てて下に降りようとする。


「待てよ。折角だ。あんたらもクソ神の生贄なりな」


 男は悪魔のような笑みを浮かべると背中から三本の腕を生やす。そして、五本の腕を使って逃げるゲーハ達を捕獲する。


「い、やだぁぁぁぁ!」


「死にたくなぁい!」


 ゲーハ達は涙と涎をまき散らしながら命乞いをする。

 しかし、そんな声に耳を傾けることなく、男は頭上でバラバラになった粘土を一体化させるように五人を同時に潰す。

 潰れたゲーハ達の血が男の頭上から滝のように流れ落ちる。だが、嫌な顔を一つせず、寧ろ清々しい顔をしながらハンバーグのたねを作るようにゲーハ達だったものを捏ね、肉塊にする。


「悪いね。下の村人を皆殺しにして、ただでさえ荷物が多いし、あまりにもここが辺境の地だから運びやすいように一緒にさせてもらったよ」


 血塗れの不気味に笑う。

 笑うことは殺すことに快楽を感じているのか、己の狂いように呆れているのか。

 それは本人のみぞ知ること。


「さぁて、面倒だが……確認しにいくか。んで、これは帰りに回収するか」


 男は溜息を吐きながらポイっと投げ捨て、階段を一段ずつ上っていくのであった。

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