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不変

 時は経ち、空には太陽が沈み、下弦の月が浮かんでいる。

 静かで冷たい夜風が湯に浸かり、温まったロウの体を冷やす。


「また……熱くなって……」


 浴衣姿のロウは縁側に腰掛け、己の手を見つめる。

 掌は大した傷はない。しかし、裏を返し、手の甲を見ればまるで同じ手には見えない傷と肉刺ができていた。

 修行の際にできた傷もあるだろう。しかし、殆どの傷は今日新しく発見したばかり。

 ゲーハを散々殴り、甚振った時にできた傷はまるであれ以上傷付くことのできない代わりに負ったものに見えて仕方がない。


「何も……変わってないじゃないか……」


 ロウは俯き、頭を抱える。

 感情的になって行動した先にいい結果は残りにくい。

 現にリーンドイラは後先考えず、感情的になって行動した結果、多数の犠牲を生み出し、奴隷を誰一人救えず、町は半壊の状態となった。

 あの事件を後悔しているにも関わらず、ゲーハには煮えくり返るような怒りをぶつけた。

 反省、後悔をしても同じ過ちを繰り返すのは猿や鴉以下の馬鹿。

 どうすれば感情の暴走を止められるのか。今のロウでは一瞬でオーバーヒートする感情の処理が追いつかない。


「あの……ロウさん」


 己の愚かさに悩んでいると、背後からロウを呼ぶ声が聞こえてくる。

 徐に声が聞こえた方向に顔を向けるとそこに寝間着姿のヒナタがいた。


「……何だ」


「今日は……その……ありがとうございました」


 ヒナタはへその前に両手を重ね、手本のような綺麗なお辞儀をする。

 その一つの動作でヒナタの育ちの良さと真面目な性格の両方が理解する。


「別に当たり前のことをしたまでだ」


 礼を言われる筋合いなどロウはないと思っていた。仲間というのは互いに助け合うものであり、助けるなんてことは当たり前のことだ。

 そもそも、仲間を見捨てることなど見捨てる本人にとっても胸糞悪いこと。以前の世界でロウは自分が生きる為に親友や恋人を見捨ててきた。あの時の苦しみ、親友と恋人を後悔させないように必死に浮かべた笑みは今でも忘れない。


「……私はあなたが羨ましいです」


「強い……からか?」


「それだけじゃないです」


 すると、ヒナタはロウに隣に座り、月を眺めながら語始める。

 自分の置かれた環境と辿る筈であった道のことを。


「私は小さな国の貴族の娘なのは知ってますよね。幼い頃から可愛いドレスを着せて貰って、好きな玩具や食事も与えられて、学校にもちゃんと通わせてもらい、何不自由なく、過ごしていました」 


 ポツポツと語始めると小さな野鳥がヒナタの隣に止まる。ヒナタは鳥を見ながら、語り続ける。


「でも、不自由がないと思って日々は急に終わりました。姉と弟が別の貴族の家族になりました」


「それが……ヒナタにどう関係した?」


「姉には平民の婚約者がいました。でも、両親は平民と結婚してところで家の未来に繁栄はあるのかと言われ、無理矢理別れさせられました。弟なんてまだ十歳で女性を知らないのに四十超えた貴族の女性と結婚させられました。その時、気づいたんです。私達には未来を選択する自由がない、籠の中の鳥」


 ロウはただ黙ってヒナタの話に耳を傾ける。


「そして、遂に私のところにも縁談の話が来ました。相手は六十の男の方でした。あんまり言いたくはないのですが、容姿もそこまで優れているわけでもなくて、それに私を見ると鼻息を荒くする姿を見て…

…気持ち悪いと思っていました……。正直、一緒に人生を歩みたいとは思いませんでした。でも、父に何も反論できませんでした。嫌だの一言も言えず……私はその運命に身を委ねようと思っていました」


 ヒナタを手は酷く震えていた。

 何か余程婚約相手のことが恐ろしかったのか、それとも何もできない自分に憤りを感じているのか、はたまた両方か。

 親にレールを敷かれることもなく、心から愛せた恋人がいたロウにとってヒナタはまるで真逆の存在。

 それ故にヒナタの話というのはあまり理同情しにくいものだった。


「でも、結婚が近くなる度に胸焼けみたな感じになって、吐きそうになるくらい、一日を過ごすのも死にたくなるくらい苦しくなって」


「それで、家を出たと」


 ロウがそう言うとヒナタは首を縦に降る。

 ヒナタの隣で羽休みをしていた鳥が夜の森へ向かって飛び立つ。


「でも。ここに来ても私は何も変わっていません。強くもなれなくて、変なことを言えば世間知らずと馬鹿にされたり、否定されたりするのが怖くて……感情を押し殺してしまう。だから、ロウさんみたいに必死になって誰かを助けたり、タウシェンさんにも言いたいことを言えるのが凄いなって……」


「そうか……」


 ロウにとって忌まわしいとさえ思うところがヒナタにとっては誰よりも優れた素質と思われるのは何という皮肉だろう。

 これが野に放たれ、力がなければ生きられない環境で生きた野生と籠の中で愛され、どんなにか弱くとも世話をされた養殖の差なのかとロウは思った。

 それに憧れの存在はただ力を手に入れただけで、それ以外は何一つ進化していない。

 何というかヒナタはただ周囲に怯え、無いものを強請ってばかりの我儘な子供にしかロウは見えていなかった。


「別に特別なことをしているわけじゃない。自分を信じなくちゃ生きてはいけない環境にいたから。それに俺の周りには俺を傷つけようとする敵しかいなかった」


 ロウはスクっと立ち上がり、ヒナタに背を向ける。


「はっきり言おう。君はここにいてはいけない。優しすぎる君はここにいても強くはなれないし、変われない」


「そんな……」


 背後から落胆の声が聞こえる。

 感情を顕にする、物事をはっきり言うということ時には人を傷つける暴力にもかる。現にロウの言葉はヒナタを傷つけている。


「でも、君には俺にはない優しさがある。それはここではどこか、この世界で必ず誰かが求める素質だ。だから……それを生かすべきだと思う」


 そう助言して、ロウはヒナタの前から去る。

 ヒナタの守る為とは言えども誰かを傷つけること、虫一匹も殺せないような優しさがある。

 そして、感情を殺すというのは必ずしも悪いことではない。確かに本人にとってはとてつもない苦痛かもしれない。その痛みをロウは微塵もわからない

 でも、その優しさを必ず求める人は世界にきっといる。

 何も変わることだけが進化ではない。変わらず、()いところも伸ばすことができるのも進化の一つだ。


「随分、辛気臭い面してんな」


「タウシェン……」


 廊下を歩いている今度はタウシェンが目の前に現れる。

 こんな時間になんだと思っているとタウシェンが手招きして、


「おい、着いてこい」


 と言う。


「夜遅くに何を言ってる?」


 もう夜は深い。今から修行するには遅い上に場所に周りも見えない程暗い森の中を逝かなければならない。

 それに休息も修行の一つであり、ロウはそろそろ眠りにつきたいと思っていた。

 しかし、タウシェンは「いいから」とロウの感情など無視して、下駄を履いて、外に出てしまう。

 ロウはハアと一つ大きな溜息を吐いて、タウシェンの後を追う。


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