激怒
静かな森の中にまるで天まで届くので葉ないかと錯覚する程高い崖から轟々と落ちる滝。
ここでは戦士達が大地から溢れ出た生命溢れる水よってに身を清め、容赦なく流れ落ちる滝に身を打たれ、心を鍛える場所。
そんな神聖とも言える滝の周辺では七人の男達が膝をつくガクを囲み、一方的な暴力を振るっていた。
「おいおい。修行の成果を見せてくれよな」
男達は容赦なく蹴り、時には胸ぐらを掴んで持ち上げては顔面に何発もの拳をぶつける。
ガクは一方的に振るわれる暴力に一切抵抗することなく、歯を食いしばって耐えている。
ガクも実力がないわけではない。流石に七人全員を倒せなくても半分近くは倒せるくらいの実力がある。
しかし、実力が出せない理由があった。
「もう……止めてください!」
「駄目だね。この俺様に楯突いた罰だ。半殺しにしてやれ」
ガク達から離れた場所にはゲーハとゲーハに後ろ手に拘束されたヒナタがいた。
ゲーハ達に襲われているヒナタを助ける為、ガクは一度ゲーハと相まみえた。ガクとゲーハは実力の差は歴然であり、終始ガクの優勢であった。だが、実力で勝っていた代わりにゲーハには仲間がおり、数的不利を背負ってしまっていた
その結果、数人を相手にしている間に余った男によってヒナタを人質に取られ、手を出せば、傷つけると脅されてしまい、現在に至る。
「さぁ、俺と交わろうや……」
ゲーハはヒナタの顎を掴み、強引に引き寄せる。そして、唇を奪おうと顔を近づける。
ヒナタは瞳に涙を溜めながら小さく「嫌!」と悲鳴を上げ、顔を左右に振って拒むがゲーハの力は強く、振り解くことができない。
「さぁ、俺と交わろうや……」
ヒナタの唇との距離がほんの数センチまで迫る。
その時だ。ガクを囲む男の一人に、獣が飛びかかる。襲われた男は短く悲鳴を上げる。
「何事だ!」
悲鳴を聞いたゲーハは慌てて、視線を悲鳴が聞こえた方向に顔を向ける。
視線の先にはうつ伏せに倒れる仲間の一人。そして、その傍らにはまるで鷹のような鋭い目でゲーハを睨みつける。
「お前ら……つまらないやり方で!」
ロウは露骨に怒りを見せる。
人質を取り、圧倒的な数で一人を叩く。反吐が出るほどの卑怯な手段。
「ヒナタ!」
森の中からロウを追ってきたチカゲが現れる。
「う、動くなよ!」
ロウの強さと恐ろしさを身に染みているゲーハは慌てて、ヒナタの首元に短剣を当てる。
「あなた、藍衛流の教えを学んでおいて、そんな非道を行うなんて!」
「何が教えだ! そんな物はただの布切れだ! 俺は力だけが欲しくてここに来たんだよ!」
すると、ゲーハはまるで痰を吐き捨てるかのように言葉を吐く。
確かに教えや思想などというのはチカゲのように意味を見出そうとしなければ何も意味をなさない文字の羅列にしかならない。
「……最低!」
「弱者は俺達みたいな強者の踏み台であればいい。そして、女は俺達を満足させる玩具でいればいい!」
ゲーハは傲慢な男であった。
他者を思いやること、リスペクトなど一切せず、自分さえ幸せであればそれでいい。そして、他者を見下し、女性を見下す差別主義者。
類を見ない外道にチカゲやヒナタは整理的嫌悪感を抱かざるを得ない。
「……ざけるな!」
ロウの拳が小刻みに震える。
狼のように低い唸り声を上げ、歯を食いしばる。
ゲーハの言葉がロウの逆鱗に触れた。
妹が玩具のように扱われ、女性として、生命としての尊厳を踏みにじられながら逝ってしまった、あのシーンがフラッシュバックした。
「俺の妹を……侮辱する気か!」
そう叫ぶとロウは拳を握り締め、人間離れした跳躍力でゲーハに跳びかかる。
ヒナタを人質として取っているため襲ってこないと予想していたこと。そのあまりの動きの俊敏さについてこれず、なす術もなくそのままロウの渾身の一撃を顔面に貰う。
一撃を貰い、ゲーハの拘束が解け、ヒナタは晴れて自由の身となる。慌てて、チカゲがよろけるヒナタを抱きかかえる。
「ぐはっ! あがっ!」
「お前みたいな、自己だけの快楽だけを求めて、他人を! 弱者を踏みにじるお前らなんか! 俺の手で!」
倒れたゲーハに馬乗りになって、ロウは何度も顔面を殴る。
まるで悪魔なような暴れ様に誰も割って入ることができず、ガクとチカゲとヒナタ、そしてゲーハの子分達もただ呆然と見ているしかなかった。
「痛い! いてぇ! や……やめてくれぇ!」
「妹も! お前みたく、命乞いをしたはずだ! それでもお前らは!」
ゲーハの顔がまるで粘土のように簡単に変形していく。
鼻は折れ、まるて豚鼻のように瞑れ、穴からは大量の鼻血が流れている。
口からも血が流れ、前歯は全て粉々に砕け散っている。
瞳からは赤い涙を流している。
そんな醜い顔立ちに変形していてもわかる恐怖の表情。
確かにゲーハに当てはまるところもあるだろう。
しかし、犯してもない罪を被らせられ、抵抗する暇も与えらず、挙げ句にはその腹いせと言わんばかり、殴られ……いや、殺されかけていることにただただ、ゲーハを怯えることしかできない。
「や、やめてください! ロウさん!」
「さ、流石にやりすぎよ!」
見兼ねたガクとチカゲは震える声が止めようとするが、理性など失ったロウには届かない。
いくらゲーハが外道でも、許されざる人間でも限度というものがある。その限度を超え、さらに明らかな私情が入っている拷問をする男など誰がどう見ても気が狂っているようにしか見えない。
「死ねよ……外道!」
瀕死の状態で、抵抗どころか生きることすら危ういゲーハ。
そんな彼を見下しながら、傍に落ちてあった西瓜程の大きさの岩を片手で掴むが。
そして、息の根を止めようと言わんばかりに石を振り上げる。
「ロウ! やめろ!」
腕を振り下ろす寸前。ロウの腕を力強く掴み静止する男が現れる。
タウシェンだ。
「離せ! こういう奴は殺さなくちゃ!」
怒りで我を失うロウを無理矢理落ち着かせる為にタウシェンはロウの腹に拳を食らわせる。
すると、ロウは「うっ」と呻き声を上げ、膝をつく。
「落ち着けよ! お前は何を見てる! 何が見えている!」
そして、タウシェンはロウの髪を掴み、無理矢理ゲーハの顔を見せる。
骨は折れたせいで、顔の形は崩れていて、まるでアメーバのよう。
鼻は潰れていて、豚のように平たい。
目元は酷く腫れていて、眼球が一切見えない。
「こいつは、お前の仇かなんか!? 違うだろ!?」
冷静になって自分が大変なことをしでかしていることにやっと気づいた。
しかし、相手が外道であるが故に罪悪感はなかった。
「お前ら! こいつ連れて、ここから出ていけ! てめぇらは破門だ! 二度とそんな汚い面を見せんじゃねぇ!」
タウシェンはゲーハの首根っこを掴み、呆然と立ち尽くす子分達に向け、投げ捨てる。
流石に一番の実力を持つタウシェンと化け物じみた強さのロウの二人に喧嘩を売るほど子分達は愚かではなく、さっさと瀕死のゲーハを肩に担いで、この修練場から姿を消した。




