混色
「せぃっ! ハァッ!」
薄暗い森の中。響くのは鳥の不気味な鳴き声とロウの激しい息使いだけ。
冷たい空気が滴る汗を冷す。
ロウは四つの大木にそれぞれ一本ずつ吊るされた丸太相手に一人黙々と修行を行っていた。
「まだだ! まだ、俺は!」
振り子のように揺れる丸太を紙一重で避け、カウンター気味に張り手で弾く。
しかし、その一連の流れはどこかぎこちない。まるで油が刺さっていない歯車のよう。
ロウの理想では華麗に丸太を避け、そしてカウンターを決めるという綺麗な流れを目指しているのだが、どうにも余計な力が入ってしまい、理想通りに動けない。
回避も受け流すような動きを意識しているものの、上手く行かず、無駄な動作がどうしても挟まってしまい、ワンテンポ遅れてしまう。
「しまっ!」
ワンテンポ遅れた結果、一つ目の丸太を回避できても二つ目の丸太に反応し切れず、直撃を受けてしまう。
人の数倍重く、そして硬い丸太を受け、ロウは吹っ飛ばされる。そして、背後に構える大木に背中を強く打ち付けられる。
「ぐはっ!」
あまりの強い衝撃によって、意識が空の彼方に飛びそうになる。さらに背中を打ったせいで上手く呼吸ができず、必死に酸素を求めて、咳き込みながら短く、激しい呼吸を何度も繰り返す。
「……今は丸太だからどうにかできた。だが、これが転生者だったら間違いなく……殺されていた」
呼吸が落ち着き、痛みが徐々に引いていくと同時に背筋がゾッとしていく。
今は修行ということで相手が丸太だったため、ただ痛く、苦しいだけで済んだ。
しかし、実戦なら……転生者相手に今のような直撃を貰ってしまったらどうなることか。
恐らく直撃を貰った時点で体はミンチのようにグチャグチャに潰れ、骨は塩のように粉々に砕ける。意識を取り戻す猶予もなければ必死になって酸素を求める暇もなく、ほんの一瞬で命を落としていた。
「掴めない。感覚が……」
死と隣合わせの厳しい戦場での僅かなミスは死に直結する。
99%では許されない。
「息詰っているみたいだな」
己の伸び代のなさに、一人俯き、悩んでいると何者かの影がロウを覆う。
ふと顔を上げるとそこにはタウシェンが腰に手を置き、大木に腰掛けるロウを見下ろしていた。
「あぁ。お前みたいなあの動きができなくてな……」
深く溜息を吐き、思わず悩みを吐露する。
あまりの理想の動きができないあまり、現在、師であるタウシェンなら何かいいアドバイスをくれるのではと甘えてしまったのだ。
「……マジか。お前って他人に頼るような奴だったのか」
「……あ」
発言した後にらしくない弱気な発言にロウは自分自分に驚いた。今までのロウなら、誰かに頼らず、己の勘と力だけを信じ、一匹狼として精進するはずだった。
というよりかはロウが以前、生きていた世界というのは少しでも他人に気を許せば寝首を掻かれる程の厳しい世界で、信頼というのは無用の長物となっていた。そんな世界で生きていたのだから、己しか信じないのは仕方がないこと。
しかし、現在のロウの周囲には寝首を掻くような血気盛んな輩はいない。いるのは互いに切磋琢磨しあい、同じ窯の飯を食う仲間とタウシェン。
以前の世界には足元にも及ばない生温い環境に置かれ、気が緩んでしまったのだろう。
「まぁいいか。なら、一言言ってやるよ。何言ってんだ? 俺みたいな動きなんて簡単にできるわけがないに決まってんだろ?」
すると、タウシェンはロウの悩みをバッサリと切り捨てる。
「大体、俺はここに来て十年近く修行してんだ。それなのにまだ一月程度のお前に越されたらその場で首を吊るわ」
髪をくしゃくしゃと弄りながらタウシェンは呆れたような口振りで話す。
冷静に考えてみれば当たり前だ。
怠けていたならまだしも十年も修行してきたにも関わらず、たかが数カ月の若造に同じ動きされたら、たまったものではない。
プロ野球選手がボールを握って間もない子供に負けるくらい屈辱だろう。
「そうだな。俺がただ焦っていただけだった」
「確かにお前は俺と同じ動きは不可能。だが、俺以上の動きを生み出すことができるかもしれないがな」
地道な修行あるのみと結論を出し、それならばさらに修行を続けるだけだと立ち上がった時、タウシェンはロウを呼び止める。
「それはどういう意味だ?」
「俺は何も力も技術も持たすにここに来た。だから戦い方なんか藍衛流以外は知らないし、そもそもノウハウなんて一つもない。だから、藍衛流を極める以外することがなかった。だが、お前は違う。力もあって技術もある」
「そうだが」
「俺は白いキャンパスにただ一色の色……例えば藍色をキャンパス全体に塗りたくっただけだ。不純物のない単純な色合いは確かに綺麗だ。でも、一色だけのキャンパスな綺麗なだけで、芸術的かって言われたら違う。でも、お前は既に色んな色が塗られている。赤とか黒とか色々だ。その上に藍色を塗ったらどうなる? 確かにそのキャンパスは汚く見えるかもしれない。でも、もしかしたらいい感じに色が混じり合って、綺麗とかそういう簡単な言葉では言い表せない感動とか、印象が生まれるかもしれない」
「色を混じり合わせる……か」
「何となくわかったみたいだな。簡単に言うならお前はお前にしか出せない色がある。だから、それを見つけるだけでいい」
タウシェンの比喩は異様にわからづらいのだが、ロウは言いたいことは何となく理解していた。
要するに既に力……色を持つロウには藍衛流だけを極めることはできない。どうしても色が混じり合ってしまい、その色に染まることができないのだ。
例えば、藍色に一滴の赤色が混じり合えば、それは藍色ではない。
しかし、その様々な色を混じり合わせることができるなら、それはまた違った色になり、予想外の美しい色を生み出すこともあるかもしれない。
力もそうだ。ロウの超攻撃的とも言える力と藍衛流の守りの力が合わせれば違う力が生まれるかもしれない。攻めと守りが完璧に合わさった、隙のない力になるかもしれない。
これは既に別の力を持ち、既に色に染まっているロウにだけ、もたらされた可能性。
「俺だけの色を……か」
悩みが晴れたロウの頭上の木々の隙間から木漏れ日が差し込む。




