手合
空は雲一つない快晴であり、柔らかな日差しが新緑溢れる森にさんさんと照らされる。
ロウが藍衛流の門を叩いてから早くも一週間が経っていた。
あれからタウシェンに付きっきりで厳しい修行をつけられた。。
高さ四十メートルの崖を命綱無しでよじ登り、滝に打たれ、タウシェン程ではないがそれでも指折りの実力者十人の攻撃を受け流したりとそれはそれは厳しい修行であった。
その修行の厳しさを物語るようにロウの引き締まった肉体には無数の傷と痣ができていた。
だが、厳しいものであったからこそ実力はついていた。当初に比べては攻撃の受け流し方、見切りは相当上達していた。
「これからロウとガクの手合わせを行う! 両者、前に出よ!」
その修行の成果を試すため、ロウとガクは寺のような建物の隣に建てられている道場で手合わせを行うことになった。
現実世界で言う体育館程の広い部屋の中心では白い修行着姿の姿の二人は互いに対面している。
「手ほどき、宜しくお願い致します」
「あぁ。こちらこそ」
二人は丁寧に頭を下げて、礼をする。
そして、ガクは右足と右手を前に出し、構える。
ロウは手足をだらんと下げ、余計な力を抜く。
無駄に力を入れては体が固まって瞬時にそして柔軟に動けず、攻撃を受け流すこともおろか回避することもできない。だからこそ、力を抜くことでいつでも柔軟に対応できるようすることが大事だとタウシェンから教わった。
「それでは……始め!」
「てぃやぁぁぁ!」
審判の開始の合図と共に雄叫びをあげながらロウへ迫る。
ロウはゆっくりと深呼吸をして、心を落ち着かせ、集中する。邪な気持ち、余計な考えも一切ない迷いなき瞳でガクの攻めを見切る。
最低限の動作でロウはガクの攻撃をギリギリでかつ受け流ように回避する。
しかし、タウシェンのようにスムーズにはいかないことに己の未熟さを痛感する。
「でぇや!」
ガクの渾身の拳がロウの顔面目掛けて飛んでくる。
所詮は修行の一貫の為、互いに全力を出さないように決めていたのだが、あまりのロウの強さにガクはつい躍起になってしまったのだ。
正直なことを言うとガクはかなり強い。下手に手を抜いて勝てる相手ではない。
ましてやまだ藍衛流の真髄に達していないロウなら尚更だ。
「ハァッ!」
ガクの一撃を紙一重で避ける。この一撃を避けることに全神経を集中してしまったことで抑えつけていた闘争本能が呼び覚まされる。
眼孔を限界まで開いたロウは回避しながらガクの懐に潜り込む。そして、ガクのみぞおちに一撃を浴びせる。
「ガハァッ!」
みぞおちに拳がクリーンヒットし、ガクは目を見開いて、口から涎を吐いては膝をつく。
「こいつ! 本当に新参者かよ!」
「並の強さじゃないわ!」
周囲のギャラリーは沸き立っていた。
ただでさえ、タウシェンに気に入られているということで注目されている新参者が相当な実力を持つ古残のガクを一捻りでダウンさせたのだ。驚きと興奮で沸き立つに決まっている。
しかし、周囲の熱気と打って変わって、ギャラリーの中心にいるロウはまるで氷漬けになったかのように青ざめた表情で蹲るガクを見下ろしていた。
転生者であるが故に人と比べ物にならないほどの力を持つロウは全力で拳を振るえば岩石程度は粉々に砕ける。そんな力を人に振るえば無事ではすまないため、なるべく手加減するつもりだった。
しかし、思った以上にガクの実力の程が高く、本気の片鱗を出してしまったのだ。
「ガク!? 大丈夫か!?」
ロウは急いでガクの元に駆け寄る。
「だ、大丈夫です」
「……すまない。やりすぎた」
「いえ、僕が避けられなかったからです」
腹部を抑えながら心配をかけまいとガクは引つった笑みを浮かべる。
ロウは恐らく無事であることを思いながら、ガクの手を取って、立たせる。
「その……言い訳に聞こえるだろうけど……強かったから……つい……」
「そうですか。それは嬉しい話だ」
ロウは軽蔑、落胆されるかと思っていた。
しかし、ガクはそんなことはなく、寧ろ喜んでいた。
「あなたはとてもお強い。そんな方に強いと言われるのは誇れること」
「そんな大袈裟な」
ガクのべた褒めにロウは気まずそうに頭を掻く。
殺しかけたのに何も気にしていない素振りを見せられては流石のロウも困惑するしかなかった。
「いやぁ、先輩に対して手加減しないで本気でやるとは最近の新入りは礼儀がなってねぇなぁ!」
突然、ロウとガクがやり取りをしているそれに割って入ってくる男がいた。
その男はロウと同じ白い修行着を身に纏い、その服の上からでもある引き締まった肉体。日の光が反射してこれ以上にないくらい主張するスキンヘッド。顔の皺から推察するに二十代前半くらいだろうか。
そして、その男の後ろには子分なのか同じような姿と頭をした三人の男達がいた。
「あの人はゲーハさんです。ここでは結構な古株なんですけど……色々と嫌がらせをしてくる人なんで……気をつけてください」
「お前、最近やってきた調子に乗ってる新入りだってな」
耳元でガクが忠告する間にゲーハはゆっくりとロウに迫り、嫌味ったらしい言葉を吐く。
「何の用だ?」
「先輩にお前とは何だ! 敬いやがれ!」
しかし、たかが言葉如きに怯える程ロウは軟ではない。
逆に舐めた態度を取るとゲーハはまるで般若のような恐ろしい表情をして、ロウの胸倉を掴む。
ロウは溜息を吐く。
前の世界でもゲーハのような強がるだけの弱者はいた。そういう奴は決まって、強い口調で無闇に煽っては子分を混じえてよって集って一人を嬲り殺す。
そういう奴は関わるだけ無駄なのだが、逃げようとすれば「臆病者」と煽られる。別に逃げ場があるなら気にすることではないが、ここのように逃げ場のない閉鎖的な空間でなら、逆に自分の首を締めることになる。
ならば、やることは一つ。敢えて煽りに乗り、徹底的に返り討ちにして二度と歯向かえないようにする。
「俺より強ければもしくは敬うに値する人格者ならな」
ロウは胸倉を捕まれながらも自由に聞く、脚でゲーハの腹を蹴ろうとする。しかし、蹴りは避けられてしまうがその際に胸倉を掴む手が弱まり、ロウはゲーハの拘束から逃れることに成功した。
「貴様!」
ゲーハは背後に準備していた子分達を呼び、四人がかりでロウに襲いかかる。
しかし、ロウにとって実力が伴わなければ所詮有象無象の集団。初心者を数人を相手にするよりも世界チャンピオンを相手にする方が厳しいようなことで人数などさして問題ではなかった。
「クソ! 当たらない!」
「藍衛流は基本はわかっているだろう、先輩」
四人の猛攻を培った藍衛流の回避術で難なく交わしていく。
戦いながらロウはガクの方が何倍も強かったとガクの評価を改める。
「もう埒が明かないだろうからこちらからいくぞ」
このまま回避に専念してもこの状況は進むことはない。
ロウは先程と同じように回避すると同時にゲーハ達の腹に拳を叩く。ガク程強くないため、手加減することは容易だ。
「グハッ!」
ゲーハ達は腹を抑えて、膝をつくことなくそのままうつ伏せに倒れる。
「弱いな。俺の上に立つほどじゃない」
ロウは倒れるゲーハ達を見下ろす。
「威張るだけの雑魚が。さっさと失せろ」
ガクよりも長くここにいる筈のゲーハだが、その実力はあまりにも低かった。
恐らく、古株ということに胡座をかいて、修行もバレない程度に手を抜いていたのだろう。
己を甘やかし、他人を見下す愚か者に進歩など決してあり得ない。
ロウに叩きのめされたのも自業自得だ。
「クソッ! 覚えてやがれ!」
ゲーハ達はまるで生まれたての子鹿のようにおぼつかない足取りで立ち上がる。そして、腹部を抑えながら千鳥足という情けない姿でロウから逃げるように去っていった。




