解放
ロウは紳士の後をまるで金魚の糞のように付いていった。
騒がしいくらい活気が溢れる市場を抜け、閑散とした住宅街に足を踏み入れる。確かに先程の奴隷商店も人気の少ない場所にあったがまさかこんな生活感溢れる場所に奴隷を売る店や市場があるとは到底思えなかった。
「ここでございます」
「何だと……」
紳士は足を止め、右横に建てられた建物に視線をやる。
全く、奴隷とは関係ないはずの場所にロウは唖然とする。案内された場所は大分年季の入った大衆酒場であった。
「驚きましたか?」
ロウの反応を見て、紳士はニヤニヤと格好に似合わない不気味な笑みを浮かべる。恐らく何人もここに案内してはロウと同じ反応しているのが面白いのだろう。
「さて、中に入りましょうか」
「その前に一つ聞きたいことがある」
中に案内される前にロウは紳士を呼び止める。
「どうして俺に目を付けたんだ?」
ずっと疑問であった。どうして自分を客として見出したのかを。
少なくとも金持ち
「奴隷を買う方の中には性処理の他に寂しいからという理由で買う方も多いのです」
「俺は寂しがり屋に見えたのか」
「その通りです」
「……そうか」
前の世界でロウは「強者」であると評価を受けており、名前を聞いただけで逃げ出す者も少なからずいた。しかし、当の本人は自身を強いと自負していなかった。寧ろ、強がることしかできない「弱者」と思っていた。前の世界では窮地を親友の犠牲に脱し、今では人を食らわなければ転生者と戦うことすらできない。誰かを犠牲にしなければ戦うことができない者が強いわけがない。
何より人の関りや温もりを求めている癖に強がって一人でいようとする心が「弱者」である。
人は一人では生きてはいけないのは世の摂理。だがロウに関わった者達はエマやキャシーといい皆、悲惨な結末を迎えている。それは前の世界でも変わらず、余計な犠牲を生み出さないようにロウは一匹狼として荒廃した世界を生きてきた。だが、心の中では常に寂しさに苛まれ、人に飢えていた。そのため、命の灯が消えかけていた孤児を見つけた時はなりふり構わず助け、世話をした。しかし、助けた子供たちはロウが殺した者たちの仲間から報復の対象として定められ、惨殺されることが多かった。悲惨な結末を迎える度にロウの心に深い傷をつけていた。
問題なのはロウはこれに懲りず、またしても子供達を見つけては助けてしまうのだ。わかりやすく言うならペットロスか。
紳士は恐らくロウの本性を見抜いて奴隷を買わせようと声をかけたのだろう。
「気にしなくてよいです。人間が必ず持っている感情ですから」
紳士はニヤニヤと笑みを浮かべながら酒場の扉を開け、中へと入る。ロウの目には紳士が悪魔に映った。
紳士の後に続いて店に入る。店内は至って普通の酒場で木造の机や椅子が適当に並べられ、壁には様々な写真や国旗、絵やオブジェが立てかけられている。
奥にあるカウンターにはおよそ数十種類のお酒が棚に並んでいた。夕刻か次の日の出を迎えるまで、ここではきっと大人達がバカ騒ぎをしているのだろう。
「こちらでございます」
紳士は店の右側に置かれている本棚を移動させると足元にRPGゲームに出てくるような地下へと続く階段が現れる。
階段から冷たく、鼻につくような臭いが伴った空気が流れている。紳士はその臭いをものともせずカツカツと足音をたてながら階段を下りていく。
ロウの本能が警告する。この先に行くのは拙いと。きっと得体の知れない光景が待っていることは容易に想像できる。しかし、真実を知るためにも。正義を貫くためにも憶するわけのはいかなかった。ロウは重い脚を上げて、一歩一歩階段を下りていく。
「不気味だよ……本当に」
冷たい石の壁は足音を響かせる。紳士の足音が聞こえないことを考えるとそこまで階段は長いわけではない。しかし、心もとない灯りの所為で薄暗く、そして冷たい空気が不気味さを演出する。
「遅かったですね」
「歩きづらいんだよ、ここは」
階段を降り切ると紳士が待っていた。
ロウは愚痴を吐くと紳士は「地下なので」と尤もらしい言い訳をする。
「さて、お待ちかねの時ですがよろしいですか?」
暗闇に目が慣れてきたのか薄っすらと紳士の背後に鉄製の扉があることに気づく。
「あぁ」
ロウは小さく首を縦に振ると、紳士は勢いよく扉を押す。
「こ、これは!?」
中は階段とは打って変わって大量の灯りがあり、まるで夕暮れの部屋のようであった。だからこそ中の様子が嫌でも良く見えた。
動物を入れるような中途半端な大きさの檻が並んでおり、その中に全裸の少年少女達がその華奢な体を震わせていた。
ほぼ骨と皮と言わんばかりの貧相な体につけられた痛々しい生傷。
ここの奴隷が以下に悲惨な扱いを受けているのか、聞くまでもなかった。
残酷な現実を目の当たりにしたロウは理性を抑え切れず沸騰する。紳士の胸倉を掴みあげると、まるで獣のような鋭い目で睨み、怒りをぶつける。
「貴様! これはどういうことだ!」
「あなたもそういう人間ですか」
「何?」
「いるんですよね。こんなの可哀想だとか、人の扱いじゃないっていう偽善を振りかざす愚か者が」
胸 倉を掴まれても男は怯むことはない。それどころか呆れて溜息を吐く始末。
「己の欲の為にか弱い子供を傷つけるお前に言われる筋合いはない!」
襟を掴む手が一層強くなる。
確かにロウは己の掲げる正義しか信じられない偽善者であり、その正義に心酔している愚か者だ。
だが、偽善者だろうと愚者でも弱者を踏みにじる悪人に比べれば余程マシだとロウは思い込んでいた。
「なら、聞きましょうか? 彼らは奴隷にならなければどうになっていたと思います?」
「普通に生きてたはずだ」
ロウの綺麗すぎる答えに紳士は何も言えないと鼻で笑う。
「普通に生きていたらこんなことにならんのですよ。あなたは脳は犬か何かですか」
「お前……」
「彼らは親に捨てられたり、戦争孤児と呼ばれる者達です。普通に生きていれば間違いなく飢えや盗賊に目をつけられて死んでいたでしょう」
奴隷達は普通の環境にいなかったからこそこんな地獄に落とされたのだ。だから、奴隷になるのは毛虫が成長して蛾になるのと同じくらい当然のことなのだ。
「私はそんな彼らを救っているんです」
「救いだと! こんな狭い檻に閉じ込めれて、一方的に大人の玩具として扱われることが救いと言うのか!」
納得いかなかった。助けられた結果、人の欲望を満たす為だけに自分の体を汚される、傷つけられることにどこに救いがあるという。
寧ろ裏切りと言うべきだろう。夢や希望をちらつかせた挙句にこんな生き地獄を味わされるなど絶望でしかない。
だが、それはロウ個人の考え方でしかない。
「死ぬよりもマシでしょう」
「何!?」
「未知の恐怖、取り返しのつかない痛みや苦しみを感じるくらいなら奴隷になってでも生きた方がマシなんです」
「そんなこと!」
「あるんですよ。人は強くないのですから」
殆どの人間は死を恐れ、生きることに強く執着する。生きるためならばプライドや忠誠心、正義も大切な存在さえ捨てるのが人間だ。
戦争でも政争だろうと明らかに自軍が負ける戦なら、いっそ主を敵に売り、自分とその部下の命を守るなんて行動は過去にも数え切れないほどあっただろう。
「生きるために体を……自分を売っているのですよ」
ロウは何も言い返せなかった。かつては自分も同じだったから。対象は悪人であろうと生きるために倫理的に御法度である他者を殺し、食料を略奪していた。彼らは生きるために自分の体を犠牲にしている。人の幸せを奪っていたロウとは逆に彼らの行為は人を幸せを与えている。
どちらも正しくはないのかもしれない。しかし、他者を苦しめていることを踏まえればロウの方が若干の悪だっただろう。
「いい子ぶるのは止めましょう。欲望に忠実になりなさい。彼女はどうでしょう? 胸の育ちは当店で一番良くてですね。あぁ、もしかして初物がお望みでございますか? それならば……」
「いい加減にしろ!」
紳士の肩を強く掴み、ロウはまるで威嚇する狼のように睨む。
「人は玩具なんかじゃない!人は生きているんだ! 己の意思を持って生きているんだ! だから鎖や手錠で繋ぎ、檻に閉じ込めるなんて愚の骨頂!」
しかし、ロウは自分の正義を曲げることができなかった。最愛の妹も彼らと同じ奴隷に落とされた挙句に見るに堪えない醜い有様でその短い生涯を閉じた。
股間からは乾いた白濁駅を垂らし、全身には青い痣や縄で縛られた跡。何より酷く怯え、白目を剥いたまま固まったあの死んだ魚のような顔は今でも脳裏に焼き付いて剥がれない。
例え自分に何一つ接点もない人でも関係なく、あんな死に方をさせたくないと心の底から思った。それはこの世界に来ても変わらない。特に目の前に同じ結末を迎えてもおかしくない彼らがいるため、寧ろロウの正義はより一層研ぎ澄まされる。
ロウは駆け足で檻の傍まで行くと、人ならざる腕力で檻を壊す。
「何をする!」
「早く逃げろ!」
紳士の狼狽する声が耳に入る。だがロウは関係なく奴隷の少女の手を掴み、檻の外に出す。
少女は唐突な出来事にわけもわからないといった表情を浮かべていた。
「愚かな真似は寄せ! 奴隷の勝手な解放は重罪だぞ!」
紳士はロウを羽交い絞めにして止めようとするも人では者を人ごときでは止められない。まるでまとわりつく蠅を払うようにロウは紳士を体から引き剝がし、奴隷の解放を続ける。
「畜生! 私の商品が! 財産が!」
敵わないと悟った紳士はロウに目を付けたことを後悔し、その愚行を眺めることしかできなかった。
「あんたはやっていることは認可されていることでも悪だ」
全ての檻を破壊し終えるとロウは壊れた檻の破片を踏みながら、徐に鉄製の扉の前まで歩く。
この扉は万が一奴隷達が脱走されても壊せないようにかなり頑丈に作られていた。無論、今がその役割を発揮する状況なのだが残念なことに相手が悪すぎる。
ロウにとってたかが鉄など障子と同じようなもの。少し力を入れて殴れば簡単に穴を開けられる。
「はぁ!」
案の定、ロウが扉を殴るとまるでパズルのように粉々に砕け散る。
「早く逃げろ!」
奴隷達は戸惑いつつも自由を求めて、扉の破片を飛び越え、外へと逃げる。
「これで……いいんだ」
奴隷達が逃げたことを確認するとロウは紳士に視線を向ける。
紳士は歯を砕きそうなほど強く葉を食いしばってロウを睨んでいた。
「くふふ。お前はきっと後悔するぞ。奴隷達が解放されたところで何も変わらない。寧ろ、悪化するだけだ」
紳士は最早紳士と呼べるほどの品は消え失せ、狂人に落ちていた。その品はロウが奪ったのだが別に後悔していない。そもそも奴隷商人に手を染めた時点で狂っていたのだ。
「仕方がないだろう。それが俺の正義だから」
紳士だった男の怨嗟の言葉を無視して、ロウはこの場か立ち去る。
この時、ロウは知る由もなかった。己の正義を貫いたが故に取り返しのつかない事態を引き起してしまうことを。




