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変化

 リーンドイラの小さな噴水広場。噴き上げられた水の粒子は光に反射し、小さな虹を生み出す。

 その噴水の周りでは子供達が恐らく親と思わしき大人達と一緒にはしゃいでいた

「親子で……いいんだよな」


 仲睦まじい姿を見ればただの親子だろう。しかし、クルスが見せた奴隷を見た後では確信できない。本当は血の繋がって主と奴隷の可能性もある。


「この世界の奴隷ってのは……養子みたいなものなのか」


 もしかすれば根本的に認識が違うのではと思った。

 転生前の世界では使い捨ての労働力や道具としての存在だった奴隷。しかし、この世界ではそれらの要素は薄く、養子の性質もあるのではと考えた。


「この世界に馴染めない俺が……間違っているんだな」


 この世界にこの世界での歴史積み重なったことで生まれた世間や文化がある。

 それなのにロウは全く違う世界の価値観を持ち出し、あまつさえそれを無理矢理貫こうとした。いくら正しいことだとしても毛色の違ければどうしてもすぐには受け入れられない。

 自分の愚かさに嫌気が指す。


「お兄さん、どうなさいましたか?」


 自己嫌悪に陥っているロウに一人の男が言葉をかける。黒のスーツに黒のシルクハット姿の男性は正に紳士と言える佇まい。


「いえ、少し気分が優れないだけで」


「……寂しいのですか?」


「はい?」


「いえ、先程から子供達を見ていたようでね」


「お前……何だ?」


 紳士の不気味な態度にロウは危険を察知し、咄嗟に立ち上がって一歩距離を取る。紳士は心外だと言わんばかりに不満そうな表情を浮かべるが先程から自分を観察していたと言われれば警戒されるのも無理はない。


「いえ、私はただの商人ですよ。ただの奴隷商人」


「奴隷か……」


「気になりますかね」


「……そうだな。気になるよ」


 ロウはまだ奴隷商人のほんの一部しか見ていない。それも話を聞く限りではごく少数の変わった部分。

 この世界のことを知るためにも本来の奴隷の扱いというのを直にこの目で見る必要があった。

 これから向かう場所で奴隷が不当な扱いを受けていないのならこれ以上この問題に首を突っ込むのは止める。そうロウは決心する。


「では、案内してあげましょう。私の……城に」


 紳士は紳士らしくない不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと歩きだす。

 その後ろをロウは不安と恐怖を胸に抱きながらついていくのであった。


♢♢♢


「ロウ……お前の気持ちもわからんではないさ」


 ロウを説得した後、クルスはあの奴隷の店の前に立っていた。

 ロウは確かにおかしい価値観を持っていた。しかし、それは純粋過ぎるが故の価値観だとクルスは気付いた。

 奴隷に限らず苦しんでいる者達がいるなら助ける。自由に生きるのが人間……否、生物として当たり前のことかもしれない。


「俺もあいつみたいに愚かになれれば」


 ロウの事を蔑む一方で心の片隅では羨ましくもあった。ロウのようにずれていようが正義を貫ける確固たる意志を持っていれば少しは奴隷達を救えたかもしれない。

 だが、そんな夢物語を実現する力をクルスは持ち合わせていないうえに一人ではそんな夢を果たすことは不可能だ。

 ロウとの出会いで再び厳しい現実を認識し、クルスの心は曇る。


「仕方がないんだ……。どうしようもないくらいこれは複雑だから」


 心を落ち着かせようと言い訳と事実を言い枷ながら、クルスは重い扉を引く。

 店の中はまるで幼稚園や保育園のようになっており、至る所に玩具や小さな遊具が置かれていた。奴隷を扱う店でありながら、檻や鎖などといった拘束具は一切なかった。


「あっ! クルス兄ちゃん!」


 すると真ん中の小さなマットの上で遊んでいる少年少女達がクルスに気づいて一斉に飛びつく。

 白い無地の服を着ているこの子供達は皆、奴隷だ。しかし、奴隷とは思えない程眩しい笑顔を浮かべている。


「よぉ、元気にしてたか」 


 子供達に周りを囲まれてクルスは身動きが取れなくなる。

 奴隷と言う苦しい身分でありながらも町に住む普通の子供と同じように元気にはしゃぐ姿にクルスに愛しさを与える。

 クルスは二つしかない手で子供達一人一人、頭をくしゃくしゃと撫でる。


「おぉ! クルス! 元気にしてたか!」


 クルスが子供達と戯れていると店の奥から老人――サイが現れる。

 服装こそはどこにでもいる老人らしいものだが後ろに一つに束ねた長い白髪に長い白い髭。その佇まいは仏と言うより仙人のようだ。


「あぁ。御覧の通りさ」


 子供達に囲まれて楽しそうに戯れている姿を見せるとサイは笑みを浮かべる。

 二人の絡みはまるで田舎の祖父とその孫のよう。


「噂で聞いたよ。カマドさん、残念だったな」


「仕方ない。じじぃも歳だったから」


 サイはクルスの家族の不幸を悲しむ。

 カマドというのはクルスの育ての親である。生まれた時からこの町で生き、ご意見番としてこの町の人々に頼りにされていた漢だった。

 しかし、長年患っていた持病が昨年に悪化し、残念ながら暮れにはこの世を去った。

 だが、もう百歳を超え、死ぬ間際にクルスにやり残したことはないと呟いていた。また、息を引き取った時も満足げな笑みを浮かべていた。これ以上にないくらい大往生だろう。


「本当にこんな俺をここまで育ててくれて、感謝しかない」


「本当だ。初めてここに連れて来た時なんかやんちゃ過ぎて手に負えんかった」


 サイはそこまで遠くない昔を懐かしむ。

 二十年前のことだ。悲惨な運命を辿る奴隷達をせめてまともな人間の下に送り、ほんの少しでもまともな人生を送ってほしいという一方的な願いの為に敢えて奴隷商人を開業して間もない頃に迎えた奴隷の一人がクルスであった。

 クルスは物心ついた時から両親から酷いネグレクトと暴力を受けていた。また、同年代の子供達からも対した理由もなくいじめを受けていたらしく、ここに来た時は心を完全に閉ざし、全身には痛々しい痣と傷を追っていた。

 今まで周りにいた人間が皆敵であったこともあってクルスは人間不信に陥っていた。大人であるサイだけでなく同族である他の奴隷達に手を上げていた。

 あまりの粗暴の悪さに警戒心の強さに当然、誰もクルスを買おうとはしない。買ったところで主やその周辺に被害を加えて、処分されるだけだろう。


「ただの廃棄物だった俺を真っ当な人間にしてくれたじじぃはすげぇよ」


 だが、クルスの元に救いの手が差し伸べられる。

 カマドの登場であった。

 古くからサイと付き合いのあったカマドは時たま店に顔を出しに来ることが多かった。

 カマドには嫁と娘がいた。嫁は二年前に事故でこの世を去り、娘は遠くの屋敷に嫁いでしまい、カマドはこの町に一人残されてしまった。独り身となってから大の男でありながら寂しさに襲われていた。

 確かに厳しい男だった。しかし、決して暴力は振るわず言葉だけでクルスと正面から向き合った。

 だが、大人など信用できなかった始めは従う気もなかったクルスだった。

 しかし、普通に服を着せ、暖かいご飯を食べさせてくれる。良いことをすれば褒め、悪いことはすれば叱る。困ったことがあれば不器用ながらも一緒に悩んだり、寂しい時は傍にいてくれた。親でもない親のようにちゃんと接してくれたカマドにクルスは次第に心を開いていった。

 そして、あの日の出来事をきっかけにクルスはカマドに慕うことになった。


「懐かしいな。お前がサイにべったりになった日は」


 引き取られて半年程経った頃。クルスは町のチンピラ数人に目をつけられ、一方的に暴力を振るわれた事があった。そのチンピラからサイは助けてくれたのだが、その方法がクルスにとって衝撃であった。

 拳を振るうことなく、言葉とその仁王のような威厳のある佇まいだけでチンピラを追い払った。クルスにとって争いというのは暴力でのみでしか解決できないものだと思っていた。二度と自分に歯向かわないように徹底的に叩き潰す。それが最善の方法だと思っていた。

 しかし、カマドは暴力を振るうことはしなかった。ただ、クルスの前に立つだけ。例え、チンピラに舐められ殴られようとも、まるで樹齢千年の大樹のようにずっしりと構えるだけ。

 サイは暴力を嫌っていた。相手から殴られれば当然痛い。だからと言って報復として殴り返しても相手だけでなく自分の拳が痛む。そして、相手も報復をし、自分もまた報復の報復をするという悲惨な繰り返しが続く。暴力などただ苦しく、痛いだけで何の得にもならず、寧ろ損しかない。

 そんなくだらない方法で物事を解決など絶対にできない。仮にできたとしてもそれは一時的なもので近いうちに同じ問題が起きるだけとカマドは気づいていた。

 ならば、どうするべきか。暴力しか振るうことしか知らない阿呆をどう鎮めるか。

 それは言葉で向き合うことだ。そして、説得する。例え、馬鹿にされて殴られようと決して諦めず言葉だけで立ち向かった。

 結局、反省したかは定かではないが取りあえずチンピラ達はカマドの根気強さに負け、積もった苛立ちを胸に抱えながら二人の前から去っていった。


「あの時、俺は茫然としたよ。やられっぱなしの癖にさ……あんな満足そうな笑みを浮かべてたことにさ」


 カマドはとことんまで殴られ、顔面には痣と腫ればかりで酷い有様にも関わらず、何故か笑みを浮かべていた。それがクルスには理解できないことだった。


「そして、言われたんだ。結果はどうあれ、俺を守れた時点で儂の勝ちだって。儂の強さが奴らの強さを上回ったって」


 今までクルスの常識の中での強さとは敵をねじ伏せられる暴力をどれだけ持つかどうかであった。

 しかし、カマドの強さというのはどれだけ相手を傷付けず、仲間や家族を守れるかというものだ。

 別に二人の主張はどちらかが正解でも間違いでもない。そのことはそこまで頭が良くないクルスでも理解した。

 だが、クルスの強さは苦しみを産むだけの悲惨な強さ。カマドが危惧している負の連鎖を引き起こす。

 クルスはその負の連鎖を奴隷に堕ちるまでに身をもって体験している


「じじいは俺にこう言った」


 そして、カマドはクルスの肩に手を置き、言った。

 クルスの荒んだ心を整わせ、芯を強くする言葉を。


「強くなれ、クルス」


 強くなれ。たった一言に込められた意味をすぐに理解した。誰かを守れる力を持て。たったそれだけの意味。しかし、クルスの価値観を変えるには十分であった。

 サイの大きく、立派な背中。その偉大な姿を見てクルスもカマドのような人間になりたいと思った。いつかできるであろう仲間や家族を守れるような男になりたい。否、ならなくてはならないと決心した。


「そんな俺が今じゃじじぃの店を継いでしっかりと働いている」


「自分で言うか」


 あんなやんちゃな自分を比べて、今やまともな人間に成長したと自画自賛していると、サイからツッコミを受ける。

 こんな冗談を言えるのもカマドの教育があったからこそ。


「なぁ、おやっさん」


「何じゃ」


「俺はここを守るから。だからさ、安心しな」


 ここまで立派に育ててけれたそ親父と巡り合わせてくれたサイをカマド同等に感謝している。だから、何か恩返しがしたい。その一つにサイの意思を継ぎたいと思っていた。

 ここの奴隷達はクルスにとって可愛い弟や妹で家族のような存在。そんな大切な兄弟を守りたい。

 そして、これからまだ生まれるであろう奴隷達も少しでも多く救ってやりたい。奴隷文化そのものに抗う力がない分、そういった活動で一人でも多くまともな家に送り、いつしかクルスのように一人前の人間として社会に旅立って欲しいという願いがあった。


「馬鹿者。儂はピンピンしとるわ」


 サイは冗談を言うなとクルスに軽いチョップをくらわす。だが、その顔には笑みが浮かんでいた。

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