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苦渋

「あの子は……どこにいる」


 奴隷少年が連れてかれてから約一時間経っている。ロウは少年を探し続けていたが一向に見つからないどころか自分が今どこにいるのかわからなくなっていた。

 リーンドイラはそこまで広い町ではない。しかし、路地が迷路のように入り組み、さらに似たような建物が多く、非常に迷いやすかった。


「ここは……」


 町中を彷徨っているとある建物が目に入る。

 コンクリート制の建物が多いこの町では珍しい木造の建物。民家よりも一回り程大きく、至る所だ腐ってかなり痛んでいた。その他に特徴と言えば崩れかけて読みにくい看板、そして表に張られたガラス板。

 ロウはその建物に既視感があった。ペットショップだ。よく、妹がガラス板に張り付いて可愛らしい犬と猫を眺めては飼いたいとねだっていたことを思い出す。


「もしや………」


 如何にも怪しさが漂う建物を前に一つの可能性が生まれる。

 ここはペットショップならぬ奴隷ショップなのでは?

 無論、あくまで可能性だ。予想通りかはたまた見当違いか白黒はっきりつけるためにも実際に中に入り、この目で確認するのが手っ取り速い。ついでにここの奴隷商人の顔を拝んでやりたいと思った。

 未知の空間へと一歩を踏み出すことに不安を抱きつつ、中に入ろうと扉に腕を伸ばす。そして、ドアノブに手をかけたしたその時、何者かに肩を掴まれ、咄嗟に背後を振り向く。


「あんた、付いてきたのか」


 そこには先程ロウの邪魔をした緑色の前掛けをした男性が鬼のような恐ろしい表情を浮かべ、ロウの肩を強く掴んでいた。


「そこには入るな」


「お前に言われる筋合いは……」


「二度も言わせるな、うつけ」


「……わかった」


 ロウの言葉に一切耳を傾けず男性は一方的に命令する。自身のドスの効いた声と見るからにわかる怒り。どうしてここまでなるかと疑問に抱きつつ、従わねば痛い目を見るのは自分と判断し、やむを得ずドアノブから手を放す。


「なぁ、あんたは名前は」


「礼儀がなってないな」


 面倒な程礼儀正しい男性に苛つき、ロウは舌打ちをする。


「俺は保谷ロウ。しがない旅人だ」


「俺はクルス。この町で店を構える貧乏商人だ」


 男性は自身をクルスと名乗ると即座にロウの背後を指差す。


「ここで話すのはなんだ。移動するぞ」


 指先にはこれまた年季の入った喫茶店があった。確かに店の前で立ち話もいい迷惑だろう。

 クルスの提案を呑み、二人はそのまま喫茶店の中に入る。

 外見とは真逆に中は隅々まで清掃され、かなり綺麗で居心地は良く感じられた。それもそう。町の隅の店ともあって、店には新聞を広げている老人と暇そうに欠伸をする店主らしき中年男性しかいなかった。


「珈琲を二つ」


 クルスは店主に注文する。すると、店主は重たい瞼を擦り、徐に見たことのない珈琲マシンを取り出し、珈琲を入れ始めて。

 物珍しいその機械に目を奪われているロウの傍ら、クルスはそそくさと窓際の二人掛けの席に座り、早く座れとロウにガンと言葉を飛ばす。ロウは顔をしかめ、渋々クルスの対面に座る。


「先に言っておくが金は気にするな。さっきあんたから貰った金がある」


「そう」


 クルスという男は言葉使いなどは荒いが妙に律儀な面があると知ったところで店主がシンプルな白いカップに注がれた珈琲を運び、木製の机に静かに置く。


「ここの珈琲は深いぞ」


 どうやらクルスはこの店の珈琲がお気に入りらしく、砂糖やミルクを入れずにブラックのまま珈琲を飲む。

 正直、ロウは珈琲は好きではない。独特の苦味が苦手で砂糖とミルクを大量に入れ、味を変えなければ飲めない。しかし、満足そうに味わっているクルスの前でそんな冒涜的なことはできない。

 渋々、そのまま珈琲を一口啜る。口の中に深みのある苦みと酸味が広がる。好きな人間には美味しいと感じるのだが正直、ロウには全く理解できない味であった。


「単刀直入で聞く。奴隷についてどう思っている?」


 珈琲を半分程飲み終えたところでクルスはカップを置く。そして、間髪入れず、ロウに奴隷への印象を問う。


「それは許されざる悪だ」


 あまりの突然の問いかけに反応が遅れつつロウは答える。

 珈琲に映る怒りに満ちた顔が映る。


「そうか。もしかしてあんたは元奴隷だったのか?」


「……いや。ただ、俺の妹が……」


「そうか。重ね合わせてしまったのか」


 クルスはロウを奴隷出身かと思い込んでいた。それならば同じ辛い境遇の子供を見て、あんなにムキになるのも無理はない。しかし、予想は外れたが身内が攫われ、奴隷にされれば憎むのも仕方ないなとクルスはロウの行動に納得する。


「あれは本当に酷かった」


 ロウが17歳の頃であった。その頃には両親はいなくなり、兄妹二人で荒廃し始めた世界を手を取り合って生きてきた。だが、ある日のこと。妹が用を足しにロウの傍を離れたその時、運悪く人攫いに見つかってしまった。

 たった一人の家族を見捨てるなどどいう選択肢はロウにはなく、必死に妹の行方を追った。

 そして、半年後にある工場で奴隷として働かされていると知り、ロウは同様に大切な者達を攫われた被害者達と手を組み、救出作戦を実行したことがあった。


「それで、妹は救えたのか?」


「……いや」


 犠牲を払いながらも、人攫い達とその元締めを殺し何とか奴隷達を救出することに成功はした。

 しかし、全員を救うことはできなかった。何人かの奴隷達は既に息絶えており、その中に妹がいた。

 妹の遺体を迎えた時、ロウは膝から崩れ落ち、泣き叫んだ。たった一人の家族を失った悲しみ。様々な男達の欲望の捌け口にされ、思い出したくもない程無残な体。

 ロウの手が小刻みに震える。


「そうか……それはすまなかった」


「気にするな。もう過ぎたことだ」


 明らかに挙動がおかしくなったロウを見て、墓穴を掘ってしまったとクルスは己の軽率さを憎む。

 気を落ち着かせようとクルスは残りの珈琲を一気に飲み干す。口の中に味わったことのない異様な苦みが広がり、吐きそうになる。


「信用できないと思うがこの町の奴隷はそこまで酷い扱いはされない」


「あれのどこが酷くないと?」


「あれは躾だ。言いつけや家のルールを守らなければ叱るのは当然だ」


 だからといって気を失うまで殴るのは腑に落ちない。躾や説教という名目があろうと過度の暴力はただ相手の心と体を傷つけるだけだ。


「確かに奴隷の中には人攫いに連れてこられたり、金の為に売られた子供いる。それは可哀想だと思う。だがな、自ら堕落して、働き口も食い口もないクズだっている。いくら自由がないとはいえ、野犬に生きたまま食われるくらいなら自由を失っても生きているほうがマシだからな」


「自由がないなんて……。それは本当に生きているのか」


「それはあんただけの感性で価値観だ」


 クルスはロウを言い訳を否定しつつ、半分以上残るロウの珈琲を見て、角砂糖と小さな器にミルクを差し出す。


「ブラックは口に合わないか」


「……舌が子供なもので」


 ロウは苦い物は珈琲にミルクを満遍なくかけ、角砂糖を一個、二個と沈めていく。


「仕方ない。好みは人それぞれだからな」


 三個目を沈めようとしたその時、クルスの言葉がロウの不意をついた。ハッと目を見開きゆっくりとクルスを見る。クルスは特に目立った様子はなく、ただ窓見えるから外の景色を眺めていた。

 別にクルスは意識して砂糖とミルクを差し出したわけでも、呟いたわけでもない。だからこそロウに衝撃を与えた。

 世界にはクルスのように珈琲の苦みを楽しめる者もいればロウのように苦みを抑えなくては楽しめない者もいる。生き方も同じなのだろう。クルス達のように生きることそのもの意味があると思う者もいれば、ロウのように生き方に意味をあると思う人もいる。

 額から汗が流れる。気持ちを落ち着かせようと珈琲を半分近く飲み干す。砂糖とミルクは入れたはず。だが、それでもまだ珈琲は苦く感じた。特に澄んだ表情を浮かべるクルスを見ていると苦みが余計に増す。

 

「……いいタイミングだ」


 ロウの焦りなど気づくことないクルスは徐に窓の外に指を指す。言葉の意図が読めないまま、ロウはクルスの指差す先……つまりは奴隷販売所を観察し始める。

 店の前には白いワンピースに腰まで流れる黒髪の美女が扉をノックしていた。そして、数秒経つと扉が開く。店から出てきた人を確認した瞬間、ロウの全身に電流が駆け巡る。


「あの店主が……奴隷を売っているのか!?」


 店から出てきたのは菩薩のような優し気な笑みを浮かべた老人。ロウの記憶の中では奴隷商人とは如何にも悪人という顔立ちをしていた。

 それに比べて、あの老人は悪人どころか善人のような優しい顔立ちであった。そして、老人は笑みを浮かべ、美女を客として店に招き入れた。


「そうだ。あそこで売られている奴隷たちは品質がいいらしい。言いつけは素直に聞くし、反抗は滅多にしない。変な病気を持っていない。何より……」


 クルスは奴隷から全く連想できない単語を呟く。


「笑顔を浮かべる」


 その光景にロウは鷹のように高い視力を持つ自分の目を疑う。店から出てきた美女の隣には奴隷と思わしき白い服を着た少女がいた。それも仲睦まじく手を繋ぎ、無垢な笑みを浮かべて。

 傍から見れば普通の親子、あるいは歳の離れた姉妹にしか見えないだろう。少なくとも主とそれに買われた奴隷には見えない。


「余程、いい躾を受けているんだろう」


「その躾は……洗脳とかじゃないのか」


「あの笑顔を見てわからないならお前はそこまでの男だ」


 クルスの棘のある言葉は事実であるが故にロウの癇に痛いほど刺さる。

 窓の外では美女は深々と頭を下げ、引っ張ることなく少女と足並みを揃えて歩き始める。

 美女の隣にいる少女は振り向いて、笑みを浮かべて老人に大きく手を振っている。その光景は祖父に別れを告げる孫のようだ。


「確かに劣悪な環境に連れて行かれる奴や人として接することすらされない奴もいるさ。でも、全員じゃない。ちゃんと事前に調査して、奴隷を売っていいか判断する業者だっている」


「なら、救えなかった人達を助ける必要があるだろ」


「俺達は人間だ。神なんかじゃない。万人を救うことは絶対にできない」


 少しでも苦しんでいる人がいるのなら助けるのがロウの正義。だが、常識に考えれば全てを救うなど不可能なこと。例え、力があったとしてもだ。現にミルディアスの人々は誰一人救うことはできなかった。

 異世界とはいえ現実なのだ。ゲームや漫画のように都合の展開は絶対に起きることはない。


「それでも……救いたいと思ったから……」


「止めろ!」


 現状を知ってもなお、己の正義を曲げないロウ。それがロウの良さではあるが、反対に世界の変化に柔軟に対応できないという欠点があった。

 転生前の世界では固い意思と強い腕っぷし、そして運があれば渡り合えるほど荒廃し、狂った世界だった。しかし、この世界は正常だ。


「いいか? 奴隷は商売だ。その商売を潰せばどうなるかわかるよな。あんたはそこまで馬鹿じゃないだろう」


「でも……だからって少数を切り捨てろと!」


「そうだ」


 もし、奴隷達を救ってしまえば奴隷商人達の生活が崩壊する。奴隷達を苦しめている悪徳商人達が死のうが喚こうが自業自得と嘲笑い、いい酒の肴になるだろう。しかし、あの老人のように心優しい一部の商人達はどうなるか。

 不幸な人間を救えば代わりに別の人間が不幸になる。ならば、不幸になった奴隷商人達はどうするべきか。当然、何かしらの補償はするべきだが、それをロウが一人でできるかと言えば返しはNOだ。

 いくら、神の計らいで金を無限に出せたとしてもその金は元々この世界にない金。徒に使えば、デフレを引き起こし、世界の経済を混乱させかねない。

 それに金を渡したところが職を持たない者に明るい将来はない。

 たかが、一般人の立場であるロウにどうこうできる問題ではない。行政や世界が変わらなければ根本的にどうしようもないのだ。


「それであんたはいいのか!」


「……良くはないのだろう。だが、仕方がない」


「ならば!」


「だからこその現在なんだろう!」


 ロウのように苦しんでいる奴隷達を救おうと奴隷制度を廃止しようとした人間は確実に存在した。しかし、努力は報われることなく現在に至っていることを考えればこの問題の複雑さが嫌でも理解できる。


「奴隷制度が残っている今を見ろ! 夢物語ではなく今を見ろ!」


「……わかった」


 クルスの必死な姿。何より昔から変わらない現在を見て、受け入れるしかなかった。

 これ以上、この問題に首を突っ込んではいけない。たかが転生者を殺せるだけの暴力しか持たない自分には解決などできない。

 己の無力さと愚かさをただ恨むことしかロウにはできなかった。

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