愚者
カモメが鳴き声が聞こえる。まるで外敵が現れたことを警戒するように。
強烈な潮風が吹き荒れる。これ以上、ロウを町に近づけないように阻止するかのように。
それでもロウは進み続ける。転生者を殺す為に。それが人を救うことになると妄信しながら。
「ここが……リーンドイラか」
海岸沿いの道を進んでいくやがて巨大な船と町が見えてきた。町に近づく程の商人達の威勢のいい掛け声や客と観光客の明るい話声が段々と大きくなっていく。
あの町はリーンドイラ。海に面しており、所謂港町として漁業が盛んに行われている。また、この世界でも上位に入る貿易都市でもあり、各地から名産品やら異国人、文化などの全てがこの町に集まっている。
「うん。いい場所だ」
数十分あるけばリーンドイラの入り口に着き、さっそく中へと足を運ぶ。町の中にいざ入ればすぐに市場が目に入り、客や商人達の活気で賑わっていた。あまりの多さに掻きわけなければ前に進むことができないほどだ。
この町に転生者が潜んでいる可能性がある以上、何事も早めに行動しておいて損はない。だが、あくまで可能性。現段階の調査ではこの町に転生者による事件や存在は確認されていない。もしかすればこの町に転生者がいない可能性もある。
「一旦……様子を見るか」
いない者を探すことはできない。それに焦って行動した結果、潜んでいる転生者を下手に刺激してしまい、その結果、この町がミルディアスの二の舞になってしまっては元も子もない。
それならば今は転生者がいるかどうか裏付けが取れるまでは大人しくしておくほうがいいだろうと考えた。
「折角だ。少しだけ観光しよう」
それにミルディアスの件でロウの心はかなり荒んでいた。一度、その荒れた心を整える為にも少しくらいは気分転換してもいいだろうと思い、転生者の動きがあるまでこの町を満喫しようと考えた。
「それにしても店が多いな」
道の脇には様々な店がズラリと市場の奥まで続いていた。この市場はまるで路地が盤上のように交差しており、その路地に沿って店が軒を連ねており、かなりの数の店があった。世間では欲しい物は大抵この市場で全て買い揃えられると言われている。また、珍品や目立たない建物の二階や地下にも構える所謂隠れ家的お店も多く、マニアや通などにとっても飽きさせることがない面白い場所である。
「この林檎……」
ゆっくりと観光していると真っ赤に蒸れた林檎が目に入り、足を止める。
その林檎を手に取って、じっくりと眺める。ずっしりと確かな重みと真っ赤で張りと艶がある。見るからに質の高い林檎であった。
「お兄ちゃん。見る目があるねぇ。その林檎はブルーリン国で取られた高級品だ。買うなら安くしとくよ」
すると、店主であるおおらかな男性は品物を眺めているロウに話しかける。
「そうか? なら一つ頂こうか」
ここまで興味を示しておいてやっぱり買わないとは少し言いづらい。
だが、元から購買意欲はあったためそこまで損をしたとは思わなかった。ロウはポケットから金を出し、店主に手渡しする。店主は金を受け取ると毎度と言って笑みを浮かべる。
ロウは早速買った林檎を一口齧る。爽やかな口当たりと共に口の中にたっぷりの果汁が広がる。確かに甘いがしつこくなく、それでいてさっぱりとしており、何個でも食べられる。あまりの美味しさに思わずらしくもなく唸ってしまう。
「いい食いっぷりだな」
店主は素直な反応をするロウを見て、笑みを浮かべる。
しかし、仕方ないことであった。転生前ではこんなみずみずしく新鮮な果物を口にすることなど不可能であった。放射能で大地は汚染され、雨も降らないことから徐々に痩せこけていった。その土で育った食物は放射能まみれの毒であり、水も栄養も十分に与えられなかった食物はみすぼらしいものであった。
それが転生した今では対価を払えば当たり前のように食べられる。この「当たり前」が幸せがどれほど幸せなことか。
「待て! 少年!」
幸福を味わっている男性の怒鳴り声が市場全体に響き、湧いていた活気を割り、辺りは静まり返る。
ふと、声が聞こえた方向に体を向ける。すると、市場の奥から緑色の前掛けをかけた若い男性が目の前を走る白い無地の服を来た痩せこけた少年を追っていた。
大人と子供の全力の追いかけっこはロウにとって見慣れた光景であった。転生前の世界で核戦争が始まった直後、貿易がストップし、食料自給率が低い日本は自国だけで満足に補うことができんかった。その為、物価が跳ね上がり、貧富の差が広がった。
貧困にあえぎ、まともな食事を摂れない子供は生きるために食料を盗み、そして命と同等の商品をただで渡さないと必死に追いかける大人。そして、ただでさえ大人とでは体力に差があるうえにまともに食事をしていない子供が逃げ切れるわけがなく、結局は捕まってしまう。
そして、二度と盗みなどさせないように教育として体に痛みを植え付ける。
その教育を周りで見ている大人たちは誰一人止めることはしなかった。仕方ないからだ。盗まれた方も商品一つに自分達の生活、命がかかっていた。暴力を振るってもおかしくない。寧ろ、振るわない方がおかしいだろう。
「あんた……何者だ」
だが、ロウは違った。見て見ぬふりはなどせず、その二人に間に入り止めようとした。子供も精一杯生きているのだ。それは今も変わらない。
少年を守るように男性の前に割って入ったロウは徐にポケットに右手に入れる。そして、拳を男性の目の前に突き出す。
「これで足りるか?」
空いている左手で男の左手を引っ張り、手に平に溢れる程の金を渡す。
これには男性は驚く。それもそのはず。見ず知らずの男が盗人の少年をかばおうとしているのだ。いくら親切な人間でもここまではしない。
「悪いなぁ兄ちゃん。親切を無下にしたいわけじゃないがそういう問題じゃない」
しかし、何故か男は金を受け取らず、そのまま金を全て地面に落とす。
「どういうことだ?」
「今にわかる」
予想外の展開にロウは驚きを隠せない。すると、ロウの真横を小太りでかなり豪勢な衣装を身にまとった中年男性が通り過ぎる。そして、小刻みに震える少年の前で立ち止まる。
「貴様。よくも逃げおって」
中年男性は柔らかな笑みを浮かべながら、少年の細い腕を掴み、片手で持ち上げる。そして、少年の薄い腹を大きな拳で殴り始める。
少年は苦しそうな呻き声を発し、口から涎を垂らす。
「逃げてはいかんといったろ
「あいつ!」
激しい怒りが燃え上がる。普通の喧嘩や暴力ならば怒るどころか何とも思わずスルーするだろう。しかし、強者が弱者を一方的に振るう暴力は絶対に許せなかった。
「落ち着け」
怒りに震えるロウを宥めるかのように男性は
「仕方ないことだ。奴隷が当主の元から逃げ出したんだ。しつけは当然だろう」
「奴隷……!? そんな非人道的なことをこの世界を認めているのか!?」
幸福感は一切消え失せ、激しい憎悪が生まれる。
人間は生まれながら自由を持っている。大地に足をつけ、自らが行きたい場所、進みたい道を決められる自由。
しかし、奴隷には一切の自由は許されない。本人の有無など関係なくまともな休息、賃金、衣食住など提供されず過酷な重労働を課せられる。こんな道具のような雑な扱いを人間がされていいはずがない。現に少年はサンドバックのような扱いを受けている。
「奴隷は文化であり、商売なんだから」
「人は……売り物なんかじゃ!」
遠回しにロウ自身が培った道徳を否定され、さらに怒りの炎が強くなる。
しかし、これはこの世界に順応できないロウに問題がある。アメリカで問題のないタトゥーも日本ではあまりいい印象を持たれず、奇異の目で見られるように転生前の世界では人権無視の悪であった奴隷制度もこの世界では家畜やペットを飼うような至って普通なことなのだ。
「待て!」
だが、自らの正義を貫こうとするロウのこの世界の常識など通用しなかった。少年を助けに行こうとするロウは一歩足を踏み出す。だが、男性は血相を変えて、ロウを引き留める。
「離せ!」
「今、助けに行ってどうする! 事態がややこしくなるだけだ」
「だからって、このまま見過ごせと!?」
「そうだ」
男性はこの件を見逃せと断言する。
確かに大人が子供に暴力を振るっているという状況だけを見れば確かに助けに入るのが大人のやるべきことだろう。しかし、あの少年は奴隷であり、家畜やペットと同等の存在である。その下位の存在が脱走し、あえなく捕まったのならば、二度と反抗させないように躾けるのは飼い主として当然のことだ。
そこに第三者が首を突っ込んでいいのはその躾が理不尽で過剰である時だけだ。
ただロウには過剰な暴力と判断していた。だが、男性含め周囲の人間は貴族に目を付けれることを恐れ、また奴隷が脱走したのが悪いと判断し、また助けに入るどころか少年が甚振られている醜態をただ面白がって見ているだけであった。
「これで懲りたか?」
男を振り解こうともがくが二人がもみ合っている間にも少年は躾を受け続け、最終的には気を失い力なく倒れる。呻き声すら発せられないほど衰弱しており、その姿はまるで人形のよう。そして、中年男性は十分な躾はこなせたと満足げな笑みを浮かべ、少年を簡単に肩に担ぎ、市場から立ち去っていった。
「何も……できないで……」
「兄ちゃん。あんたはあまり奴隷について知らないな」
妨害されたとはいえ、子供一人救えなかったこと自分に腹が立つ。
助けるべき相手がいない以上、無茶な真似はしないだろうと男性はロウから離れる。
晴れて自由の身となったロウは男性を睨み付けると、何も言わず少年と中年男性が歩いていった方に向かって歩き始めた。
あまりの執念深さに呆れを通り越して脱帽するしかない。
「あんたは人がいいのはわかった。奴隷制度が本当は悪だってのは俺だってわかるよ」
歩くロウの背中に向け、男性は現実を言い放つ。
「だから言っておく。この件に首を突っ込まないほうがいい。古くから続いているしきたりや文化ってのは早々変えられない」
ロウが相手にしているのはこの世界の慣習や文化と言ったもの。それも古くから変わることのなかった根強いもの。
例えるならロウは樹齢千年の大樹を邪魔だからと斧で切り倒そうとする。その大樹を神聖視する人間は当然、ロウの行動を神への冒涜と見なし、止めようとするだろう。そもそも樹齢千年の大樹を斧で切り倒せるかと言えば、ほぼ無理だろう。
要するに無謀で愚かなのだ。たった一人ではどうしようもできない問題に立ち向かおうとしているのだ。
だが、それでもロウはどうにかせねばとならないと思っていた。
奴隷に関しては思い出したくもない記憶があったからだ。




