1.鳥の国の犬王子 ◇2
一時間後。
「ぷひゃあああっ!!」
勢いよく飛び起きるのは、先ほどのイヌ、ハチ(仮)。
「あっ……危なかった……危うく夢で冥土カフェに連れて行かれてご主人様地獄を味わうとこだった……」
「へぇ~何だか面白そうですねぇ~」
「全っ然っ!おもしろかねぇーよっ!!って、へっ?」
妙に近くから聞こえてくる声に、ハチが恐る恐る上を見上げる。
「面白くないものなんですかぁ」
「……。」
見上げたすぐ目の前にある少女の顔。よく見れば、ハチがいるのは少女の膝の上。イヌが固まって、どんどん顔色を青くしていく。
「どんぎゃあああっ!!」
「うわっ」
狂ったように叫びながら、物凄い勢いで少女の膝の上から飛び出していくハチ。
「どうかしっ……」
「ぜぇっ!ぜぇっ!ぜぇっ!ぜぇっ!」
「……。」
今にも死にそうな顔つきで心臓を押さえているハチの姿に、心配そうにしていた少女も少し呆れ気味。
「おっれの半径一メートル以内に近づくなっつってんだろーがっ!!」
少女からしっかりと一メートル離れてから、強気に怒鳴りかかってくるハチ。
「ハチ、もしかしてぇ~……ただ単に女が苦手なだけなんじゃっ……」
「うっせぇっ!!こっちは女に抱きつかれて三日間気絶してたことだってあんだよっっ!!」
「そりゃあスゴいっ」
何故か自ら秘密を暴露するハチに対し、何故か感心した反応を返す少女。
「だいたいお前は一体、何々だよっ!?何だってこんなとこに寝てたんだっ!?」
「えっ?私ですか?」
ハチの今更な質問に、目を丸くする少女。
「私は竹取輝矢といいます」
「かぐっ……やっ……?」
「まぁ色々あってこの国に来て、色々あってこの場所に着いて、色々あってここに寝てたわけです」
「何一つわかんねぇっ!!」
この上なく適当な輝矢の説明に、突っ込むよりもショックを受けてしまうハチ。
「まぁいいかっ……別にお前が誰でも関係ねぇーしっ……」
――ぐゅるるぅ~~っ
「ってか腹減ったっ……」
再び鳴り響く腹の虫。ハチが力なくその場に座り込む。
「ハチはお腹が減っているのですか?」
「ああ~何せもう三日三晩、ロクに食ってねぇーんだっ……」
先ほどの追いかけっこのせいで、空いていた腹がさらに空いてしまった。
「そうだっ!お前、何か食うもん持ってねっ……!」
――ぐゅるるぅぅ~っ!
「偶然ですねぇ~私も四日間、何にも食べてないんですよぉ~」
「持ってねぇな……」
ハチよりも豪快に腹の虫を鳴らして笑顔を見せる輝矢に、ハチが諦めたように呟いた。
「ああ~腹減ったっ……」
「ハチは桜以外の木は咲かすことできないんですか?柿とかリンゴとかバナナとかスイカとか」
「桜オンリーだ。そしてスイカは木に生らねぇー」
輝矢の問いかけに、元気なく答えるハチ。
「そうなんですかぁ~んっ?」
「あっ?」
上方から聞こえてくる無数の羽音に、輝矢とハチ一斉に顔を上げる。
「げっ」
上を見た途端に、顔をしかめるハチ。
「太鷲隊長っ!この下辺りで不自然な桜の木が途絶えておりますっ!」
「よし、降りて調べてみよう」
「鳥の……群れ?」
不思議そうに首をかしげる輝矢。見上げた空には、大きなワシを先頭とした種々様々な鳥たちの群れ。種類も色もバラバラなので、群れと呼ぶにはあまりに不自然である。
「あれは一体っ……」
「おっ!おおおいっ!」
「……?」
妙に上ずった声に、上を見上げていた輝矢が振り向く。
「俺がここに隠れてるってこと、アイツらには内緒なっ!!」
「はっ?」
振り向いた先にいるのは、近くの草陰に身を隠しながら、妙に切羽詰った表情を見せているハチ。
「どうしたんです?ハチ」
輝矢が目を丸くして問いかける。
「女が苦手な上にワシも苦手なんですか?」
「いいから絶対言うなよっ!!わかったなっ!!」
「……?」
輝矢が首をかしげる中、ハチは草陰の中にその小さな体を完全に隠す。
「……っ」
そこへ降りてくる鳥の集団。輝矢が振り返る。
「少し尋ねたいことがあるのだが」
――ボォォォ~~ンッ!
鳥集団の先頭を飛んでいるワシの体を白い煙が包む。
「……っ」
「我らは雀国が国主・朱実家の警備隊・“レッドチュンチュン”。私は隊長の太鷲だ」
次の瞬間、白い煙の中から現れたのは、黒をベースに赤いラインで脚色された軍服らしき服をまとった、まるでワシのように鋭い金色の瞳をした、まだ若い男であった。
「“鷲人”っ……」
ワシから人へと姿を変えたその男・太鷲を見て、輝矢が少し眉をひそめる。
「我らは行方不明となっている現雀国主・朱実 孔雀様の甥、朱実 桜時王子を捜索中である」
「オウジオウジ?」
太鷲の長々とした固い説明に、首をかしげる輝矢。
「そんな新種のアライグマ知りませんけど?」
「あっ……アライグマ?」
“オウジオウジ”を勝手な解釈した輝矢の言葉に、太鷲が少し間の抜けた表情を見せる。
「いや、我々が探しているのは朱実桜時という名の王子様なんだが……」
「オウジという名?そんな恥ずかしい名前の人がいらっしゃるんですかぁ?」
「まぁ」
少し遠慮がちに頷く太鷲。
「桜時様を見なかったか?」
「顔知らないのに見たかどうかなんて、わかるはずないじゃありませんか」
「そっ……それもそうか」
「ええ」
太鷲の言葉に大きく頷く輝矢。
「触れた木が桜になって、女が半径一メートル以内に近づくと騒ぎ出す、無意味にうるさい白いイヌなんだが」
「へっ?」
太鷲から伝えられたその言葉に、輝矢が目を丸くする。
「触れた木が桜になって……女が半径一メートル以内に近づくと騒ぎ出す……無意味にうるさい白いイヌ……?」
輝矢が俯き、少し考えるように首を捻る。
「あっ……」
頭の中で正解のベルが鳴ったかのように、すぐに後方の草陰を見る輝矢。
「心当たりがあるのか?」
「えっ?あっああ~いえいえっ、何でもありませんよっ」
ハチがいることは言うなとハチ自身に強く止められているため、輝矢がとりあえず笑顔を振りまいて誤魔化す。
「そうか……見つけた者には一千万チュンの報奨金が与えられるんだが……」
「一千万チュンっ!?」
太鷲の口から発せられたあまりの高額金に、一瞬にして目を輝かせる輝矢。
「ここにいます」
「だああっ!!あっさりバラすなっ!そして触るなああっ!!」
「……っ」
高額報奨金の誘惑に負け、あっさりとハチを売る輝矢。輝矢に持ち上げられたハチが、必死に騒ぐ。そのハチを見て、目を見開く太鷲。
「とっとと離せよっ!ったくっ!金に釣られやがってっ!!」
「だって金は金ですもん」
「開き直るなぁっ!!」
「やっと見つけましたよ……」
「……っ」
輝矢を批判しつつも何とか輝矢の手から逃れようと足を動かしてもがいていたハチが、太鷲のその一言に急に顔をしかめる。
「さぁ、お屋敷に戻りましょう……」
太鷲がハチへとゆっくり手を伸ばす。
「“桜時様”……」
「……っ」
「一千万チュンですかぁ~」
浮かれている輝矢を横目に、ハチは厳しい表情を見せていた。
雀国の南端に位置する巨大な屋敷。
国土の四分の一を占める土地に広々と作られた見事な庭に囲まれた、二十階建ての木造屋敷。
もう四百年以上も雀国を治めてきた、雀人“朱実”の屋敷であった。
「三日か……もった方かな……」
見慣れた広大な庭を眺めながら、屋敷の廊下に立ち尽くしているハチこと朱実桜時。見た目は野良犬だが、実はこの立派な朱実家のお坊ちゃま。
「桜時様っ!!」
「……っ?」
名を呼ばれハチが振り向くと、そこには肩まで伸びた黒髪に何とも白い肌をした美しい女性が立っていた。
「千鶴っ……」
「まぁ~た勝手に外まで散歩に出られてっ!千鶴はもう気が気でなかったですよぉっ!!」
「散歩じゃねぇっ。家出したんだよっ!家出っ!」
「またそのようなことをっ……」
意地を張るように言い放つハチに、千鶴が少し呆れた表情を見せた。
「あまり太鷲隊長の手を煩わせになられてはっ……」
「何でぇっ!!何でだよぉっ!?」
「……っ?」
庭を眺めていたハチが、庭の向こうから聞こえてくる大きな声のする方へと目をやる。
「あれはっ…」
「俺を警備隊に戻してくれよぉっ!!太鷲ぃっ!!」
「さっきの……ペンギン?」
庭の向こうにある警備隊の隊舎の前で、太鷲を相手に大声で何やら懇願しているのは、先ほどハチを追いかけてきた挙句、輝矢に踏み潰された、銀ペーとかいうあのペンギンであった。 銀ペーは太鷲の前に座り込み、地面に擦りつきそうなほどにまで頭を下げている。
「ああ、銀ペーさんですね」
「えっ?千鶴知ってんのか?」
「ええ、この間まで警備にいた方ですよ」
驚いたように問いかけるハチに、笑顔で答える千鶴。
「十五年以上仕えて下さったベテランさんで、“要塞ペンギン”なんてあだ名が付いたほどの方だったんです」
「へぇ~……」
その割にハチを捕まえて売ろうとしていたが、と目を細めるハチ。
「でも太鷲隊長が来られてすぐ、“飛べない鳥”は役に立たないからと無理やり辞めさせられてしまって……」
「えっ……?」
ハチが眉をひそめる。
「何度来ても同じだよ、銀ペーさん。あんたみたいな飛べない鳥、朱実の警備隊には必要ない」
「……っ!」
土下座までした銀ペーに冷たい言葉を投げ捨てて、あっさりと隊舎の中へと入っていく太鷲。
「ううっ……うううぅっ……!!」
『アニキィィィィ~っっ!!』
ショックのあまり泣き崩れる銀ペーに、子分ペンギンたちが駆け寄る。
「他にも多くのベテランが辞めさせられて……太鷲隊長のやり方は私も賛成しかねます……」
「……。」
――――人がっ…!ってかペンギンが1っ番気にしてることをぉぉーーっ!!――――
「それであんなに怒ったのかよっ……」
ハチは確かに、銀ペーが一番傷つくことを口にしてしまったのだ。どこか申し訳なさそうに俯くハチ。
「いっやぁ~広いお屋敷ですねぇ~でぇ?私の一千万チュンはどこですかぁ~?」
「くわぁぁぁ~ムカつくっ……」
聞こえてくる陽気な声に、一瞬にして表情を歪めるハチ。
「いやぁ~今日は空が一千万チュン色をしていますねぇ~」
「何だっ、一千万チュン色って」
現れたのは、一千万チュンに目が眩み、あっさりとハチを太鷲に売り渡した女・輝矢。報奨金を貰うため、ハチとともに朱実の屋敷へとやって来たのである。 そんな浮かれきった輝矢に、しかめっ面を見せるハチ。
「あっ……!あなたですねっ!桜時様を見つけてくださったのはっ!」
「……っ?」
駆け寄ってくる千鶴に、首をかしげる輝矢。
「わたくし、桜時様の世話役の千鶴と申します!」
「ああ、どうもぉ~ハチを見事に発見した、竹取輝矢ですっ」
「探しもしてねぇーだろーがっ」
爽やかな笑顔で千鶴に言い放つ輝矢に、ハチが不満げな顔を見せた。
「そうですかっ!あなたが見つけて下さったんですねっ!ありがとうございますっ!是非っ……!」
――ボォォォ~ンッ!
「へっ……?」
「恩返しさせて下さいぃっ!!」
「ええ~っ?」
千鶴の体が白い煙に包まれると、次の瞬間に白色の美しい鶴が現れ、泣きじゃくりながらその鋭い嘴を、輝矢へと向けてくる。
「何とお礼を言っていいかぁ~っ!!」
――ドスッ!ドスッ!ドスッ!
「うわっ、わわわっ、わっとっ」
破壊的な恩返しを続ける千鶴の嘴攻撃を、素早く避ける輝矢。
「彼女は?」
「恩返しが大好きな“鶴人”だ」
「なるほどぉ」
「恩返しぃっ!!」
――ドスっ!ドスっ!ドスっ!
最早、輝矢でなく壁に嘴を突き刺しだした千鶴を、呆れるように見ながら会話をする輝矢とハチ。
「それにしても驚きましたぁ~ハチが雀国の王子様だったなんてぇ~」
壁を突付いている千鶴を無視し、輝矢が桜時に笑顔を向ける。
「いやぁ~朱実は雀人だっていうから、てっきり雀だとばかりっ」
「……っ」
輝矢の言葉に俯くハチ。
「まぁお陰で一千万チュンいただけるわけですけどっ」
「ったく、人をっ……ってかイヌをあっさり金で売りやがって」
ハチが輝矢に非難の目を向ける。
「まぁいいかっ。お前に助けられてなきゃ、俺はあのペンギンたちに捕まってたわけだし」
ハチが庭に背を向け、廊下の先の大きな扉の方を向く。
「一応、礼は言っとくよ。サンキューなっ……」
「……っ」
憂いを帯びた笑顔で礼を言うハチに、輝矢が少し違和感を覚える。
「まるで……戦場へでも向かう前のようですねぇ……」
「同じようなものですよ」
「えっ?」
輝矢が振り返ると、そこにはいつの間にか人の姿に戻った千鶴が真剣な表情で立っていた。
「それってどういうっ……」
「入っぞっ!千鶴っ!」
「えっ!?いやっ!あのっ!でもっ!桜時様っ!国主の前に出られる時は人化をっ……!」
目の前の大きな扉に手を伸ばすハチを、千鶴が慌てて止めに入る。
「俺はイヌだっ!イヌの姿のまま出て何が悪いっ!」
「悪いとゆーか何とゆーかっ……」
「とにかく行くっ!!」
――バアアアアーーンッ!
「ああっ……!!」
千鶴が止める中、勢いよく目の前にある大きな扉を開け放つハチ。
『……っ』
輝矢たちが表情に緊迫を走らせる中、ゆっくりと扉が開いていく。