第38節:かつての記憶
たった三人の人影が在る、月明かり照らす闇の中で。
井塚を取り込み、全身を変異させて。
石の肉体を持つ夜の王が顕現した。
現れたマザーの姿は……捌式変異体に良く似ている。
その外殻は灰色。
背から伸びる羽型機動補助機構の形は禍々しく。
全身には装殻の出力供給線に酷似した、脈打つ赤い管が走っている。
30年前とまるで変わらない、スミレの顔を艶然と笑ませて。
「ようやく……直接話す事が出来る。花立トウガ、我が憎き者よ」
「よくも……再びノコノコと姿を見せたな」
ゆらり、と参式が前に出た。
その声に宿るのは、深い怒り。
「貴様は、姿を現すたびに、俺の大切な者を奪い去る」
「結果的には復活出来たが、本当はもう少し早く復活するつもりだった。日和という男に化けたコア・コピーが井塚と接触して情報を交換した後、ミツキを誘き寄せてエサにする事でカズキをエリア0まで引きずり出す予定だったのだが」
「その目論見は、マサトと少尉、そしてお前の間抜けな分身のせいで、失敗したという訳だ」
「全く、計算外の戦力だった。我が使命である人類殲滅の達成が遠ざかったかと焦ったぞ、あの時は」
まるで焦っていたようには感じられない口調でマザーが言い、その言葉の一分に、黒の一号が反応した。
「使命、か」
マザーが、黒の一号に目を向ける。
そして責めるようにねっとりとした言葉を投げ掛けた。
「そうだ。黒の一号。……貴様らも知っているのだろう? 大いなる世界論理の存在を」
マザーは、芝居がかった仕草で黒の一号らに手を差し伸べた。
「我らの闘争は必然なのだよ。幾度となく、数ある世界で繰り返され、幕を閉じて来た対立の一つに風穴を開けたのは貴様だ、黒の一号。私を生み出しだのは、貴様なのだ」
「……自覚しているとも。己の罪くらいは、な」
黒の一号は、肯定した。
黒の0号亡き後、次なる災厄の可能性に備える為に、ハジメは黒の一号となり。
そして、さらに生み出そうとしたのだ。
人工的な、黒の0号を。
しかし人類を救わんとしたその試みが、逆に新たな災厄を生んでしまった。
本来は黒の0号の対抗存在であった、襲来体が。
黒の一号の所業によって、再び生まれたのだ。
それに気付いた時には全てが遅かった。
黒の0号と、現れた災厄。
2つの存在の相討ちで閉じた筈の円環は、再び開かれた後だった。
「分かるだろう、トウガ。貴様が大切な者を失う羽目になった真の元凶は、貴様の背後に立つ男だ。私を恨むのは、筋違いだよ」
「ならばマザー。お前は俺が本条を殺せば、大人しく無に還るのか?」
マザーは、ふふふ、と含み笑いを漏らす。
「そんな訳がなかろう。既に生まれてしまったのだ。貴様も、私も。最早愛し合う以外にはない。どちらかが滅ぶまでな」
「ならば滅ぶのはお前だ、マザー」
参式は、拳を構えた。
胸に秘めた決意が、彼の全身から戦意となって放たれる。
「カズキの最後の望みは……必ず叶える」
「今まで何度聞いただろうな、その言葉……そして悉く、貴様には成せなかった」
「それでも、俺は諦めない。何度蘇ろうとも、その度にお前を倒す!」
参式は拳を握り、纏身時とは逆向きの逆十字を描く。
「強纏身! 真・殻装!」
腰に備わる一対の出力増幅核が、輝き、複数の瞬発機動補助機構が展開。
両足に二基の大型機動補助機構が形成され。
最後に鬼のような形状の超知覚補助頭殻が頭部を覆う。
『装殻状態:第一制限解除』
補助頭脳の宣言と共に、人類の守護者たる王鬼が顕現する。
参式・巨殻形態は、右の拳を引いた。
「黒き修羅の力を右腕に」
そのまま半身に構え、左の掌を相手に向ける。
「黒き天女の力を左腕に」
二本の角が、月光に照り輝く。
「王鬼の決意を胸に、不退転の道を駆けるーーー」
何を失おうとも、参式はその歩みを止めない。
彼が、彼らが折れた時こそが、人類にとって真の絶望の始まりになると。
「我こそが《黒の装殻》」
知っているからこそ、彼は折れず、また引かぬ。
「名を、参式!」
そして、同じように強纏身しようとした黒の一号を、参式は顔だけを向けて言葉で制した。
「見ていろ、本条。こいつは、俺一人でやる」
参式の言いように、マザーが嘲るように片頬を歪ませる。
「大した自信だが……忘れたのか? あの最後の時には、二人掛かりで私を封印する事しか出来なかったのだぞ?」
「覚えているさ。だが、あの時と違う事が幾つもある」
「ほう?」
参式は、腰から殻弾拳銃を引き抜いた。
「ずっと見ていたなら、知っているだろう。襲来体組織融解弾だ。これを喰らい、あの時と同じ状況に持ち込まれて……お前はそれでも、無傷で控える本条相手に、自らを守りきれるか?」
マザーの表情が一瞬厳しく引き締まり、即座に笑みを戻した。
「ふふふ。あの時は4対1。今は一騎打ち。それで同様の状況に持ち込めると思うのか?」
「持ち込めるさ。今、お前の周囲には襲来体の軍勢も【黒の兵士】もいない。お前が弐号と肆号を倒す為に使った卑劣な手段は、使えん」
「忘れているのか? 参式。私を形成するこの肉体は井塚カズキの……貴様の右腕だった、〝赤鬼〟のものだ! 私は、奴の戦闘技術すら有しているのだぞ!」
言いながら。
遂にマザーが、参式に襲いかかった。
参式も、拳銃の他に右手で装殻短剣 を引き抜き、地面を蹴る。
「お前はカズキではない!」
そして、別格の二体が、激突した。
「幾ら肉体や技術を奪おうと、意志や強さまでも取り込めはしない! それを、証明してやるぞ!」
※※※
かつて。
弐号と肆号が倒れ、ハジメらも強殻装を解除した状態で。
黒の一号と参式は、マザーを挟み込むように追い詰めていた。
周囲には【黒の兵士】達の屍の山と、襲来体が崩れ落ちた後の砂が舞い、少数の生き残りが戦いを見守っている。
そうした中で。
マザーに最後の一撃を叩き込むべく、ハジメは拳を握り込んだ。
『出力解放ーーー!』
同じく拳を握り込み、参式も全く同時に動き出す。
『出力解放 The First……!』
満身創痍のマザーは二人の最後の一撃を躱そうとしたが、結局動けなかった。
『く……!』
『〈黒のーーー』
『ーーー打撃〉!』
同時に叩き込まれた一撃により、マザーの体が崩壊を始め……。
『〈心核封印〉ーーー!』
マザーが断末魔の代わりに叫んだ言葉が、ハジメらの目的達成を阻んだ。
そうして青い球体に包まれたコアは、黒の一号達が万全の状態でも破壊出来なかった。
〝真なる装殻者〟黒の0号程の出力がないと突破出来ない、と算出されたプロテクトは、未だ人工0号を開発出来ていなかったハジメらには、手が出せず。
結局、封印する他に手がなかった。
ーーーハジメは、二人の死闘を見つめながら。
井塚の気持ちに気付けなかった自分を後悔しながらも、聞こえない程に小さな声で、彼の親友だったトウガに言う。
「躊躇うなよ、花立。……それは、カズキの意志に対する侮辱だと、お前が一番理解している筈だ」




