第37節:マザーの正体
「ここだ」
ハジメ達が立ち止まったのは、黒いドームの前だった。
エリア0として封鎖された地域の高い壁の中には、かつて天王寺公園と呼ばれた施設の残骸とクレーター、その中央にある直径300メートル程の隕石と。
同程度の大きさの、目の前にあるドームのみが存在していた。
ハジメが立ち止まった場所には入り口も何もなく、ただ滑らかな艶消黒色の壁が広がっている。
「これは、流動形状記憶媒体か?」
参式を纏った花立が言うのに、同じく黒の一号となったハジメがうなずく。
「俺の装殻を培養して作った。触るなよ。接触した物体の細胞を侵食して取り込むようにしてある」
「お前はたまに、物騒な事を平然と口にするな……仮に復活していても、これでは出れないんじゃないのか?」
「意志なき装殻だ。襲来体の中でマザーのみが明確な意志を持っている事を考慮すれば、絶対取り込まれないとは言えん」
「ぞっとしないな」
「一応、保険は掛けてある。俺以外の生体波動を持つ者から変化を命じられれば、自壊するようにな」
言いながら、ハジメは手に持っていた小さなアタッシュケースを開いた。
中から、車の遠隔操作キーのような鍵を三つ取り出し、何度か一つずつ操作すると、最後に声に出して命じた。
「収束」
『認証キー、及び主権利者の生体波動を感知しました。封印を解除します』
補助頭脳に似た音声が通信越しに流れ、ドーム表面が波打った。
天井から徐々に口を開いてゆき、地面に達すると今度は一点に向けて収束する。
やがて巨大な黒い卵のような、あるいは繭のような物体となり、ドームだった流動形状記憶媒体は動きを止めた。
そして、ドームの中央であったと思しき場所には。
青い球体が、赤黒い心臓のような鉱物を覆って浮いていた。
襲来体母体心核だ。
「やはり封印されたままだったか」
「だったら、一体誰が襲来体を生み出していたんだ?」
「俺や」
不意に、背後から声を掛けられて二人は振り向いた。
そこに立っていたのは。
「カズキ……」
いつもと変わらない様子で、井塚は笑みを浮かべた。
「来い」
青い球体を纏ったままマザー・コアが動き、瞬時に井塚の手に収まる。
「何故、お前が?」
参式の声は静かだったが、少し震えていた。
「俺が、マザーやからや。ああ、別に擬態されてる訳ちゃうで。ココにな」
とんとん、と、軽く自分の胸を指で叩く井塚。
「おやっさんが死んだ時、どうも奴の因子かなんかを埋め込まれとったみたいでな。知っとるか? 襲来体ってのは、地球の鉱物から生まれるモンらしいで。で、隕石から生み出された襲来体が母体複製体になるんや」
マザー・コアを投げては受けながら、井塚が解説する。
「ハジメさん、マザー・コアを封印する時に隕石ごと封印しとくべきやったなぁ。次から気ぃ付けた方がええで」
「……次は、ない方が良いがな」
「せやなぁ。まぁ、今はマザー以外の襲来体は、ほぼおらん。安心してえーで。ほんまにこれで最後や」
あまりにも晴れやかな井塚に、参式が怒鳴る。
「カズキ、質問に答えろ。何故お前が、こんな真似をした!」
「別に俺がやった訳ちゃうねんけどなぁ……まぁ、優柔不断が悪いっちゅーんなら、俺のせいかもせーへんなぁ」
「花立。少し落ち着け。井塚は別に隠し事をする気はないだろう」
「さすがハジメさん。分かってるわ」
マザー・コアの青い球体が、徐々に薄れ始めていた。
マザーが、目覚めようとしている。
「あんま時間なさそうやな。俺がマザーの因子に気付いたんは、ミツキが生まれた頃……十六、七年前の事や。俺の生体エネルギーを食って力を蓄えてたんやろなぁ。年々、俺を支配しようって意思が強なって来とった」
「何故、気付いた時点で俺達に言わなかった?」
参式の言葉に、井塚は苦笑いしながら頬を掻く。
「ミツキが、おったからや」
「ミツキだと……?」
何故ここでその名前が出て来るのかと訝しげな参式に、井塚は言う。
「アイツの成長を見ときたかったんや。時間の許す限りな。マザーの因子の事を言ってもーたら、アイツの傍にはおれんやろ? 少しでも長く、一緒におりたかった。……ワガママやって、分かっとったんやけどなぁ」
そうして、気付けば十数年経っていたのだと。
井塚は、遠い目をして言った。
「子どもの成長は早いで。あっちゅう間にデカくなる。喧嘩もしたし、一緒に遊びにも行った。まぁ仕事柄、約束破る事も多かったけどな。……そんで結局、抑えきれんようになってもーた」
自分の胸をぐっと握り締め、井塚は真剣な顔をした。
「俺はずっと後悔しとった。あん時に俺がマザーに突っかからんかったら、おやっさんは死なんかった。……トウガ。俺は。オメーから父親を奪ったのに、自分の大事なモンは、手放す事が出来んかったんや」
その表情はひどく苦しげで。
「俺はやっぱり、オメーらみてぇな英雄にゃなれんのや。ちっこい幸せを、もう少し、もう少しって先延ばしにして……あげく、こんな大事になってもーた」
マザー・コアのプロテクトが消えた。
コアは、一度、どくん、と脈打ってから。
井塚の首元に喰らい付いた。
「ッ、カズキ!」
「ええねん、トウガ! これは、俺の償いや」
侵食されながらも、意志を秘めた目で、井塚は参式から目を逸らさない。
「ハジメさん、ケイカに言ったやろ。意志を強く持て、って。俺がマザーの侵食を今まで抑えれたんは、その言葉のお陰やった。でも、マザーが力を増して、ミツキも手ぇ離れて……俺は、マザーが好き勝手に周りに意思を干渉させ始めるのが、抑える事が出来んようになって来た時に、オメーが出向して来たんや。やから、思った」
井塚は、体を侵食され尽くして。
しかし口元だけは、言葉を紡ぎ続ける。
「ここらで、おやっさんの敵討ちくらいは……オメーにやらせてやれって、事なんやろなぁ、って」
「馬鹿野郎!」
参式は怒鳴った。
「何を勝手に決め付けてんだよ! お前、お前がこんな所で死んで! そんな説明で、ミツキが納得すると思ってんのか!?」
「納得させろや……そういうのん、得意になったんやろ?」
全身を鉱物と化して脈動させながらも、井塚がまだ軽口を叩くのに絶句する参式に代わって、ハジメは口を開く。
「カズキ。せめてコアと接触する前に俺達の所に来れば……助かったかも知れない、とは思わないのか?」
「ハジメさん……俺、アホやねん。今更あんたらに、これ以上迷惑を掛けられへんと、思ったんや」
「迷惑だと、俺たちがそう思うと、本当に思っていたのか?」
「いや、ちゃうなぁ……言い訳や。本心はきっと、助かっても、俺の心が……耐え切られへんから、や。いっぱい、殺してしもた、から……」
徐々に、意識が混濁していっている様子の井塚は、喋るのを止めない。
「なぁ、ハジメさん……あいつが望んだら……ミツキを、預かったってくれへんか……? あいつは、俺より、多少は骨がある思う……甘ったれ、やけど」
「カズキ……」
「なぁ……きっちり殺せや。トウガ」
笑みを浮かべたカズキの口元が、もう、呑まれる。
「俺は、オメーの……おやっさんの、仇や」
そして。
襲来体母体が、三十年の時を隔てて、再び蘇った。




