第36節:正十字
「対象確認」
その男は、丘の上から大阪区の町並みを見下ろしていた。
身に纏うのは、ごく普通のシャツにジーンズ。
黒髪は短く揃えられ、ともすればモデルとも見える立ち姿だが、その優男は、激戦によって少し痩けた頬と冷たい目によって鋭さを帯びている。
『護衛は?』
通信に返答があり、彼は軽く頬に笑みを浮かべて答えた。
「本条ハジメだ」
通信の向こうで軽く息を吐く音がした。
しばらくして、一組の男女が丘を上がって来て彼の横に立つ。
「花立トウガ。やはり奴が参式だったか。黒の一号が護衛とはな」
上がって来た男の方、巌のような顔をしたヒゲの男性が静かに言う。
「攻めるか? 作戦の時は偽装装殻のお陰で助かったが、今回は相手も相手だし、誰かやられるかも知れんぜ」
「別に機会は今だけではない。焦る必要はなかろう」
巌のような男の言葉に、優男はおどけた様子で肩を竦める。
優男の気楽な様子に、ただ一人の女性である白人の少女が口を尖らせる。
「てゆーか、ケイタ、無茶し過ぎなんだよ。高いんだぞ、偽装装殻」
少女は三つ編みにした金髪と明るい碧眼の愛くるしい顔立ちだ。
小柄な体を、ロリータファッションで包んでいる。
「しかもバレルティガーまで壊してさ。私が政府に幾ら払ったと思ってるの?」
「〝パイル〟と本物の体がありゃ負けなかったけどよ。あの状況じゃ仕方ないだろ。上手い事退場しなきゃ、こっちに来れなかったしよ」
少尉……海野ケイタは、本来の口調で軽くやりとりする。
「それにルナ。お前の持ってる資産からすりゃ軽いモンだろ。ピンキーでどんだけ稼いでるんだよ」
「ざっと年商500億くらいかな」
どこか得意げな口調で言う金髪の少女、ルナは、装殻開発会社ピンキーライン社のCEOを務めている。
「お前にも相当払っているだろうが。貯金から出すか?」
「冗談だろ?ミチナリ。 必要経費で落とせよ」
巌のような男、専務取締役であるミチナリのため息混じりの言葉に、特別顧問の肩書きを持つケイタは肩を竦める。
偽装装殻は、ピンキーライン社が独自開発した技術だ。
思念受信体を埋め込んだ人形に装殻を纏わせ、遠隔で操る技術である。
勿論極秘だ。
世間一般だけではなく、各国政府にすら知られていない。
「まぁ、襲来体のデータもかなり集めれたし、良いけどね」
「《黒の装殻》の人相も、これで弐号以外は全員把握した。特殻を犠牲にした甲斐はあっただろう」
「しっかし、あれだけ色んな事を見逃してやったってーのに、襲来体も役に立たなかったな。一人くらい殺せるかと思ったのによ」
ちらりと憎悪の色を瞳に浮かべたケイタに、ルナが頷く。
「本当よね。世界を壊したあいつらが未だにのうのうと生きてるなんて、耐えられないわ」
「我慢しろ。まだこれからだ……次は我ら自身で動く。奴らには、必ず罪を償わせる」
ミチナリの言葉に、二人はうなずいた。
「我ら、《白の装殻》の名の下に」
「「悪に裁きの鉄槌を」」
ミチナリは、丘の下に見える病院に目を向けた。
胸元で、小さく正十字を切る。
「その第一段階として、我らが主を取り戻す。……正戸アイリの確保をしくじるな」
「ええ」
「分かってるよ」
そのまま、三人は人知れず姿を消した。
※※※
襲来体伍式殲滅後。
北の部隊と合流して大阪区へ退避する段取りを整えた段階で、仮説本部にいる花立が言った。
「これからすぐに、エリア0へ向かう。本条は来い。カヤは全員を連れて退避だ。怪我人を大阪区まで輸送して治療を受けさせろ」
「二人で行かれるのですか? 危険過ぎます!」
花立に対して、カヤが反論する。
「私も……」
「駄目だ。マザー相手に数は無意味だろう」
「しかし!」
「なら聞くが、無事な人員でさっきの戦闘に介入出来る奴が、本条以外に居るか?」
「……っ」
カヤは悔しそうに言葉を呑んだ。
花立の言う通り、花立とハジメ以外でコア・コピーの限界機動に対応出来たのはマサトだけだった。
「下手に人数を連れていった所で敵を増やすだけだ。特殻ですらほぼ全滅したんだぞ。それ以上の練度のない者を連れていって、犠牲を出す訳にはいかない。ましてお前は、今責任のある立場だろう」
「……分かりました」
ハジメは花立とうなずきあって席を立った。
「ご武運を」
カヤが恭しく頭を下げるのを背に外に出た二人を見つけて、ミツキが駆け寄って来た。
「あの」
少し緊張ぎみに声を掛けるミツキに、二人が立ち止まる。
「どうした?」
花立が訊くと、ミツキがどこか不安そうな顔で言った。
「親父が見当たらんのですけど……どこ行ったか知りませんか? 通信にも答えんくて……」




