第35節:三番目の男
『ケイカ!? 君が、何故ここに……!』
後に大阪区と呼ばれる事になる地域の奪還作戦。
幾つかある襲来体の大規模な巣の一つを叩き潰し、襲来体母体を追い出したまでは良かった。
しかし追い詰めた筈のマザーの側に居る少女を見て、【黒の兵士】の面々は一斉に足を止めた。
黒の一号も知っている彼女は、スミレがその命を散らして救い、トウガに再び活力を与えた少女。
万ケイカ。
その目は虚ろで、トウガの呼び掛けにも反応しない。
『私が呼び寄せた。相変わらず一度懐に招き入れた者を疑わないな、貴様らは。不思議に思わなかったのか? 我々が占拠した場所で、こいつが生き残っていた事を』
マザーは、以前対峙した時とは違い、半分人のような姿になっていた。
顔は、スミレに酷似している。
情報から人の姿を形成したという、悪趣味な趣向だった。
マザーは、ケイカの首に手を掛けた。
すると、彼女の目の焦点が合い、きょとんとした顔をする。
『あれ? 私……』
自分の状況を把握出来ていない様子の彼女に、マザーが語り掛ける。
『さぁ、己を思い出せ、我が分身よ』
「ひっ……ううッ!』
突然、ケイカが苦しみ出した。
肩の辺りが盛り上がり、見る間に彼女の全身を侵食していく。
やがて、半分程度が鉱物と化した彼女が、一歩足を踏み出した。
『く、るしい……』
『貴様、ケイカに何をした!?』
『ふふふ。実験だよ、トウガ。人の体に私の分身を植え付けるとどうなるか、というな』
ケイカの頭の隣に、襲来体の頭部が形成された。
おぞましいそれが目に入り、ケイカが涙を流しながら悲鳴を上げる。
『い、いやぁあ!』
『さぁ、コア・コピーよ! 奴等を殺せ!』
ケイカの意思に関係なく、鋭い爪を備えた腕を振り上げて、ケイカがトウガに飛び掛った。
トウガがその腕を掴んで止める。
『ぐ、ケイカ!』
『いや、やめて! やめてぇ!』
押し合いになり、じりじりと花立は後ろに下がる。
『花立!』
黒の一号は、花立を助ける為にそちらに向かい。
井塚が。
『どこまでもゲスな事をしよっておんどれはぁあああッ!!』
激昂して、マザーに掛かって行った。
鯉幟がそれを制止する。
『ッ無謀だ! やめろカズキ!』
『おおおおおおおおッ!』
しかし、井塚は止まらなかった。
機関銃を乱射しながら、スミレの姿をしたマザーに襲い掛かり。
逆に胸元に拳を突き上げられて、肺の息を全て吐き出す。
『かはっ……!』
『カズキぃ!』
『この子は引き受ける、行け、花立!』
黒の一号がケイカを引き受け、うなずいたトウガはマザーに向かって駆けた。
『マザー!』
『ふふふ』
ナイフの一撃を軽く飛んで躱したマザーを見ながら、膝をついた井塚の襟首を掴んで下がるトウガ。
そして、黒の一号は。
『襲来体が、細胞を浸食しているというのなら……奪い返す!』
苦しむ少女に自身の装殻を一欠片剥いで、口に含ませた。
『心を強く持て! 君を侵食する襲来体細胞を、俺の装殻で叩く!』
『た、すけ……』
『必ず助ける! ……纏身!』
体を離れた装殻と意識を共鳴させた黒の一号は、シノとカヤ、それに鯉幟がフォローに入ってくれるのを見ながら、少女の体を蝕む襲来体細胞を攻撃した。
装殻が、徐々にケイカの中で広がって行くのを感じる。
意識に感じる、押し戻すような圧力は襲来体のものだろう。
この時の攻防をヒントに、黒の一号は襲来体組織融解弾を作り上げたのだが……それはまだ後の話。
やがて、ケイカを取り込んでいるコア・コピーが苦しみ始めた。
少女の体内で、装殻と襲来体がせめぎ合っていたが、徐々に装殻が優勢になる。
『う、ぁ……』
しかし、自分の体内で暴れる二種類の力に、ケイカの目から徐々に光が失われていく。
『頑張れ、ケイカ! 装殻は、人を救う為に生まれた存在だ! 信じろ! 君の中にある装殻は、必ず君を救ってくれる!』
『あ、ぁ……』
やがて、黒の一号の意識に、別の意思が混じり始めた。
救われたいと願うその意思を、黒の一号は優しく包むこむように、守る。
襲来体から、完全に肉体の主導権を奪い取り、撃滅する。
ケイカの体表が、徐々に鉱物から滑らかな黒色へと置き換わっていった。
襲来体の頭が徐々に弱々しく、小さくなってゆき。
ケイカの頭だけを残して、その全身が装殻に覆われた。
彼女の顔が、徐々に安らいだものに変わっていく。
『……大丈夫、か?』
『うん……ありがとう、黒のーーー』
ケイカが微笑み。
その体が、唐突にばしゃん、と溶け落ちた。
同時に、黒の一号の意識がケイカの体から弾き飛ばされる。
『ーーー!』
少女の姿が、流動形状記憶媒体の塊と化して、スライムのように黒の一号の足元にわだかまった。
『くっ……何故……!?』
黒の一号の呻きに、井塚を庇いながらマザーと対峙していたトウガが反応する。
『ケイカ!?』
『余所見は命取りだぞ?』
隙を見逃さなかったマザーの爪がトウガに迫るのを、黒の一号は見た。
『くぉ……!?』
ナイフを弾き飛ばされ、体を開かされたトウガの無防備な胸元にマザーの一撃が迫る。
しかしトウガの体は、貫かれる寸前で弾き飛ばされた。
彼に体当たりして突き飛ばしたのは……。
『『隊長!?』』
黒の一号、井塚、そしてシノとカヤの声が重なる。
キヘイの腹が、マザーに刺し貫かれていた。
『がぁ……!』
体を貫かれながらも、キヘイがマザーの頭に機関銃を押し付けて引き金を引いた。
『グッ!?』
流石のマザーもその一撃は効いたのか、腕を引き抜いて後退する。
『お、親父……!』
『おやっさん!』
『情けねぇ声を出すんじゃねぇよ、クソガキども』
トウガと井塚の呼び掛けに答えた後に咳き込んでから、キヘイは口元を拭った。
『ハジメェ……テメー、何を諦めようとしてやがんだ? よく見やがれ!』
脇腹からから血を垂れ流して野戦服を染めながら、キヘイが怒鳴った。
『まだ、生きてるだろうが!』
黒の一号が足元のスライムに目を落とすと、それは鼓動を打つように脈動していた。
再び意識を向けると、ケイカの意思が返ってくる。
『ケイカ……!』
『テメーらが諦めたら、助かるもんも助からねぇだんだよ! 俺達ゃ何だ!? 人類最前線部隊【黒の兵士】だろうがァ! ここで踏ん張れねぇんなら、テメーらは何の為に戦って来たんだ!? あァ!?』
凄絶な活に、黒の一号を含む全員の顔が引き締まる。
そして、キヘイがぐらりと倒れた。
その体を受け止めたのは、トウガ。
『クソ親父……見とけよ。マザーは、俺が殺る……!』
キヘイが、再び血を吐きながら笑った。
『口だけのヤツァ……いらねぇぞ馬鹿息子』
トウガはそっとキヘイを横たえ、彼の機関銃を手に取り、予備のナイフを抜く。
誰よりも強大な鬼気を纏い、息苦しささえ覚える程の殺意に満ちた表情で、トウガが走る。
そして同時に、黒の一号も駆け出した。
『よくも……スミレだけでなく、親父まで……殺してやるぞ、マザァアアアアアッ!!』
トウガは真正面から飛び込んだ。
『……ははッ! 凄まじい意思だな、花立トウガ! やれるものなら……!』
言いながら、片目が潰れた顔で嗤い、マザーが爪を薙ぐ。
それを打ち払いもせずに体に受けながら、トウガは残ったマザーの目に銃口を押し付けた。
『なっ!?』
『くたばりやがれ、襲来体ォッ!!』
銃声、血飛沫に似た体液が吹き上がる。
詰まった機関銃を放り出して、トウガは両手で構えたナイフを、マザーの首筋に突き立て……。
『調子に、乗るなよ!?』
……るのと同時に、マザーがトウガの体を抱くように両手を交差させて、その背中を深く掻き裂いた。
『グッ、オオオオオッ!』
それでもナイフから手を離さず、トウガは全体重を掛けて、比較的柔らかいマザーの首から右腕を縦に深く抉り抜く。
『ぬ、腕が……!』
視力と片腕を失いながら、それでもまだ残った腕でトウガの体を薙ぎ払うマザー。
『はっ……! やれ、本条!』
吹き飛びながらも親指を下に向けて笑いながら言うトウガの声に応え。
『出力解放ーーー』
『実行』
決定的な隙を見せたマザーを、黒の一号が追撃する。
『ーーー〈黒の打撃〉』
狙い違わず、その一撃が胸元を撃ち抜いた。
だが。
『クッ、エネルギーが……!』
『私は……滅びぬッ! 来い!』
十分な出力が出せず、マザーは死ななかった。
破壊のエネルギーを抑え込み、自らの心核を抉り出す。
『よくもここまで傷をつけてくれたな……許さんぞ。必ず、貴様ら人類を滅ぼし尽くしてくれる……!』
マザーは、砂となって崩れ落ちていくが、その心核を、影から飛び出してきたコア・コピーが救い上げる。
『まだコピーが残っていたのか……!』
マザーは少なくとも3体のコア・コピーを産み出せるらしい。
シノ達が後ろから射撃するが届かず、コア・コピーは逃げ去った。
『親父……』
失血し、青白い顔をしながらも、トウガはふらふらとキヘイに歩み寄った。
『はは、捨て身でも、仕留めきれなかったな。格好つかねぇなぁ、俺……』
『いいや、よく、やった。あれだけやりゃ、すぐには回復、しねぇさ』
トウガが倒れ伏し、シノ達が駆け寄る。
黒の一号は、キヘイの脇に膝をついた。
『すまない、おやっさん。俺が、仕留め切れていれば』
『言うな。運が奴にあった、だけだ。次は殺せ』
強い意思を込めた目で言い、キヘイが血を吐いた。
『おやっさん! すぐに治療を……!』
『良い。もう間に合わねぇさ。俺よりも……ハジメ。トウガを、救ってくれ……奴を、三番目に』
『! ……それは』
『完成……ごふっ……してるんだろ? こ、こいつは……変わった。きっとお前の、助けになる。だから……頼む。トウガを、人体改造型装殻、に……!』
黒の一号の手を力強く握りしめ、キヘイは言った。
『俺の息子を……死なせないでくれ』
『………………分かった』
※※※
「―――花立は施術が間に合って参式となり、俺は、襲来体に対抗する為に巨人兵装を開発した」
マサトは、ハジメの口から語られた事実の重さに唇を噛み締めた。
泣くべきではない、と思った。
室長やハジメの背負うものの重さは、同情で汚して良いような、安いものではない。
「そうして得た新たな力を持って、トウガは襲来体を殲滅した。そして俺が装殻を世に送り出した時、その力の使い方を伝授した後、花立は軍を辞してフラスコルシティの捜査員となった」
「だから室長は……あんなにも自分に厳しいんだね」
事件解決の際、一人でも犠牲を出した時、それが死ぬほどの怪我ではなくとも室長は笑みを見せない。
それは、知っているからだ。
誰かを失う事の辛さを。
胸を引き裂く痛みを。
残された者が背負う重みを、知っているからだ。
「奴ほど強く、目の前の誰かを守りたいと思っている男はいない。だからこそ、奴は参式足り得た」
まるで彼の存在を誇るように、ハジメは言う。
「俺の破壊の力と、二号の遮断の力。その2つを同時に使いこなし、 目に見える者全てを守るために編み出したのが〈紅の爆撃〉だ。自らを顧みず、コア・エネルギーを極限まで使用した破壊を撒きながら、守りたい者には傷ひとつ付けない。実に奴らしいと思わないか?」
「そうだね」
マサトが小さく答えると、ハジメは重い空気を払うように言った。
「俺は、花立に殴られた事がある」
「え?」
「襲来体の件が終わった後の事だ。参式にしてしまった事を謝罪したら、いきなりな」
苦笑しながら、ハジメは痛みを思い出したのか左の頬を撫でた。
「『親父を侮辱するな』、『俺はこの体を誇っている』とな」
「あー……」
何だかその様子が想像出来て、マサトは小さく笑った。
室長らしいなぁ、と思った。




