第1節:大阪区司法局
かつて大阪府と呼ばれた地は、ある災害によって一度壊滅した。
天王寺と呼ばれた場所に隕石が落下し、その暴威によって周辺地区も甚大な被害を受ける。
さらに、正体不明の、装殻者に酷似した生物が出現し、政府は地区ごとの閉鎖を決定。
未だ人類の敵になる前の《黒の装殻》を含む最大戦力を投入し、その生物の駆逐に成功する。
後に『襲来体事件』と呼称されたその事件の後。
政府には街を復興するだけの余力がなく、区画再開発の中止を決定。
やがて浮浪者が住み着くスラム街と化した場所は後に『Lタウン』と呼称される事になる。
時は流れ、Lタウンで発見された一つの遺体。
その存在が、新たな事件の幕開けとなる。
※※※
「妙な死体?」
捜査員の報告に、フラスコルシティ捜査第七課課長花立トウガが眉をしかめた。
その様子を横目で見て、マサトは溜め息を吐く。
ここはいつもの捜査一課第三室の執務室、ではない。
今、室長とマサトは大阪区へ出向していた。
フラスコルシティの捜査課は試験的なシステムを導入しており。
結果を出している為、そのシステムを段階的に全国へ導入する事が決定した。
その実務面での調整役として、フラスコルシティから大阪区司法局に派遣されたのが室長で、マサトはその護衛だった。
「資料は?」
「こちらです」
室長は冷俐な容貌の男性で、銀縁の眼鏡を着用している。
撫で付けた髪やスーツの着こなしには一部の隙もない。
彼は素早く資料に目を通すと、顔を険しくした。
「これは……」
マサトは何気なく横から覗き込んで、驚いた。
「何これ……」
写真が資料の最初に添付されていたのだが、それがあまりにも不気味だった。
のっぺらぼう。
そうとしか呼べない、人の形をした何かだ。
服すら身に付けていないのに、体毛すらなく、男女の区別すらつかない。
「マネキンか何か?」
「いえ、遺体です。死後数日経っていて、司法解剖の結果分かりました。しかし、臓器などはあったのですが……」
資料を持ってきた捜査員は言い淀む。
「この遺体には外的情報……顔立ちや体毛はまだしも、毛穴や指紋、局部などが一切ないのです」
「死因は?」
マサトは訊いた。
「それも不明です。外傷も、臓器や骨の損傷もありませんでした」
「『人相不明』や」
唐突に、横様から声が掛かる。
「オメーにゃ見覚えがあるやろが? え、花立よぉ」
マサトが見ると、島と呼ばれるデスクの塊の一つに座り、背もたれに肘を置いて振り向いた中年太りの男性がいた。
首が異様に太く、スポーツ刈りの頭には剣呑な色を宿した目と、丸い鼻が乗っている。
「井塚さん……」
捜査員が嗜めるような声を出すと、井塚は皮肉な薄ら笑いを浮かべた。
「おっと、こりゃ失礼。お偉い室員様方の会話に、俺みてぇな一般課の雑魚が口挟んじゃあ、あかんかったかぁ?」
「そんな事はないよ、井塚」
室長が返事をする。
「……知り合い?」
「ああ」
「ふ~ん」
マサトは、井塚という捜査員にあまり良い印象を持たなかった。
大阪区司法局は、スラム街の近くなので捜査員の人数が多い。
しかし復興が進んでいない為に使用出来る土地が限られていて、建物は手狭だ。
人工半島であるフラスコルシティのように各捜査室が作れる訳もなく、島の振り分けで捜査室と一般課を分けているのが現状だ。
シティに比べると、街も雑然としていて人の気性も荒い。
なので、元は同じ捜査課だったのに、という軋轢や不満が目に見えて溜まりやすく、またぶつかるにも容易い環境なのだ。
合理性を重視する室長は、そんな捜査員の人情に関係なく能力で振り分けを行った。
当然先輩も後輩も関係ない。
仲裁に入るのは、装殻者としては格上でも、まだ10代で経験不足のマサトと、年長者の達観した捜査員だけ。
もうちょっと考えてくれ、とマサトは室長に訴えたが、貴重な経験だ、と一言で切り捨てられた。
当の室長は嫌味にも全く堪えない人種なので、胃の痛いマサトの気持ちなんか欠片も理解出来ないに違いない。
「少し課長と話をする」
室長は席を立ち、その場を後にした。