第18節:形見
「殲滅戦の概要は、こんな所ですか」
デスクに投影したLタウン地形図から目を離してカヤが言うのに、室長はうなずいた。
「戦闘区域になる部分からは、出来るだけLタウンの住民を避難させる。その為に、あいつにも中に入って貰った」
「【黒の兵士】の腕の見せ所ですね」
「ああ」
【黒の兵士】は、特殻の前身となった組織だが、当然ながら全員がそうなった訳ではない。
元々志願兵によって組織された部隊であり、最後は人員不足から一般人も参加していた。
そうした者達の一部は、【黒殻】や……襲来体を監視する為に、Lタウン住民にもなっている。
人相不明の報告を最初に上げた大元は、辿ってみればそうした人員の一人だった。
故に、秘密裏にではあるが比較的速やかに対策を講じる事が出来、被害人数は少なく済んでいる。
今の所は。
「政府三官のエリア0進入許可も降りました。Lタウン区画殲滅も半分程度。この後は一気に攻勢に出れますね」
「例の参式の動向が気になるがな」
捜査員に怪我を負わせて以降、姿を見せない偽の参式が襲来体であるのは間違いない。
「厄介ですね。母体複製型でしょうか?」
「ほぼ間違いないだろう。過去情報を基に擬態しているのだからな」
襲来体は、コア以外はそうした真似は出来ない。
「今回の件で、接触している可能性は?」
「ないな」
室長は、カヤの質問に断言した。
「子の襲来体が得た情報は、母体の眠る大阪隕石に戻らなければ母体に還元されない。偵察部隊により、エリア0が解放されていない事は確認している。目撃された偽物は、まず間違いなく、母体複製型だ」
襲来体発生理由は不明だが、封印が破られていない事は確実だ。
破られていないからこそこの程度の被害で済んでいる、という見方も出来る。
「参式が、接触した子の襲来体を取り逃がしたのかも知れませんよ? 感知できない方法で封印も破られているのかも」
今のところの問題は、何故封印されているにも関わらず、襲来体が出現したのか、だ。
あるいは、潜伏していた襲来体が残っていた可能性も考えられる。
しかし考えるだけで結論は出ず、調査は難航していた。
「お前の知る参式は、そんなヘマをするような間抜けだったか?」
挑発的な表情で言うカヤに、同じく、不敵な笑みを返す室長。
「まあ、戯れはこの位にしておきます」
カヤは明言は避け、Lタウン地形図を写したホロ・スクリーンを消して、立ち上がった。
「少し、呑みませんか?」
「それは……」
カヤが取り出したのは、私物のボトルだった。
「副長の好きだったお酒です」
それは杏子を漬けた酒、杏露酒だった。
室長は眉をしかめる。
「割ってくれればな」
室長は、酒には然程、強くはない。
「炭酸しかありませんが、それで良ければ」
カヤは言い、自分の分をロックで、室長に2:8の炭酸割りを用意した。
勿論、杏露酒が2だ。
「【黒の兵士】に」
「乾杯」
キン、と音を立ててグラスを合わせ、カヤは一気に半分を呷り、室長は表面だけを舐めるように呑んだ。
「しかし、まだ持ってるのか。それを」
「おや。昔の相棒にそのような言い方を。それに、形見でもあるのですから」
とんとん、と彼女が叩いたのは、大太刀の柄だ。
かつてスミレが使い、室長が受け継ぎ、キヘイ隊長が死んだ後にカヤが譲り受けたもの。
「そう言えば、理由を聞いていませんでしたね。何故、譲って頂けたのです?」
「……必要が、なくなったからだ」
「へぇ」
まるで信じていない口調でカヤが言うのに、室長は渋面になる。
「私はてっきり、心優しいトウガさんが、私の身を案じて渡してくれたものかと勘違いしていました」
「……お前達は、やり辛い」
「昔を知っているから、ですか? あのマサトとかいうガキには、それはそれは厳しい室長として接されているようで」
「何も言うなよ」
「さて。保証は出来ませんね。それに私が言わずとも、もっと口の軽い人が居ますよ」
「……カズキか」
「任せたのでしょう? きっと話しています。悪びれもせずに、ね」
室長は渋面のまま、再びグラスの酒を舐めた。
「……お前達には感謝している。俺が去った後も、この地に留まって俺の代わりを務めてくれた事。シノも、鯉幟さんも……俺を助ける為に色々な手助けをしてくれている」
「皆、したくてしているのです。襲来体を閉じ込めた後に特殻を作り上げて軍を去り、今度は司法局員として守れる人を守ろうとしている貴方を助けたいと」
「俺はそんな大した人間じゃない」
室長は吐き捨てるように告げる。
「出世したほうが、出来る事が増えると理解しているのに、権力争いが嫌で現場に固執しているような男だ」
「その上、必要な事は少しも誰にも言わず、余計な口ばかり利いてしまう成長のない男ですね」
「少しは容赦しろ。自分でも分かっている」
室長は、苦笑を浮かべて見せた。
彼のグラスの中身は少しも減らず、カヤが中身を呑み干したグラス中では、溶けかけの氷が、からん、と音を立てた。
「私達は知っていますよ。助けるべき人の顔が見えなくなるのが嫌で出世に踏み切れず、相変わらずちっとも素直にはなれないトウガさんを、ね」
だから、とカヤはグラスを置いて胸に手を当てた。
「私とシノが、上を目指している。貴方はそのままで良いのです。そのままの貴方が好ましいのですから」
「煽てても何も出て来んぞ」
「口付けの一つも貰えれば、私はそれで良いのですがね」
その言葉に、グラスを再び舐めていた室長がむせた。
「責任も一つ、感じていただきたく思います。私を四十も半ばの嫁き遅れにしたのは、貴方です」
そう言って婉然と微笑みを浮かべる彼女は、どう高く見積もっても三十代前半、下手をすれば二十代後半にすら見える。
「……お前とシノは、老けんな」
襲来体事件は、二十八年前の事件だ。
その頃、世話になっていた孤児院を襲来体に全滅させられて志願兵となったシノとカヤは、まだ十六だった。
「あなたもでしょう。装殻の力は偉大だと言っておきます」
「若返り作用があるとは知らなかったが」
「あるのですよ。つい最近の研究結果ですがね。流動形状記憶媒体と高い親和性を持つ人間は、装殻する度に細胞の活性が行われるそうです」
「本条が老けないのも、それが理由か」
黒の一号は《黒の装殻》の中でも、最も装殻に対して高い親和性を示している。
「まぁ、口付けの件は冗談ですよ。貴方の心が今も副長の元に在る事は十分に知っていますから」
「……何故、俺なんだ。お前も、シノも」
「さぁ? 恋心とは儘ならないものでしょう? トウガさんにとっても」
「……かもな」
結局グラスの中身は干さずに、室長は立ち上がった。
「敵討ちも大事だが。脅威にさらされる者達を、まずは救う。エリア0を攻めるのは、その後だ」
「ええ。万全を期しますよ。……今度こそ」




