第16節:マサトと井塚
「助かる。手間を取らせた」
花立はデスクに座ったまま頼んでいたものを受け取り、運び屋の男に礼を言った。
「別に構わないが……何に使うんだ?」
「少しな」
自嘲気味に笑う花立に、運び屋の男は追求しなかった。
「今からどうする?」
「Lタウンの同志に接触してくれ。シェルターはそこそこ確保しているが、やはりまだ事情を理解していない連中も多い。そろそろ俺が動くのも厳しくなって来た」
「相変わらず、自分だけで苦労を背負っているのか」
「お前に言われたくない」
憮然とする室長に、運び屋の男は苦笑いを返した。
「上層部もこちらも、準備は整い始めている。シェルターの防備は完全なのか?」
「夜も陽光灯は消すな、とは言っているがな……擬態状態の襲来体は、多少は日光にも耐性がある。今は昼日中に出歩いている連中にしか声を掛けるな、と伝えている」
「俺が相手にするのは、夜動く連中か」
「そう。屋内にいる奴らを誘導してくれ。出来る限りで良い」
「引き受けよう」
「助かる。殲滅作戦実行時にはまた声を掛ける。回線は常にスタンバイにしておいてくれ」
「ああ」
答えて、運び屋の男はその場を後にした。
※※※
「マサト」
後ろから声を掛けられたが、マサトは振り向かなかった。
Lタウンの中にある、中継キャンプの隅で、マサトは膝を抱えていた。
室長と顔を合わせたくなかったからだ。
目の前には、フェンス越しにLタウンの廃墟が見えている。
ちらほらと動く人々も居た。
そろそろ夕暮れ時。
また、襲来体を相手にする時間が始まる。
「仮眠くらい取れや。倒れるで」
差し出されたペットボトルを受け取らず、マサトは唇を噛み締めた。
「……室長は」
「ん?」
「あんな人だけど、理想を追う人だと思ってた」
涙の跡を見られるのが嫌で、マサトは顔を伏せる。
そのまま、言葉を続けた。
「あの人とおやっさんだけは、誰かを見捨てるような真似はしないって、そう思ってたんだ」
投げ掛けられた言葉が、何度も耳に蘇る。
あんなに怒った室長を見たのは初めてだった。
いつだって冷静で、言われる言葉はキツくても、目の前の人を救おうとするマサトを助けてくれた。
……人の命を、仕方がないからと切り捨てるような人じゃないと、思っていたのに。
「別に、オメーの信頼は間違っちゃいないと思うで」
特に気負うでもなく、井塚はあっさりと言った。
マサトは語気も荒く反論する。
「でも、室長、義務はない、って言った! 助ける必要はないって! 助ける必要がなかったら助けなくて良いと思ってるなら、何の為に僕らは戦ってるのさ!」
また、泣けてきた。
しかし、井塚はマサトにとって意外な事を口にする。
「助ける必要があれへん、やから助けやん(ない)、って、花立、そんなん言うとったか?」
「え?」
その不思議そうな口調に、思わず顔を上げてしまった。
すると、そこには面白そうに笑う井塚の顔があった。
「出来る限りの手を打っとる、って、アイツ言うてへんかったか?」
「……言ってた、気がするけど」
だが、それが何なのだろうか、とマサトが首をかしげると。
「やったら、ホンマに出来る限りの手を打ってるんちゃうん? 別にアイツ、必要かどーかなんかそもそも考えへんやろ」
全く疑った様子のない井塚に、マサトは逆に疑問を覚えた。
間違った事は嫌いだが、冷徹で、合理的。
それがマサトの知る室長だ。
なのに、井塚の語り口から察せられるのは、室長がもっと単純な人間だ、という印象。
「……何でそんな風に思うの?」
「そら、アイツが花立トウガやからや」
井塚は自分の分のペットボトルに口を付け、ん、とマサトに先程差し出したペットボトルを渡してくる。
拒否する気も起こらなくなって、素直に受け取った。
口を付けると、自分はひどく喉が渇いていた事に気付き、一気に半分飲み干してしまう。
「なー、マサト」
「何?」
「お前が言ってたおやっさんてのは、もしかして鯉幟さんの事ちゃうか?」
井塚は、フェンス側から吹いてくる風に、心地良さそうに目を細めた。
「おやっさんと、知り合いなの?」
「せやで。俺も、花立も、鯉幟さんも、シノもカヤも、みーんな元【黒の兵士】やからな」
マサトは驚いた。
その名前は、大阪区局長の口から聞いた名前だ。
「【黒の兵士】って……特殻の元になったって言う……」
「せや。【黒の兵士】は、花立の親父さんが……俺らにとっての、おやっさんが作り上げた部隊なんや」
どこか、懐かしむ目をする井塚。
「あのトウガが、今や司法局の室長に収まってるっちゅーんやから驚きや。あの、のらくらで、命令違反は数知れず、年間始末書件数トップ独走、他人と見りゃ飛び出して助けずにおれん、おやっさんに怒鳴られない日はなかった大馬鹿野郎が、澄まし顔で敬語使ってデスクワークしとんねんからな。最初見た時、笑い堪えるのほんま大変やったわ」
「……それ、誰の話?」
「やから、花立トウガや。人助け命の短気者の話やろ?」
「嘘だ!」
マサトは叫んでいた。
あまりにも今とキャラが違いすぎて、想像力が追いつかない。
あの室長が、始末書?
他人と見れば助けずにはいられない?
どこの熱血漢だ、それは。
「ほんまやって」
信じないマサトに、井塚はますます面白そうに話し始めた。




