no.7
真琴は結局、高熱を出して、寝込んでしまっていた。
翌日も熱は下がらない。
さすがに11月に入って寒くなったところで、雨に打たれたのだ。
風邪も引く。
「熱、下がらないわね。病院行った方がいいかしらね」
母親は、真琴から受け取った体温計を見つめている。
「大丈夫だよ、これくらい」
「でもね、39度あるわよ。夜中に帰ってきたかと思ったら、今度は高熱。ほんとに心配ばかり掛けて」
「母さんでも心配するの?」
「当り前でしょ。夜中に帰って来なかったから、どこかで死んでるんじゃないかと思ったし」
「勝手に殺すなよ」
「死なれちゃ困るわよ。子供はいずれ親の面倒見るものよ。先に死なれちゃ困るわ」
真琴は溜め息をついた。まったくこの母親ときたら……。
「ほんとにダイジョブだってば。濡れたせいだから。大人しく寝てるし」
「とにかく寝てて。ちょっと顔を出したら帰ってくるから」
母親は、慌ただしく家を出ていった。
結局、昼前に一度母親は帰ってきたが、熱が少し下がっていたので、また仕事に出掛けていった。
枕元にあるスマホが時々音を立てる。
玲菜からラインが入っていたのだった。
午前中はそれに返信していたが、午後にはすっかり寝入っていた。
目が覚めたのは、外がすっかり暗くなってからだった。
玄関のチャイムが鳴っているので気付いたのだ。
だるい体を起こして、玄関に出ると佐伯が立っていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃねーよ。起こすな」
「事故った後だし、心配になってな」
「とにかく上がってよ」
「ああ。おまえはいいから、寝てろ」
「言われなくても寝る」
真琴は熱のせいで節々が痛くて、歩くのも覚束なかった。
とにかく横になっていたい。
佐伯は、真琴の部屋に入って、椅子に掛けた。
「病院行ったのか?」
「いや、行ってない。朝から熱は少しずつ下がってるから大丈夫だよ」
「傷の方は?」
「湿布してるし」
開けっぱなしだったカーテンを佐伯が閉めた。
「母親は仕事か?」
「ああ。このくらいのことで仕事休ませるのも悪いしな。昼間帰ってきたけど、行かせた」
くくっと佐伯の笑い声が聞こえた。
「真琴、手、出してみろ」
「なんだよ」
真琴は言われるがままに、布団の横から手を出した。それを佐伯は両手で包みこんだ。
「なに、すんだよ」
「いいから……美織が具合悪い時にこうしてやってたんだ、痛い時は痛いって言えよ」
「痛くねーよ」
ぷぷっとまた佐伯の笑い声がする。
「強がりだよな、おまえも美織も」
強がっていなければやっていけないのだと真琴は心で答えていた。
真琴も美織も同じなのだ。
まだ親に甘えたい時期に親が不在だったりする。
自分がしっかりしなければと気負いこむ。
それはそうしなければというよりは、自然とそうなってしまっていただけなのだ。
「鬼の撹乱だな。おまえが熱だすなんて」
「ほっとけ」
そう言いながらも佐伯の両手から伝わってくる暖かさに、真琴はまた熱が上がりそうだと思った。
「さて、帰るか。しっかり治してから出てこいよ。無理するな」
佐伯はそう言って帰っていった。
真琴は、それまで握られていた手を胸の上に置くと、心臓の鼓動が激しくなるのを止められずにいた。
結局、真琴は三日間、学校を休んだ。
その間に玲菜と大輔が見舞いに来てくれた。
すっかり熱は下がっていたが、さすがに体のだるさが抜けなかった。
「真琴がいないと学校つまんないしー」
「週明けには行くし、心配ないから」
「ほんと!」
玲菜は表情をころころ変えて、喜んだ。
「もう寝てるのも飽きたしね」
「よかったぁ。じゃ月曜は元気な真琴に会えるのね」
玲菜と大輔は笑顔で帰っていった。
日曜には、バイクの修理が終わったと連絡が入った。
すっかり元気になっていた真琴は、早速バイク屋に行った。
バイクもしっかり元通りになっていた。
ライダースーツとフルフェイスのヘルメットもついでに新しいものを買った。
痛い出費だったが、今回の事故でやっぱり身を守るためにはこれらは必需品だと思った。
軽装で運転していたら、こんな怪我では済まなかったはずだ。
「今はファッション性もボディを守る機能も充実してるものが結構あるからね。スーツは身を守るためにもちゃんとしたもの選んどいた方がいい」
店長の勧めで、ブラックに白とブルーのラインが入ったライダースーツを選んだ。
店で着替えさせてもらい、バイクに乗って帰る。
「やっぱ、バイクはいいなぁ」
すこし冷たくなった風を感じながら、真琴は気分も新たにバイクを走らせるのだった。
月曜日、学校に行くと簡単なホームルームの後に、すぐ職員室に来いと佐伯に言われて、真琴は職員室に行く羽目になった。
佐伯は、机の上の書類をまとめながら
「もう大丈夫なのか?」
と聞いてきた。
「心配掛けて悪かった」
「いや、大したことなくてよかった。だが、もう雨の夜は運転するな!」
声を低くしてはいたものの、かなりの命令口調だった。
「命令かよ」
「ああ、そうだ。あんな思いは二度としたくない」
「ふん」
これじゃ、まだまだ元の父親には戻れそうにないなと真琴は思った。
佐伯も愛情表現が下手なのかもしれない。
でも昔は、美織の手を握って寝かしつけていたりしていたのだ。
そういうことのできた佐伯は、何処に行ってしまったのか。
「ところで美織は?」
「相変わらずだ。もういい。授業始まるから戻れ」
「はいはい」
この日、真琴は久々に佐伯の家を訪ねた。
佐伯が美織は相変わらずだと言っていたことが気になった。
スマホの連絡先は知らせてあるけれど、美織からは一切連絡はなかった。
そう簡単に苛めがなくなるとは思えない。
美織も強情なところがあるから、もしかすると苛められていても何も言って来ないだけかもしれない。
途中の八百屋で林檎を買って、佐伯の家に着いた。
隣の家の奥さんだろう。
玄関前の掃き掃除をしていたが、真琴を見て、その手を止めた。
この手の奥さんからの印象は、どうせいいものじゃないだろう。
でかいバイクにライダースーツ、こんな恰好をした真琴を見て、『なに、この女!』くらいに思っているのだろうと、真琴は瞬時に思った。
見た目で人を判断する嫌な目つきだ。
ここで無視することもできたが、真琴はそうしなかった。
「こんにちは。あの、そこの八百屋で林檎買ったんですけど。これ、ちょっとですけど、どうぞ」
下げていた袋から3個、林檎をとると、奥さんに渡した。
「えっ、そ、それはどうも、ありがとうね」
「いえ、ちょっと多く買いすぎちゃったかなと思って」
「そう。美味しそうな林檎だこと」
「じゃ、すみません。失礼します」
真琴は丁寧にお辞儀をして、玄関に向かった。
まるでご近所さんの奥さん達の会話のようだと自分でも吹き出しそうなのを我慢するのに苦慮した。
これからも来ることを考えたら、不審に思われるのは困る。
ただでさえ目立つのに、高校教師のシングルファーザーの家に女が来るのである。
どうみても井戸端会議が好きそうな奥さんだ。
ここでいい印象を与えておかないとどんなことを言われるかわからない。
生垣からこっそり見ていると、嬉しそうに隣の奥さんは、小走りに玄関を入っていった。
『よっしゃー。OK』
真琴は心の中でそう叫んでいた。
佐伯の家のドアチャイムを鳴らした。
けれど、しんと静まり返った家からは、なんの応答もない。
何度か鳴らしたが、美織がいる様子もない。
その辺に出掛けているのか。
なんだか嫌な予感がした。
真琴は、林檎の入った袋をドアノブに引っかけると、バイクで近所を回ってみた。
すると美織をいつも苛めていた三人組が血相をかいて、走っていく姿が見えた。
走り出してきた公園が見える。
急いで行ってみたが、美織の姿はない。
いや、よく見ると滑り台の後ろに誰か蹲っている。
「美織?」
真琴は、バイクを降りて、近づいた。顔をあげた美織の額からは、血が流れ出していた。
「お姉ちゃん……頭、いた、いよ……」
「美、美織、大丈夫か。な、なんてこと!」
真琴は慌てて、ヒップバッグからハンカチを取り出して、美織の額の傷に当てた。
けれど、すぐに血が滲んできてしまう。これじゃ、間に合わない。
「美織、押さえてて。な、なにかない。なんでもいいから、なにか」
真琴も焦っていた。放り出された美織の手提げバックから、体育着が出てきた。
そのズボンを美織の頭に巻き付ける。
気が動転して、手が震えた。
「よし、病院行くぞ。美織、大丈夫だからな」
美織に言いながら、自分にも言い聞かせていた。
美織を抱えて、バイクに乗せて
「しっかりつかまってろ、いいな。すぐ病院だから。少しだけ我慢しろ」
「うん」
真琴は震える手をパシンと叩いてから、バイクを走らせた。
腰に回された小さな腕が震えているのがわかる。
焦る気持ちを抑えながら、病院へと向かった。




