no.4
文化祭まで二週間を切った。
演奏する十五曲は既にいつ本番を迎えても問題ないくらいになっていた。
「真琴ちゃん、覚えが早いから助かるよ」
長井がドラムから離れて、言った。
「先輩、そろそろ衣装決めないと」
玲菜がシンセサイザーを軽く弾きながら言う。
「玲菜さん、そのことだけど、皆で黒のスーツってのはどうかと思っているんですけどね」
三谷がメガネの縁を引き上げながら言った。
「いいじゃないですかぁ、素敵」
「でもそれって高いんじゃないすっか?」
ベースギターを降ろしながら大輔が言う。
衣装を揃えるのはいいが、真琴も黒のスーツなど持っていない。
バイト代で貯金はあるが、それは万が一バイクに傷でもつけた場合に取っておきたいと思っていた。
「出資者は三谷の親父さん」
「僕の父は、遊べるときは遊べ。そのかわり勉強は怠るなという信念の持ち主です。今回は、父が必要な出資をしてくれると言ってましたから、心配はいりません」
三谷の家は、町で人気の病院である。
「それって悪いんじゃない?」
「いや、その点に関しては、父は協力的と言ういか、本人も楽しんでいるようなところがありますからね」
結局、二日後には、三谷の父の出資を元手に町に繰り出した。
紳士服のお店に入る。大手チェーン店である。
長井と三谷と大輔はすぐに決まった。
真琴と玲菜はスカートにするか、パンツにするか悩んだ。
結局、試着してみることになった。
「きゃー、真琴、かっこいい。断然パンツスタイルでしょ!」
「そうですね、こちらが似合いますね」
三谷も同意し、皆も頷く。そして全員がパンツスタイルということになった。
黒のスーツ、ワイシャツ、ネクタイ、靴まで揃えた。
「ほんとにいいんですか、先輩。かなり高額になりますよ」
真琴は、バイトでお金を稼ぐことを知っているから、その全額に愕然とした。
文化祭、一時のためにこんなに使っていいものだろうかと。
「いいんですよ。父も楽しくやれと言っていましたからね」
三谷は涼しい顔をして、会計を済ませた。
それぞれ衣装を持って、学校に戻る。着替えてみた。
長井、三谷、大輔は、スーツの袖を引き上げ、ワイシャツの袖をひと折りして、ワイシャツの第一ボタンはせず、ネクタイも緩めにして、着崩している。
「うっわー、いい感じ。私もスーツの袖、あげてみます」
玲菜は、スーツの袖を引き上げたが、どうもシンセサイザーを弾く時にずり落ちてしまいそうだと、アームバンドを後で買ってくると言っている。
「真琴はこんな感じにしてね」
そう言いながら、玲菜は真琴がかっちり着ているスーツを長井達のように着崩した。
「これでばっちりでしょ」
満足げに玲菜が頷いた。
その後は、練習にこれまで以上に熱が入った。
許可制だが、文化祭までは下校時刻を延長することもできた。
真琴は美織のことが気にはなっていたが、今は、軽音部に協力する以外にない。
しばらくは佐伯の家には行けないと思ったので、あらかじめ美織には、スマホの連絡先を教えておいた。
美織はキッズ携帯を持っていたので、それに登録しておいた。
何かあったら連絡してくるように、それも緊急事態だけだと言ってある。
美織からの連絡はくることなく、文化祭に突入した。
「いよいよね、ドキドキしてきちゃった」
「玲菜、いつもどおりに頼むよ」
「わかってます、部長」
二日にわたって行われる文化祭で、軽音部は、一日目は午前中に、二日目は午後に体育館のステージで演奏する。
一日目、ダンス部の演目が終わって、緞帳の下りたステージでは、慌ただしく機材を運び入れる姿があった。
機材の調整をして、幕が上がった。
客席はそこそこ埋まっていた。
テンポのいい曲を三曲ほど入れて、あとはバラード調の曲だ。
真琴は、なりきって、スタンドマイクに手を乗せて、それらの曲を歌い上げた。
終わるころには真琴に当たるスポットライトのせいか、気分が紅潮したせいか、額に汗が滲んでいた。
拍手喝采。
アンコールの歓声もあがったが、残念ながらアンコール曲は用意していなかったし、時間もなかった。
「大成功だな」
「もう、もう堪りませんね、この感動」
玲菜は、頬を紅潮させて、興奮冷めやらぬといった表情だった。
真琴も久々に感じた心の動きに歓喜していた。
二日目は、体育館から溢れんばかりの観客が押し寄せた。
一日目の評判がよかったからだろう。
軽音部は最後だったので、アンコール曲に一曲追加をした。
予備にちょっと練習していた曲だったので、問題はない。
一曲一曲が終わるたびに歓声が上がる。
十五曲が終わって、緞帳が下がるが、アンコールの唱和が続く。
アンコールにその練習しておいた曲をやって、彼らの文化祭は終わった。
「真琴、すごい! 練習のときよりずっとかっこよかった」
玲菜は、真琴に抱きついて涙ぐんでいる。
「サンキューな。真琴ちゃんのお陰でなんとか文化祭、できたしな」
「ほんとうに感謝します。こんなに盛り上がったのは、初めてですよ」
「真琴、なかなかやるじゃんかよ」
「あたしからも感謝します。久々に興奮した」
皆は、満足感に浸った。
こんな風に人と関わっていくのもいいのかもしれないと真琴は思うようになっていた。
しかし、それは、すぐ後悔へと変わった。
文化祭が終わって、休日を挟み、学校へ行ってみると、真琴は、学校中の話題の人になっていたのだった。
「なんかさ、視線が痛いんだけど」
教室に入って、真琴は玲菜に言った。
校門を入る前から、なにやら遠巻きに視線が刺さってくる。
振り返ると視線を逸らされる。気分が悪い。
「真琴ってば、一夜にして、ううん、二日にしてって言うべきか、学校中の話題の人になっちゃってるし」
「なんでさ」
「お前のボーカルがそんだけ評価されたってこと」
「あー?」
「あー、じゃないわよ。真琴、かっこよかったもん。人気者になるのは当たり前」
「冗談じゃない」
真琴は、たまにはいいかもしれないと思った。
けれど、バカ騒ぎは文化祭までで終わりで、その後はまたバイトに勤しみ、平穏な学校生活を送るつもりでいたのだ。
けれど、滅多に話などしないクラスメイトからも話しかけられるし、教室の窓からは「この教室だってさ。ほら、あそこにいる」などと覗きにくる者までいた。
「あたしゃ、まるで動物園の猿だな」
真琴は頭を抱えた。
「なによ、それ。人気が出たんだからいいじゃん」
「よくない!」
「いーんじゃねー。悪い意味で目立ってるわけでもねーしよー」
「よくないってばさ。見せものになってるし、陰でこそこそ言われてるなんざ、最低だぁ」
真琴にとっては、それは苛めにあっていた時のことを思い出させた。
何も言わない視線が集まる。振り返れば素知らぬ顔をされ、無視される。
だが違っていたのは、視線の柔らかさか。
苛めにあっていたころは、周りの全ての人間の視線が針のように痛かった。
けれど今回はそれとは違う。
「真琴って、意外にマイナス思考だよね。人気者になったんだから、素直に喜べばいいのよ」
「そーだ、そーだ。おまえは少し考えすぎだ」
「人のことだと思って、面白がってるだろ」
「まあな、ここまでなるとは思ってなかったから、面白い」
「くそっ」
それから靴箱にはファンレターなるものが、入り始めた。
「もう、やめてくれよー」
真琴は頭を抱えるしかなかった。
静かな平穏を取り戻すはずだった真琴の生活が一転していた。
数日後、日直だった真琴は、日誌を持って職員室の佐伯の前にいた。
「すごい人気ぶりだな、真琴」
「きゃあきゃあ、うぜーし」
「おまえ、女子なんだからもう少し言葉気をつけろよ」
「あたしはこれでいいんだよ」
「全くおまえらしい」
佐伯が笑った。
「美織はどうしてる?」
しばらく顔を出していなかったので、気になっていた。
佐伯はすぐには答えなかった。
日誌をトントンと机でやっている。
その横顔に影が差した。
『美織の奴、まだなにも言ってないのか』
「あいつも頑固でね。何かありそうなんだが、俺には一言も言わない」
「そっか。まあ、仕方ないさ。また遊びに行ってやるか。暇になったしな」
「ああ、そうしてくれ」
佐伯は、教師としては飄々として、それでいて、生徒の相談も真摯に受け止め、いい加減なことはしない。
けれど父親の顔を覗かせた瞬間、なぜか頼りなく小さく、真琴には見えるのだった。