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おいしい林檎  作者: 湖森姫綺
3/50

no.3

 一週間が過ぎ、軽音部の練習もなんとなく慣れてきた。

 今日は、昼休みの練習だけで、放課後はバイトだった。

 一旦、家に帰って着替え、バイクでバイト先に向かう。

 バイクを購入してから、このパターンになっていた。

 店長がバイク好きで購入までに色々相談にも乗ってくれた。

 そんなこともあって、バイクで通うことが許された。

 バイトは楽しかった。

 淡々と仕事をこなしてバイト料が入る。

 店長とも気があった。

 夕方から夜にかけての忙しい時間帯なので、バタバタしている間に時間は過ぎてしまう。

「お疲れー。気をつけて帰れよ」

「お先でーす」


 軽音部の練習が入っただけで、いつもと変わらない日々が続いていた。

 それから二日後だった。

 日直だったので、帰りが少し遅れた。

 バイト先に向かうのに、いつも使う大通りを避け、近道になる裏道を通ることにした。

 その裏道を通ると佐伯の家の近くを通る。

 真琴は美織はどうしているかとちらっと考えた。

 その時だった。

 細い路地から走り出してくる女の子に出くわし、慌ててブレーキを掛けた。

 女の子もビックリして立ち止まっている。

「お姉ちゃん……」

 涙声で真琴を見上げたのは、美織だった。

 良く見ると顎に血が滲んでいる。

 手提げバックも泥だらけだった。

「その傷どうした?」

「あの……」

 美織は俯いてしまった。

「あたしに隠すことないからな。嘘は嫌いだよ。この前の三人にやられたのか?」

 美織はコクンと頷いた。みるみるうちに涙が溢れてくる。

「まったく、なんだってあんたが苛められるんだ」

 真琴は美織をこのままにしておくわけにもいかず、スマホを引っ張り出し、バイト先に遅れると連絡を入れて、美織を家まで送った。

 今日は遠慮せずに上がり、傷の手当てをする。

 泥の着いた手提げバックも洗ってやった。

 黙ったままの美織に苛めが続いているのか問いただしたが、答えない。

「パパには話したのか?」

「パパには言わないで!」

「わ、わかったよ」

 突然縋りついた美織にそう言ってしまったものの、苛めがそれだけ深刻なものだとわかる。


 美織の担任は、家庭の事情を知っていて、美織に気を配っているらしかった。

 同じ教師同士というのもあるかもしれない。

 小学生になったばかりの子が家事をこなしたり、その上、勉強もできる。知らず知らずのうちに過度に美織を褒めるようになった。 

 それをクラスメイトのトモ君が妬んで兄に話した。

 ガキ大将の兄は、それをえこひいきと思い、苛めが始まった。

 それが徐々にエスカレートしている。

 母親がいないくせにとか、少しくらい勉強ができるからなんだよとか、下校時に出くわす度に苛められていたのだった。

 と、美織のつたない話から、推測された。呆れかえるしかない。

「まったくくだらない! いい、美織。あんたは何も悪いことしてないんだから、堂々としてなよ。今度苛められたら、やり返すくらいのことしな。やられっぱなしだから、つけあがるんだから、そいつらは」

 そう言ったものの、俯いたままの美織にそんな勇気があるとは思えなかった。

「悪いけど、今日はこれから仕事なんだ。行くね」

 また泣きそうな顔をする美織に「バイトだから」と言って、家を出た。


 それから数日後のことだった。

 真琴は佐伯に指導室に呼ばれた。

 佐伯がいつになく真剣な表情で言ってきたので、美織になにかあったのだろうと察しはついていた。

「美織に何を言った?」

 声は抑えていたが、きつい言い方だった。

「何って?」

「昨日、美織がクラスの男の子と喧嘩したんだ。相手は擦り傷だが怪我をした。美織を連れてその子の家に行ったんだが、美織は結局謝らなかった。帰ってきて問い詰めてみりゃ、おまえに何か言われたってぶつぶつ言ってるしな」

『美織、やっちゃったの?』

 展開に驚きつつ、なかなかやるじゃんと思う。

「何を言ったんだ」

「やられたらやり返せって言っただけだよ」

 一瞬言葉に詰まった佐伯だったが、苛められている事実は知らないようだった。

「詳しいことは言えないよ。美織との約束だから。でもさ、帰ったらまず美織に謝ることだね。美織は何もしない相手に手を出すような子じゃない」

「そんなことはわかってる。だが美織は何も言わないんだ」

「言わないからって、信じられないの? 自分の娘だろ?」

「わかった。もういい」

 指導室を出ていく佐伯の背中が頼りなく、真琴の目には映った。


 真琴は、美織のことが気になったので、その日の放課後、軽音部の練習をパスすると一旦自宅に戻ってバイクで佐伯の家を訪ねた。

 美織は満面の笑みで真琴を迎えてくれた。

「センセから話聞いてさ。やっちゃったんだって?」

「うん。トモ君がね、美織を転ばせたんだもん」

「何で?」

「先生が美織にがんばってねって言ったから」

 く、くだらん!!

「トモ君ね、幼稚園の時は仲良しだったんだよ。でもね、今は美織のこと、嫌いみたいなの。あーあ、パパに怒られちゃった。女の子なんだから喧嘩なんかしちゃダメだって」

「美織は悪くないよ。まあ、相手に怪我させちゃったのは、まずかったけどな。美織、苛められてること、パパに話してみたら?」

「やだっ!」

 即答で返ってきた言葉に、真琴も自分を重ね合わせしまう。

「あんたのパパさぁ、学校じゃ、結構人気あるんだよ。皆の気持ち、わかってくれるしさぁ」

「美織の気持ちは、わかってくれないもん」

 真琴にはこれ以上、何も言えなかった。

 美織自身が頑なに父親には話したくないと思っている。

 これじゃ、なにを言っても無駄だろうと思えた。


 家に帰って来てからも真琴は美織のことが気になって仕方なかった。

 佐伯の娘ということも少なからずあるだろうが、真琴も美織と同じ経験をしていたのだった。

 真琴の父親は、幼稚園に通い出したころから、単身赴任で家にはいない。

 ここ数年は年に一、二度帰ってくればいいほうだった。

 母親は母親で、若いころからの夢だったフラワーコーディネーターとして、バリバリ仕事を続けている。

 母方の祖母が同居していたが、七歳のときに祖母は亡くなった。

 小学校に入学したころ、真琴も苛めにあった。

 母親がクラシックバレエだ、バイオリンだと、所謂お嬢様的な習い事をいくつかさせていた事で目立ってしまったのだった。

 最初は、真琴も美織と同じだった。

 でも祖母が亡くなって、寂しい誰もお帰りなさいを言ってくれない家に帰るようになって、溜まりに溜まった気持ちが爆発して、数人の男の子に囲まれた時、やり返したのだった。それから苛めはなくなった。

 こういうことを父親はもちろん、母親も知らない。

 自分の娘が年の割には、しっかりしていて、仕事にも理解があると信じ続けている。

『親なんて、自分が都合のいいように子供を見ているだけなんだ』

 真琴の中に生まれたその思いは、消えることはない。


 真琴は鬱々とした思いを振り払うようにして、誰もいない一階に降りた。

 キッチンでコーヒーを入れてから、ダイニングテーブルの上にある林檎をひとつ、手に取ると二階の自分の部屋に戻った。

 コーヒーを机の上に置くと、ベッドに勢いよく倒れ込んだ。

 気だるい。

 両手で翳した林檎は、艶やかで香りもいい。

 しばらくそれを弄んでから、ガブリと丸かじりした。

『おまえ、上手くないな。見た目はいいのに……』


 夜七時過ぎに母親が帰ってきた。

「なぁに、いるんだったら、夕食の用意しといてくれたっていいじゃない」

 母親はいつものように言う。

 中学までは、家事には協力的だった。

 母親は帰りが七時くらい、遅い時には九時くらいになる。

 学校から帰ってお腹が空いているのに待っているより、自分で作って食べていたほうが早かったのだ。

 洗濯も汚れものが出れば、結局は自分でやったほうが早かった。

 高校に入ってからは、バイトを始めたからという理由もあるが、母親の当り前的な言動に反抗したくて、家事をやらなくなっていた。

「家事ができるのは女にとって得なのよ」

 理屈など聞きたくない。結局のところは、自分の都合なのだから、と真琴は思いながらも、それを口にすることはなかった。


 そんな真琴にとって、美織は自分と重なる存在だった。

 放ってはおけないと心が急きたてられ、真琴を何度も佐伯の家に向かわせた。

 美織は真琴には何でも話し、頼りにしているようだった。

 軽音部の練習も熱が入り始めて、美織のところに行くのも夜になることもあった。

 いつも美織のゲームの相手をしたり、話を聞いたりして、佐伯が帰ってくるまで相手をしていた。

「また来てたのか」

 佐伯は帰ってくるとそう言った。

「一応、制服着替えて来てるから、問題ないっしょっ」

「だけどなぁ、あんまり頻繁だとな」

「心配いらないよ。そろそろ文化祭だから、忙しくなるし」

「おまえ、なにか入ってるのか?」

「一応。軽音部」

 一瞬、佐伯が言葉に詰まった。

「これでもボーカルなんだけどね、おかしいかよ」

「い、いや。ちょっと意外だったなと思ってな」

「けいおんぶってなに?」

 美織が聞いてきた。

「歌うんだよ」

「お姉ちゃん、歌うの?」

「そう」

「かっこいいー」

 美織に言われるとなんだか照れる。

 真琴は、「そんじゃ、そろそろ」と腰をあげた。

「気をつけて帰れよ」

「ああ、わかってるよ。じゃな、美織」

「バイバイ、お姉ちゃん」

 美織は小さい手を振って、玄関で見送ってくれた。

 バイクを走らせ、家までは10分くらいだった。

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