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おいしい林檎  作者: 湖森姫綺
23/50

no.23

 五月の連休が明けると、あっという間に体育祭である。

 晴天に恵まれて、体育祭は予定通り始まった。


 お祭り騒ぎが好きな連中は、こう言ったイベントには騒ぎだす。

 応援団もなかなか様になっていた。


 真琴は午前中のクラス対抗リレーに出たあと、息を切らしてクラスの席に戻ろうとしていた。

 準備委員は、次に催される競技の準備に大わらわである。


 ガツン。


「あっ、すみません」


 真琴が通るのに気付かず、競技に使う棒を持った準備委員の男子がそのまま方向転換をしたため、その棒が真琴の頭に当たった。


 大したことはないと思ったのだが、額からはポタリと血が落ちてきた。

 なにかぬらりとしたものが、額を落ちてくるのが感触でわかる。


「怪我してます。すぐに保健室に」

 一緒にリレーに出ていた玲菜が一足遅れて真琴に追いつき、その怪我に驚いた。


「真琴、大丈夫? 凄い血。早く保健室に行こう」

 真琴自身は、それほど痛みを感じてはいなかったが、血が出ているのは確かで、玲菜に付き添われて保健室に行った。


 大輔もすぐに駆けつけていたが、大輔は保健室には行かず、職員テントへと走った。佐伯の姿を探す。

 佐伯は一番後ろの席にいた。


「佐伯、真琴が頭に怪我した。早く保健室行ってくれ」

 佐伯は顔色を変えて、頷くと、保健室へと走り出した。

 そんな姿を高野が見ていた。


「ねえ、大輔君、なにかあったの?」

「ああ、えっと真琴が怪我して」


「そう」

 何気ない顔をしていたが、高野はいつも飄々としている佐伯の慌てぶりに何か感じ取るものがあった。


 佐伯が保健室に駆け込んできたときには、真琴の手当ての最中だった。

「先生、真琴の怪我、どうですか?」


「縫うほどの怪我じゃないわ。額だから、ちょっと出血が多かったけど、大丈夫だと思います。念のために、この後はここで休んでもらった方がいいかと思いますよ」


「そうですか」

 医務の先生が手当てを終えると、真琴はベッドに寝かされた。


「大したことないのに」

 真琴はぶつぶつ言っている。


「でもあんなに血が出たんだから、少しは休んでた方がいいよ」

「もう血、止まってるし」


「まあ、頭だしな。休んでた方がいいぞ。玲菜は競技に戻れ。あとは俺がついてるから」

「はーい。じゃ、先生、お願いしまーす」


 玲菜は、真琴にウィンクして、保健室を出て行った。

 佐伯は、椅子を持ってきて、真琴のベッドの横に座る。

 怪我をした経緯を聞くと、溜め息を漏らした。


「競技委員は何してるんだ。当たり所悪かったら、こんな怪我じゃすまないだろ」

「あたしもさ、ぼーっとして歩いてたから」

「大したことなくてよかった」


 佐伯はまた大きな溜め息を漏らした。

 カーテンで仕切られた中で、佐伯は真琴を見つめた。

 真琴の額にかかる髪をそっと指でよける。


「痛くないか?」

「大丈夫だから」


「ああ」

 真琴が差し出した手を取って、佐伯が頷いた。


 それをカーテンの隙間から、高野が見ていた。

 どういうことなのだろうと思いつつ、そちらに声は掛けられない。


 医務の先生に呟くように頭痛薬が欲しいと言って、それを受け取ると、そっと保健室を後にした。


 職員テントに戻った高野は、佐伯が戻ってくるのを待っていたが、昼食時になっても戻って来ない。

 大輔が佐伯の荷物を取りに来て、持って行ってしまった。


 保健室では、玲菜が真琴の荷物を持ってきて、大輔も入ってくると、四人でそこで弁当を食べていた。

「大した怪我じゃなくてよかったな」


「玲菜が大袈裟に騒ぐから」

「だってー。頭から血が出てたんだもん。ビックリしちゃって」


 佐伯は、ワイワイ騒いでいる三人に、少し静かにするように言った。

 他にも具合が悪くなって休んでいる者がいるのだ。


「午後はもう大丈夫だから、センセ、テントの方に戻ってよ。あたしも席に戻るからさ」

「今日一日は休んでたほうがいいんじゃないか?」


「ううん。怪我させた奴、心配してると思うんだ。気にしてたらかわいそうだしさ」

「真琴らしいね」


 席には戻るが競技には参加しないで休んでいるという条件で医務の先生からも許可が下りた。


 午後は、クラスの席に戻る。

 皆が大丈夫かと聞いてきたが、額の大きめのバンドエードを見せては大丈夫だと答えた。


 その後、怪我をさせた男子がわざわざ真琴のところまで来て、謝ってくれた。

「こーんなの、大したことないから、気にしないでよ」


 真琴は笑った。

 男子はほっとした面持ちで去って行った。


 午後の競技が始まってしばらく経つと、夏日にも似た暑さになった。

 皆が競技に出払ったクラスの席でポツンと真琴だけが座っている。

 

 そこに佐伯がやってきた。

「暑いだろう。職員テントの中に移れ」


 大丈夫だと言う真琴を半強制的に佐伯は職員テントの一番後ろの席に座らせた。

 体育祭が終わるまで、佐伯の視線がちらちらとこちらに向いてくる。


 それだけじゃなかった。

 高野の視線もあった。

 落ち着かない。


 やっと体育祭が終わって、帰れると思ったところに、佐伯が

「送って行くから、そのままここで待て」

 と言ってきた。


 仕方なく、片付けをしているテントの後ろに下がって、待っていると、玲菜と大輔が荷物を持って来てくれた。


「佐伯が送ってくれるって」

「よかったじゃん」


「なんか大したことないのにさ」

「いーんじゃない。こーゆー時は甘えてさぁ」


 そこに高野がやってきた。

「どうしたの?」


「あっ、佐伯が送ってくれるって」

「あら、そうなの。佐伯先生なら体育館のほうに行ったけど……」


 高野は体育館の方に視線を向ける。

 佐伯の車は、職員棟の裏の駐車場に置いてあるから、方向が逆だ。


「佐伯先生が送ってくださるなら、安心ね。気をつけて。それじゃね」

「はーい」

 玲菜が返事を返すと高野は職員棟の方に姿を消した。


「なんだろうな、体育館って」

「なんだか気になるね」

「行ってみよーぜ」


「やめとこうよ。ここで待ってろって言われたんだしさ」

「真琴はいつもそんなだから。とにかく見に行ってみようよ」


 玲菜は真琴の腕をとって、大輔の後について体育館のほうに行ってみる。

 体育館の中には誰もいない。


「裏かな」

 近づくと声が聞こえてきた。


「……本気です」

「俺は教師だからな。そういう気はないぞ」


「今、先生にその気がなくても、私、絶対に変わりません。先生をずっと好きです」


 大輔が「ヤバい」と小声で言って、後からついてきた真琴と玲菜を振り返った。

 既に声は二人にも聞こえていた。


 大輔がちらっと佐伯達の様子を見たが、三人はすぐにそこを後にした。

 こんな場面に居合わせては後が気まずい。

 三人は黙ったまま、またテントがあった校庭へと引き返した。


「一年だな、あれ」

「えっ?」


「佐伯にコクってた奴、一年のクラスで見かけたことあるよ」

 大輔は、部員勧誘の時に、他の男子に彼女がピアノができると聞いて、勧誘したことを覚えていた。


 身長は150センチくらいで小柄、肩までの髪は天然なのか少しウェーブがかかっている。

 目鼻立ちもはっきりした女子である。


 あれだけはっきり告白しているのだから、性格もはっきりしたものなのだろう。

 しばらくして佐伯が何食わぬ顔で現れた。


「悪い、待たせたな」

 真琴は黙って頭を振った。


「じゃ、俺ら、帰るから」

「おまえらも乗ってくか?」


「方向逆だし」

「そっか。気をつけて帰れよ」


「そっちこそ、気をつけろよ」

 大輔の言葉には棘があった。


「なにかあったのか?」

 大輔の言いように佐伯が真琴に尋ねた。


「いや、なんでもない」

 真琴は、ほかに言いようがなかった。

 

 耳にしてきたものを言うわけにはいかない。

 車に乗ってからも真琴は無口だった。


 もともと口数が少ない方だから、佐伯にしてみたら、いつものことである。

 けれど、真琴の様子がおかしいのには気付いていた。


「傷、痛むのか?」

 的外れなことを聞いてくる。


 真琴は無言で頭を振った。

 家には10分程度で着いた。

 母親に挨拶すると言った佐伯だったが、まだ母親は帰っていなかった。


「大丈夫。傷のことは自分でちゃんと話すよ。問題になるほどの傷じゃないし、気にしなくていいから」

 真琴がそう言うので佐伯もそのまま帰って行った。


 真琴は、ダイニングテーブルの上の林檎をひとつ取ると、自分の部屋に入った。

 一人になると、先ほど耳にした言葉が蘇ってくる。


『私、絶対に変わりません。先生をずっと好きです』


 あの子の思いと自分の思いと、違いはないはずだ。

 ほんの少し彼女より早く、ほんの少し彼女よりきっかけがあっただけなのだ。


 彼女の気持ちがいい加減なものだとは思えない。

 口調からもそう受け取れた。


 高野との時とも少し違っている。

 高野は余裕がある雰囲気だった。


 その分、断られて、すぐにそれを受け入れられるだけの余裕もあったのだろう。

 けれど、今度は違う。

 声の感じから、必死さが伝わってきた。


「センセ、どうするつもりだよ」

 真琴はひとりごちた。


 弄んでいた林檎を齧る。

 カプリといい音がした。

 シャリシャリと口の中で林檎は砕けていく。


 真琴は苦しくて仕方なかった。

 高野の時はそんなことはなかったのに、今回のことは、あまりにも身近すぎる。

 彼女の気持ちがわかるだけに、彼女の苦しみが自分と重なっていく。


「なんでだよ。まずいよ、この林檎」


 真琴は自分が涙を流していることに気付いた。

 窓枠に嵌った暮れなずむ空を見つめて、涙が止まらなくなった。

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