no.2
そして翌日。真琴は珍しく自分で起きた。
真面目に学校に行かないのならバイクを取り上げると昨夜、母親から言い渡されていたのだった。
さすがにそれだけは勘弁願いたいと真琴は、思っていた。
真琴は高校に入ってからの一年半、バイトを続けていた。そのバイト代で念願のバイクを購入したのだ。
学校もつまらない。周りを見回しても興味の持てるものがない。
そんな真琴にとってバイクは唯一のものだった。
「真琴、昨日、佐伯に絞られたでしょ」
教室に入るなり、玲菜が話しかけてきた。
癖のある髪をポニーテールにして、まん丸な大きい瞳を向けてくる。
「ああ、絞られた」
実際には、佐伯にというより母親にということなのだが。
「佐伯に聞かれた時、適当に嘘言っとけばよかったかな。でもさ、バレるとまずいかなと思って」
「さぼりはまずいっしょ、さぼりは」
玲菜の横で前髪をかき上げながら、大輔が言った。
「さぼり、さぼりってゆーな。たった三回だ」
「三回もさぼってんじゃん」
「もお、大輔は黙ってて」
玲菜と大輔は付き合っている。お似合いのカップルだと真琴も思っていた。
玲菜とは入学当初からの友達だ。
特に友達を作ろうとしたわけではないが、玲菜から声を掛けてきて、なんとなく友達になっていた。
「ところで真琴、一生の頼みがあるの」
玲菜が両手を合わせて言った。
「なに?」
「軽音部の代打、引き受けてくれない?」
「なに、それ?」
「なにそれじゃなくて、一応、お前も軽音部なんだからさ」
はて、と真琴は思う。部活には入った覚えはない。
高校に入ったらバイトしてバイクを買うんだと思っていたから、元々部活などに興味はなかった。
「なんであたしが軽音部なんだ?」
「やだぁ、人数足りなくて存続の危機って時に、聞いたら、いいっていってくれたじゃん」
真琴は記憶の糸を手繰る。
そういえば、一年の冬に、退部した奴がいて、そのせいで存続の危機に陥った話は聞いた。
その時に名前だけでもって言われて、勝手にすればっとは言った気がする。
まさか本当に入部させられていたとは知らなかった。
「それでね、ボーカルの先輩が事故にあって、一ヶ月の入院なんだって。文化祭に間に合わないでしょ。それで真琴にお願いしたいのよ」
「えっ?」
「だから、ボーカル、やれっつーの」
「なんであたしが?」
「真琴、歌、上手いじゃん」
「いや、そんなことはない」
「上手いよー。カラオケ行った時とか、感動しちゃったもん。それでもう先輩達には許可取っちゃったのよね」
「うっそ」
「ほんと」
なに考えてんだ、こいつら。真琴は頭を抱えた。
勝手に入部させられて、勝手にボーカルだと……。
「あたしにはバイトがあるしさ、無理」
バイトは週三で入っている。
これもたまたま玲菜と行ったCDショップでバイト募集の張り紙を見て、即座に決めた。
「それについては、バイト優先でいいって。とにかく時間ないからさ、新しいボーカル探してる時間ないのよ。お願い、私達を救うと思って」
「俺からも頼むわ」
二人して、手を合わせてくる。文化祭と言ったら、もうひと月ちょっとしかない。
間に合うのか?
真琴は疑問に思った。
けれど、二人にこうして頼まれたら嫌と言えない質でもある。
「お願い、お願い」
玲菜が拝むように言った。
「わーたよ。やればいいんでしょ、やれば」
「やったあー、真琴さまぁ、神様ー、仏様ー」
「オーバーだし」
「そしたら、早速先輩に報告だな」
そんなこと言っている間に予鈴がなった。
真琴はとんでもないことに巻き込まれたと頭を抱えたのだが、澄ました顔で入ってきた佐伯に何か可笑しさを感じて、それを忘れる。
『澄まして教師してるけど、こいつも父親なんだよなぁ』
などと思う。
考えたら、誰も同じなのかもしれない。
仕事をしているときは、その仕事に打ち込み、家に帰れば、父親であり、母親である。
「今日は休みはいないな。連絡事項は今日は特になし。日直、なにかあるか?」
「特にありませーん」
「それじゃ、今日一日、なにもないことを祈る。がんばれや」
そう言って、佐伯は出ていった。
簡単なホームルームだ。
真琴は、昨日のことを玲菜に話そうかどうしようか迷ったが、黙っていることにした。
玲菜に話すと話が膨らんでクラス中どころか学校中に知れ渡りそうだったのだ。
佐伯は、飄々としているが、180以上ある身長で、そこそこのイケメンだからか、校内では、男子女子問わず人気もある。
そんな佐伯がシングルファーザーだと知れたら、なかなかの話題にはなるだろう。
でもそんな話題の出所になるなんてまっぴらだと真琴は思っていた。
昼休みには、早速、軽音部に引っ張り出されていた。
「時間ないんで、悪いっすけど、昼休みとバイトのない日の放課後には練習入りますから」
軽音部にしては、がたいのいい部長の長井が譜面を並べながら言った。
「バイトに響かなければいいわよね、真琴?」
「ああ、まあ、いいですけど」
さすがに先輩のいる場で嫌だとは言えない。
「この辺の十五曲くらいでいいかなと思うんですよね」
メガネを掛けた痩せぎすな三谷が長井が並べた中から、十五枚の譜面を取り出した。
渡された譜面を見た真琴は、意外にバラード調が多いんだなと思う。きゃあきゃあ煩い玲菜がいる軽音部だから、もっとラップなものがあるのかと思っていた。
「バラードっぽいのが多いんですね」
「もともとそっち系だから俺達」
「そうなんですか……」
長井に言われても、ぴんとこない。
「そんじゃ、ちょこっとやってみるか」
そう言って、長井がドラムへ、三谷と大輔がベース、玲菜がシンセサイザーにスタンバイする。
「マイクないっすけど、歌っちゃって。青い空ってやつ行きます」
慌てて、真琴は譜面の中から『青い空』を見つけ出し、開いた。難しくはなかった。
驚いたのは、高校の軽音部ってこんなにできるのかってことだった。
ドラムもベースもシンセサイザーも、皆なかなかの腕前だ。
ちょっとのお遊びにしては、力が入っている。
「これ、オリジナルですか?」
「そう。三谷が作ってる」
彼らが演奏する曲はほとんどがオリジナルで三谷が作っているらしい。
「へえ、凄いですね」
「末は作曲家ってか」
「いやいや、これは遊びですよ、遊び」
「先輩は、医者になるんですもんね」
「そうなんですか?」
「お家がお医者さんなの」
「へぇー」
そんな雑談を交えて、三曲ほど歌ったところでお昼にした。
「真琴ちゃん、なかなかいいね」
「でしょ、先輩」
「うん。玲菜が見込んだだけはあるな。音感ばっちりだしな」
「でしょ、でしょー」
玲菜は得意になって、満面の笑顔である。
真琴もこれはこれで悪くはないと思った。
友達と騒ぎ合うのも、部活で必死になるのも、特に興味はなかった。
周りに流されて時間を費やすのは無駄だ。
自分は自分でやりたいことだけやる。
そんな自分でいたいと思っていた。
けれど、たまにはお祭り騒ぎに乗ってもいいのかもしれないと思ったのだった。
「急ごう、次の授業、始まっちゃう」
慌てて、廊下を教室に戻ろうとした時、佐伯とすれ違う。
「あっ、真琴。放課後、職員室に来てくれ」
そう言って、佐伯は真琴の返事も聞かずに行ってしまった。
「真琴、昨日絞られたんでしょ。また何かやったの?」
「そんな覚えはないね」
「とか言いながら、なんかやってんじゃねーの、おまえ」
「ダメだよ、しばらく大人しくしててよ。文化祭、終わるまでは」
玲菜としては、文化祭の出し物がダメになったら堪らないというところか。
真琴は、何も覚えがないので、なんなんだと思うばかりだった。
そして放課後。
「昨日はすまなかったな。洗濯までしてくれたって美織が言ってたんだが……」
なんだそっちの話か……と真琴は、胸をなで下ろす。
放課後まで何食わぬ顔をして、教師していた佐伯が職員室で、小声で話している。
ぷっ。
「ああ、でっかいパンツもあったよなー」
真琴はわざと大声で言う。
「お、おい!」
母親に散々絞られた腹いせというところだろうか。
「洗濯なんて大したことじゃないよ。それより美織は学校行ったのか?」
「ああ、行ったよ。あの子は学校さぼったりするような子じゃないからね。人のこと心配してる場合か。なんでさぼったんだ、昨日」
真琴は、理由を探したが、あるわけもなく、言葉が見つからない。
視線を斜め上に向けたまま、答えないでいる。
「まあ、いい。もうさぼるなよ。何かあるなら相談に乗るからな」
真琴は「はい、はい」と返事をして、職員室を後にした。
今日はバイトが入っているので、学校をすぐに出た。
校庭では、野球部やサッカー部が声をあげて練習に励んでいた。
フェンスから見える彼らの姿は、真琴には霞んで見えた。
そんなに一生懸命になれるものがあるっていいことだよな。
高校に入ってなんとなく無気力になった真琴。
今、夢中になれるものがない。
高校に入ってすぐに、たまたま目にしたバイクがかっこよかったので、バイトを始めて、免許を取り、念願のバイクも手に入れた。
バイトはなんとなくそのまま続けている。
軽音部の手伝いは、まあ、そんな何もない真琴の暇潰しでもあった。