no.16
時々、真琴の周りが騒がしくなるが、それでも日々は平穏に過ぎて行った。
バイトがない日はなんとなく、玲菜と大輔と共に軽音部の部室に寄るようになった。
「先輩達、引退して、存続危ういよな。そろそろ部員探ししないと」
「一応、新入生入るまでは、待ってもらえるけど、新入生でメンバー揃えられなかったら、まずいもんね」
「そうなのか?」
「そうなのよ。真琴も部員なんだから、協力して」
「協力してと言われてもなぁ」
結局、部員探しをしたのは、大輔だった。
数日後には、大輔は、新しい部員を連れてきた。
「えっ、一樹?」
一人は、同じクラスの大友一樹だった。
「そう。一樹、ドラム出来るってよ。それとこっちが隣のクラスの相沢茂。ベースができる」
「やったじゃん、大輔」
「俺を見くびるなよ。俺にとっちゃ、玲菜に会う以外に学校に来る理由は軽音部だしな」
「なによ、それー」
玲菜と真琴は笑い転げた。そんな言い方をしつつも、大輔は、校内テストの度に上位に入る。
真琴も淡々としていて何気に上位十名の中に名前を連ねていた。
玲菜は中の上くらいか。
二人の新入部員が加わって、一樹も茂も練習に励むが、そう簡単にはいかない。
それでも三学期に大きなイベントはない。
次は、新入生の部活見学の時期にそれなりの形になっていればいい。
焦ることもなかった。
合間に文化祭やクリスマスイベントの映像なども見たりしていた。
「クリスマスイベントのも残ってるの?」
真琴は不思議に思った。
「うん。イベントスタッフさんが撮っておいてくれたのを由香先輩が貰っていたの」
「今は何でも後に残るな」
「なに年寄りくさいこと言ってんだよ」
「怖い怖い……」
「真琴の歌って、かっこいいよな」
一樹が映像を見る度、言ってくる。
いつの間にか、教室にいる時も、一樹が仲間になって、四人でいることが増えていた。
「俺、新しい曲とか作ろうか?」
「一樹、作詞作曲できるのか?」
「気に入ってもらえるかどうかはわからないけど、出来なくもない」
「なら、やってよ。新しい曲も欲しいじゃん」
新しいメンバーが入り、新しい曲も出来上がっていく中で、軽音部のファンクラブまで出来ていた。
もっともこれは学校公認ではなく、真琴のファンの女子達が集まっただけのものではあるが。
なかなか佐伯の家に遊びには行けなかったが、まめに電話はしていた。
『最近、賑やかだな。一樹も入ったらしいな』
スマホを通して、佐伯の声が聞こえてくる。
「うん。ドラムに一樹、ベースに隣のクラスの相沢茂が入って、軽音部も存続の危機を免れてる」
『そっか、一応部員五名いないとまずいしな』
「新入生を待って、入らなかったらヤバいって、大輔が口説き落としたらしい」
『なるほどな。あいつらしい』
そのあと、美織と話して電話を切った。
今日は遅くなると母親は言っていた。
しんと静まり返った家の中で、真琴は、林檎に齧りついていた。
「上手くないんだよな。まったく」
ひとりごちて、すっかり夜になっている外を眺めた。
土曜日、久々に真琴はバイクを走らせていた。
佐伯の家の近くを通りつつ、そちらに行けないもどかしさを感じる。
『美織に会いたいな』
海まで飛ばす。海に着くといつもの堤防に座った。
潮風が頬に冷たい。
それでも海に来ると何かいらないものを洗い流せるようで気持ちが良かった。
寒いので、海を見つめていたのはほんの少しだった。
早めに帰る。
日が短いので家の近くに来た頃には、既に辺りは暗くなり始めていた。
佐伯の家の近くを通り、辺りに気を配る。
誰もいない。
今なら……真琴は急いで佐伯の家の駐車場にバイクを停めると、ドアチャイムを押した。
飛び出して来たのは、美織だった。
「お姉ちゃん」
美織の後から、佐伯も姿を見せた。
「真琴」
「ごめん。来ちゃった」
「早く上がれ」
「うん」
美織に手を引っ張られて、リビングに行く。
キッチンからはいい香りがしていた。
「なにか作ってたの?」
「美織とパパでお料理してたんだよ」
「そっか」
「美織、真琴と遊んでていいぞ。あとはパパがやるから」
キッチンから佐伯が叫ぶ。
「わーい。お姉ちゃん、ゲームしよ。パパは一緒にやらないから」
「相手してくれないのか?」
「パパはすぐ勝っちゃうから美織つまんないんだもん」
「おまえが丁度いい相手らしいぞ」
「ちぇ、そーゆーことかよ」
真琴はそう言いつつも、美織とゲームを始めると夢中になっていた。
「くっそー。負けた」
真琴はバッタリと仰向けに倒れる。
「ほらな、丁度いい相手だろ? こっちできたぞ。食べよう」
「はーい」
美織はゲームを片づけると、笑顔でダイニングの椅子に座る。
真琴も座った。
久々の三人での時間だ。
炒めものに煮もの、サラダ。
「センセもなかなかの腕じゃん」
「そりゃ、何年も主夫やってるからな」
美織が学校のことを話す。
聞いてもらえる嬉しさからか、途切れることがない。
トモ君とも上手くやっているようだった。
ゲームをする仲でもあるらしい。
もうすっかり苛めの影もなくなっているようだった。
三人で食べる食事は美味しかった。
笑い声があり、暖かい眼差しがある。
こんな風に食事をすることが、家族である証なのだろう。
そんな中に自分が入っていられるのが嬉しかった。
食事の後は、デザートを食べながら、まだ話足りないといったように美織が話しまくる。
真琴はその聞き役に回っていた。
「美織、そろそろ風呂入ってこい。八時過ぎてるぞ」
「うーん、まだ話したい」
「もう充分話したろ。遅くなるから」
「はーい」
美織はそれでも佐伯の言う通り、風呂に入った。
「俺は、洗濯物干してくるから」
「今頃やってるの?」
「今日は美織と出掛けてたんでね」
「ふーん」
リビングに一人残された真琴は、電気のついていない和室に目が行った。
そこには、仏壇がある。
佐伯の妻であり、美織の母である彼女の仏壇は、それほど大きくはないが、真琴にとってその存在感は大きかった。
仏壇の前に行く。
まだ若い彼女の写真は、色あせることなく、そこにあった。
「まだ挨拶してませんでした。はじめまして。真琴です」
手を合わせてから、また写真を見つめる。
ショートヘアで明るい笑顔、目鼻立ちがはっきりしている。
「綺麗な方ですね。私はあなたに一生勝てないんだろうな……勝ち負けじゃないけど、でも、あなたが死んじゃってるって、それって追い越せないってことだし」
真琴の中に不安が広がった。
確かに佐伯はこの人を愛していた。
美織は記憶にないかもしれないが、こうして毎日、写真ではあるが母親に会っている。
そんな中に自分が入り込めるものなんだろうか。
「あなたより先にセンセに出会っていたかったな……」
言葉が詰まる。どうすることもできないことだとわかっていても、そう思ってしまう。
「真琴……」
佐伯の声がした。明かりのついた明るいリビングから、和室の真琴を見つめている。
「あっ。ごめん。勝手に」
「いや、構わんよ」
そう言いながら、佐伯も和室に入ってくると、真琴を背中から抱きしめた。
「美登里、前にも言ったが、これが真琴だ。おまえと同じくらい愛している。許してくれるよな、美登里」
「センセ……」
後ろから抱きしめられて、真琴は心臓の音が佐伯に伝わるのではないかとヒヤヒヤする。
「俺は、一度結婚してる。美登里を愛していた自分もここにいる。けれど今は真琴を愛してる。愛情が半分になるわけじゃない。美登里に対する愛情も、真琴に対する愛情も形は少し違うが、同じ愛情だ。二人とも失えない大切なものだ」
「うん」
「美登里を愛していた自分は消せない。だけど今は真琴が大切だ。そんな俺でもいいか?」
「うん」
「真琴と美織を大切にしていきたい」
「うん」
「愛しているから」
「うん」
背中から伝わる佐伯の暖かさに、真琴は言葉が見つからなかった。
初めて対峙する佐伯の亡き妻、追いつくことも追い越すこともできない、佐伯と妻の思い出は、消えることはない。
それでも真琴は今、大切にされていることを、愛されていることを感じることができる。それだけで充分だ。涙が溢れてきた。
そこに美織が風呂からあがり、リビングに入ってきた。
慌てて、佐伯が真琴から離れる。真琴は、鼻をすすった。
「お姉ちゃん、どーしたの?」
「いや、なんでもない」
「パパ! お姉ちゃん泣かせたらダメじゃない。美織が許さないからね」
「いや、俺じゃない……いや、俺か……」
佐伯は、ぶつぶつ言いながら、キッチンに消えた。
「お姉ちゃん、パパがなにかしたの?」
「いや、そうじゃないよ。美織のママにご挨拶してたんだ」
「そっか」
そう言うと美織は真琴の膝の上にちょこんと座って、おりんを打つ。
チーン。
「ママ、真琴お姉ちゃんだよ。美織の新しいママになってくれるかもしれない、大切な人なんだよ。ママも喜んでくれるよね? 私、ママも好きだけど、お姉ちゃんが大好きなの」
またチーンとおりんを打つと、美織は真琴の顔を仰ぎ見た。
「ママにお姉ちゃんのこと、紹介しといたからね」
にっこり笑う美織に佐伯と真琴は、こいつが一番しっかりしているかもと思うのだった。




