no.15
佐伯の家に着き一休みして、明るくなってから、家に帰った。
「真琴の奴は、なにをしているんだ。もう朝だぞ!」
リビングから父親の怒鳴る声が聞こえてきた。
「だから友達と初詣に行くって言ってたって言ってるじゃないですか」
「真琴は高校生だぞ。それを夜通し遊び歩いて、おまえは何も言わんのか!」
母親は黙り込んだらしい。
しんと静まり返ったリビング。
真琴は、入るに入りづらい。
「だいたい、あんなバイクなんて乗って、ウロウロしてるなんて、問題じゃないのか!」
「それはあの子が一生懸命バイトして買ったんですから」
「おまえは甘いんだよ。高校生なら高校生らしく、勉強でもしてればいいんだ!」
「そんなあなたの押しつけじゃないですか!」
「おまえがちゃんと見ていないから、あいつはどんどんつけ上がるんだ」
その辺で真琴も我慢できなくなった。
リビングに飛び込むと
「いい加減にしてよ! 二人して、人をダシにして喧嘩してんじゃねーよ!」
「なんだ、その言い方は!!」
父親はソファから身を乗り出して叫んだ。
「だいたい、今何時だと思ってるんだ。夜中に遊び歩いて、朝帰りか! それが高校生のすることか!!」
「うるさいよ。友達と初詣行くのがそんなに悪いことかよ!」
真琴も胸がチクリと痛かった。
最初は玲菜と大輔も一緒に行くはずだったのだから、友達とだったことは確かだ。
けれど結局、二人の企てで佐伯と美織と三人で出掛ける羽目になった。
真琴はダイニングテーブルの上の林檎をひとつ取ると、まだガミガミ言っている父親を無視して、部屋を出てしまった。
『なんでだよ。ほんと、落ち着かない家だよな』
真琴はベッドに寝転がると林檎を弄んでいた。
そこにスマホが音を立てた。
見ると玲菜からラインが入っている。
『楽しんでる?』
スマホを枕元に置くと、林檎に齧りついた。
折角、楽しいひと時を過ごしてきたのに、家に帰って台無しだった。
あとは冬休みが明けるまでバイトを入れていた。
バイトに行けば行ったで、今度は、バイトばかりしていると父親は言う。
そんな父親も三日には赴任先に帰っていった。
「真琴、お父さんも心配しているだけだから」
「あれが心配してるっていうのかよ。ただ自分の気に入ったようにしたいだけじゃないか」
母親は、真琴に近づきたい一心なのだが、また距離ができてしまったことに、溜め息を漏らすしかなかった。
真琴は、バイトをすることで気を紛らした。
あっという間に冬休みは終わって新学期が始まった。
文化祭が終わった後と同じで、久々に出てきた学校では、真琴は集まる視線を感じていた。
下駄箱を開けるとファンレターが溢れだしてきた。
「ここまでするか」
真琴は、溜め息をついて、それらを拾い集めた。
捨てるわけにもいかず、教室に持って行く。
「よっ、学校のアイドル」
「またまた再熱だね、真琴」
「皆、暇だね」
真琴は席に着くと、ファンレターを机の上に置いた。
「学校の裏サイトで、半分は真琴の話で持ちきりだよ」
「あっそ」
興味なさそうに真琴が答える。
「あとの半分はね……」
玲菜が言いにくそうにしている。
「なに?」
「うん、隣のクラスの女子と吉田の話」
「は?」
「隣のクラスの女子、妊娠して退学になったって話なの。その相手が吉田だったって」
真琴は仰天して、吉田の席をちらりと見やった。
クラスメイトの視線も何気なくちらちらと吉田の席にいっているのがわかる。
「マジな話さ、やばくねー」
「なんかさ、女子のほう、産むみたいな話でさぁ」
「でも吉田、まだ結婚できる年じゃないじゃん」
まだ高校二年だ。それは無理に決まっている。
「だからその責任取るだの、取らないだのって、いろいろ噂広がっちゃって」
そんな話をしていると、教室の廊下側からきゃあきゃあと騒ぎ立てる女子の集団が現れた。
「真琴も大変だね」
「男からラブレター来てんじゃなくて、女からラブレター来てたりして」
大輔が机の上のファンレターを指差した。
「やめてくれー。そんなのいらん」
「まあ、しばらくはまた真琴の回りも賑やかになるわね」
予鈴が鳴って、静かになる。
けれどいつもより重い教室の雰囲気がなんとなく息苦しい。
佐伯が早めに教室に入ってきた。
「ホームルーム始めるぞ」
まだざわざわしていた教室が静まり返った。
「先生、吉田の話ってほんとなんっすか?」
男子の一人が尋ねる。
「ああ、本当だ」
教室中がざわめいた。
「静かにしろ。まあ、こういう問題だから、噂になるのは仕方ないが、殊更に騒ぎ立てるな」
「でも、妊娠なんてねー」
女子の数人がこそこそと話している。
「いいか。人間なんていつも初心者マークつけて生きてるんだ」
「なんだよ、それー」
「いいから、黙って聞け。人間生まれて、言葉がしゃべれるようになっただの、立てるようになっただのとその頃は誰が見ても初心者だ。それから幼稚園、小学校、中学校と、それぞれ、初めてのことだから、それだって初心者だ。高校もしかり。大学も、社会人になっても同じだ。恋愛も同じで、初めて恋愛するときは初心者、でも次に恋愛するときはどうだ。さも恋愛は知ってますって顔をして……だけど、相手も違うし、自分の状況も違う。よく考えれば、二回目の恋愛も初心者だ。それがおまえ達の年だろうと社会人だろうと変わらない。何事も初心者なんだ。それを忘れて、流されて、その後に起こりうる責任を忘れている。何事も初心者で、流される前に一度立ち止まれ。自分が責任を負えるものなのか、考えろ。もうそういうことを考えられる年だということを肝に銘じろ。何に対しても自分は初心者であることを忘れるな」
教室はしんと静まり返っていた。
佐伯の言葉は、真琴の心にも大きな影響を与えていた。
真琴は恋をするのは初めてだった。
けれど佐伯はそうではない。
それでも真琴という相手に恋をしたのは、初めてなのだ。
お互いが初心者マークをつけていることになる。
お互いが相手のことを思い、責任ある行動をとらなくてはならないのだ。
数日は、話題にはなったが、結局、女子は退学して、吉田は転校したことで、この話題は終息した。
が、真琴のファンの騒ぎは収まらなかった。
校外にもファンができたことで、下校時に待ち伏せされて、ファンレターやプレゼントまで貰うこともあった。
『しばらくは、うちに来るな』
夜、佐伯と電話をしていてそう言われた。
『今は、危ないからな。しばらく様子を見よう』
「うん」
どこで誰の目に触れるかわからない。
気をつけるにこしたことはないと真琴も思えた。
電話は頻繁にしていた。
美織とも話している。
「なかなかいけなくてごめんな。忙しくて」
『ううん、美織、お姉ちゃんが来れるまで待ってるから』
美織は健気にそう言っているが、寂しいのだろうなと真琴は思う。
学校に行けば、玲菜達が心配してくれる。
「真琴、先生と会ってる?」
「学校で会ってるからな。それでいい」
「なに、それー」
「だって、今はヤバいだろ。なにかと人の目もあるしな」
「だよな。吉田達のこともあったし、ファンも増えて、危なっかしいもんな」
「真琴、かわいそう」
「いや、電話では話してるから」
玲菜が涙ぐみながら真琴を見つめる。
もともと玲菜や大輔のように大っぴらに付き合える仲ではない。
こういうこともあるのだと思うしかなかった。
それから数日後、玲菜はいきなり言い出した。
「いいこと考えたの。外が危ないなら中で。これって盲点よ」
「えっ?」
「だからね、外で会うのはまずいけど、学校の中なら盲点はあるでしょ。指導室とかさ」
「玲菜、ナイスアイディア」
「でしょ。私達が外で見張ってるから、会いなよ、真琴」
「今日の昼休みでどうだ。俺、佐伯に言ってくる」
「えっ、ちょっと……」
と言っている間に大輔は教室を飛び出していってしまった。
「いくら学校で会ってるって言っても、それって教師と生徒としてじゃん。付き合ってるのに、ちゃんと話もできないなんて、寂しすぎるよ」
真琴の中で寂しさが大きくなっているのは確かだった。
「私達はいくらでも協力するからさ。色々考えて時間作ろうよ」
「ありがと、玲菜」
「ううん。私、真琴に幸せでいてもらいたいもん」
そうこうしているうちに、大輔が戻って来て、指で丸を作ってみせる。
「OK取ってきたぞ」
「ほら、佐伯だって会いたいんだよ」
「だよな。付き合ってんだしな」
なんだかこそばゆい。
二人のお膳立てで会うなんて。
それでも昼休みが待ち遠しかった。
昼休みになって、指導室に行った。
既に佐伯は来ていて、窓辺に背を持たせかけている。
「悪いな。あいつらも考えたもんだ」
「うん」
なんとなく言葉がでない。
佐伯の近くに行くと、佐伯が手を出してきた。
真琴もその手を握る。
それはとても自然で、二人を隔てるものはなにもなかった。
「なかなか会えないな」
「うん。仕方ないよ、こんな騒ぎの中だし」
「いやにならないか? こんなことで会えなくなる相手なんて」
「そーゆーこと考えないよ。センセは考えるのかよ」
「いや、逆に守りたいと思う」
「なら、それでいいじゃん」
「そうだな」
しばらく二人は手をつないだまま、無言で過ごした。
言葉などいらなかった。
ただ二人で会っているというだけで、幸せを感じられたのだった。
静かだった。
指導室は、教員棟の二階にあるため、生徒達はあまりここまでは来ない。
三階に図書室はあるが、昼休みに来る生徒はほとんどいなかった。
「そろそろ時間か。玲菜と大輔に感謝しないとな」
「うん」
佐伯は、真琴の頭に腕を回すと、そっとキスをした。
「センセ、学校の中だよ」
「他に場所がない」
「ぷっ」
「二人に礼を言っといてくれ」
「わかった。じゃね」
真琴は先に指導室を出た。
廊下では、玲菜と大輔が待っていた。
「ゆっくり話せた?」
「うん。ありがと、玲菜、大輔」
「いやー、俺らいいことしたよな」
三人は、微笑みながら教室に戻っていった。




