泣き虫レディと妖精王
「また泣いてるの?」
「だって……」
後ろから落とされた不躾な台詞に、しゃくりあげながらも言い訳じみた言葉を漏らす。
「ほんと泣き虫なんだから。
いちいち呼び出されるこっちの身にもなってよ」
そう言いつつ頭を撫でる手は優しい。
「…ごめ…んなさい」
こんなやり取りをしたのも、もう数年前のことになる。
私が泣くとどこからともなく現れる彼だったが、最近は泣いていないので彼と会うこともない。
最後に泣いたのは何が原因だったか。
現れる度に憎まれ口を叩きつつ、なんだかんだ言って慰めてくれる優しい人。
昔から泣き虫、泣き虫と彼によく言われたが、そんなこと言うのは彼だけだ。
実の母にさえ涙を見せたことは唯一あの時だけなのだから。
『泣く子は妖精にさらわれちゃうのよ。妖精は子供の純粋な涙が好きなの』
そう言って純粋に笑う母の方が妖精に誘拐されそうだ、と思った。
それ以来、妖精が間違えて母を連れて行かないように隠れて泣いた。その母に私の行動を伝えてしまう使用人の前でも泣けなかった。
いつだって私の涙に気がつくのは彼だけだ。
そして、そんな彼がいったい何者なのか私は知らない。
「婚約ですか?」
「はい、姫様。
まだ候補の段階ですが、お相手は侯爵家嫡男のディート様でございます」
「分かりました」
そんなこんなでお見合いの席は一週間後に決まった。
まあ政略結婚なんてこんなもんだ。
第四王女に生まれたのだから、分かりきっていたこと。むしろ後ろ盾の強くない私の相手としては家柄も悪くない。これでディート様とやらの性格が悪くなければまあうまくいくだろう。
ああそうだ思い出した。最後に泣いたのは母の葬儀の後だ。母の寝室で泣いていたらまた彼は現れた。
鍵を閉めていたのにどうやって入ったのか未だに謎である。
金持ちの子供の幼少期の性格というのは、2パターンに分かれると思う。
一つは世間の暗い部分を知らずにぬくぬくと温室で育った柔和なお坊ちゃんパターン。もう一つは、親の権力を笠に周りがなんでもしてくれると思っている傲慢なお坊ちゃんパターン。所詮お坊ちゃんであることにはかわりがない。
侯爵家嫡男のディートとは、どうやら後者のようである。しかし、言おう。私は幼少期の性格と言った。人間、例え根がお坊ちゃんでもそれなりに世間に揉まれれば、それをカバーする性格も身につけているはずである。それが20歳近い男の性格であるとは、非常に嘆かわしい限りだ。
「まったく、俺は第三王女がいいと言ったのに、こんなガキを押し付けてくるとは」
まったくである。私だってこんな子供っぽい20歳より、騎士道精神に溢れた大人な30歳が良かった。別に30歳はおじさんではないから、おじさんが趣味とかではない。むしろ結婚適齢期ではないか!
本性丸出しの男に呆れ果てた私のしばしの現実逃避。この男からは今後夫婦となり良き関係を築こうとする気遣いが全く見られない。20年の人生でいったい何を学んだのだろうか。
しかし今は夕食会の後のまったり寛ぐ談笑の時間。これさえ乗り切れば今日はもう終わりだ。この後侯爵家親子は泊まっていくらしいが、明日帰るのを見送ればしばらく会わなくて済む。
婚約者云々はしばし考えを放棄して、お母さまのお墓の前で婚約者変えてください、と声に出して祈ってみよう。誰か聞いてて後見人の叔父か、王である父に進言してくれるかもしれない。
ギイっと音がした気がして朧げに意識が浮上する。ベットに入ってそんなに時間が経っていないはずだが、疲れていたせいか眠りに落ちる寸前だった。
うっすら瞳を開ければロウソクの火がゆれて近づいてくる人の顔を照らしている。その顔を見た瞬間、背筋がぞっとし頭の中で激しく警鐘が鳴らされた。
「……なんで………」
「なんでって若い二人が夜することって言ったら決まっている。」
さも当然のように男は言ったが全く当然じゃない。ガキには興味ないんじゃなかったのか!
「どうせ半年後同じ行為をするんだ。今やっても同じこと。婚約者としてちゃんと貰ってやるから安心しろ」
「いやっ!」
逃げだそうとした私の足首が掴まれベットに引きずり戻される。そのまま押さえつけられて体が恐怖にこわばった。動きにくい身体と腕力の違いに愕然としたが、必死に四股を動かし抵抗する。婚前交渉なんて正気じゃない。
「いやだ! だれかっ助けて!!」
「ちょっと静かにしろ」
そう言って口を無理やり閉じさせられたせいで舌を噛んだ。
思わず痛みからおとなしくなった隙にしっかりと組み敷かれてしまう。
「お前の後見人も同意の上だ。誰も助けにこない。暴れてもお前の立場が悪くなるだけだ」
ああ、八方ふさがりとはこういうことか。要するに叔父は私を売ったのだ。侯爵家との繋がりを強くするために。娘を傷物にしたとすれば、流石に嫁にもらうほかない。
しかし叔父は分かっているのだろうか。もし侯爵家にとって結婚が厄介となり、知らぬ存ぜぬを貫き通して結婚を拒否すればどうなるのか。結果、傷物になった私の醜聞がたち貰い手がなくなることだろう。いくら母方の家系に教育の全権が委ねられているとはいえ私は王女である。王女である姪にその事態を招いた叔父はどうなるのだろう。
全く叔父は何を急いでいるのだろうか。
大人しくなった私の身体をまさぐる手が気持ち悪い。
母が生きていればこんなことはなかっただろうか。母が生きていれば叔父は優しいひとのままだったのだろうか。母が生きていれば父は会いにきて笛を褒めてくれただろうか。視界がぼやける。
寝巻きの裾から進入した手が太ももに触れた。
「ひっ!」
「っっつ……」
反射的に蹴り飛ばした急所に相手が怯んだ。緩くなった拘束を振り切り足を縺れさせながら扉へ走る。
隣の部屋には控えのメイドも護衛も誰もいなかったが、そんなことすっかり頭から消えていて、部屋を抜け出した。
暗闇の廊下を感覚だけでひた走る。先の見えない暗闇に飲み込まれそうで足が竦んだ。
怖くなって手近な部屋に飛び込む。しかしそこもカーテンに閉ざされているのか完全な暗闇だった。
腰が抜けて座り込んだ絨毯の感覚だけが現実だと教えてくる。
ああ、もう一歩も動けない。
震える足は立ち上がることを拒否した。脳は考えることを放棄した。ただただ普段抑えている感情だけが溢れ出し、堰を切ったように涙が零れた。
膝を抱えて泣いた私はただただひとりだった。
「居た……」
びくりと身体を震わせて顔を上げる。暗闇に浮かんだ金色の双眸にひっと後ろへ後ずさった。すぐに当たった冷たい扉の感覚に恐怖で歯がガチガチと鳴った。
頭の中に幼い頃言われた言葉が一瞬蘇った。
『____泣く子は妖精にさらわれる____』
「はあ。大丈夫だって。
全く数年会ってないだけでもう忘れたの?」
一瞬呼吸を忘れてまじまじと双眸を見つめた。
「は……」
声になった音に特に意味はない。ただ止めていた息が漏れただけ。
でもぎゅうっと抱きしめられれば懐かしい香りがした。
だから、一度止まった涙もすぐにぶり返して子供みたいに泣きじゃくった。
「泣き虫」
優しくないその言葉にひどく安心する自分がいた。
そのあとの事はよく分からない。気がついたら王様直属の侍女がいて、どうやら父の部屋だったようで、すぐに父が会いにきた。
元気になるまでここにいなさい。と言われたのでまあいいかと素直に厚意に甘えた。
休養がいる、とまた眠りにつかされれば、夢であの黄金の双眸に会えた気がした。
あの夜のことがどうなったのか半年たった今でもはっきりとは分からない。緘口令が敷かれたのか誰も口にしなかったし、まだあの事に向き合いたくなくて誰にも真相は聞いてない。
ただ、あれ以来一度、叔父の姿や侯爵家の人間を見ていない。部屋がもともと母の物だった広い部屋に変わって、あまり外に出なくてもよくなったからかもしれない。メイドが生真面目で仕事熱心な子に変わったせいかもしれない。護衛もきびきびした動きの人に変わって人数も増えたからかもしれない。
変わったことはそれだけじゃない。
部屋によく父が来るようになった。母がいた頃のように、一緒にお茶を飲み、時々笛を吹いては父が褒めてくれる。少し違うのは、私が父の愚痴を聞けるくらい大人になったということか。
で、何が言いたいかって言うと、大切なのは半年経って私が成人して社会的にも大人になった、ってこと。
そして、半年間、着々と進められてきた何かが集大成を迎えた、ということだ。
その証拠に、純白のウエディングドレス、ではなく、若草色のオーガンジーを何枚も重ねたまるで蕾のようなドレス、美しい蔦の模様の刺繍が施されたベールを纏い、父と、いや城のメンツと玄関で対峙している。
「これでしばらくお別れだ。元気でな」
今にも泣き出しそうな父に、なんで?とは聞けず、うん、と理解したふりをして頷いた。
刺繍が施されたベールがいい感じに邪魔をして、私の顔に浮かぶ疑問には気づいてもらえなかったらしい。
「姫様! お元気で!! またお仕えできる日を心よりお待ちしております!」
そういって涙をウルウルさせているメイドよ、私はまだまだ仕えてほしいのだけれど。
まるでわたしがどっか行って帰ってこないような……
「「「「姫様〜」」」」
うーん、みんな本気でやってるのは分かるが、状況が理解できてないので、感動しようがない。
それにしても半年仕えてくれただけで、メイドも護衛もこんなに私にメロメロとは、どんな魅惑の魔法使ったのか、私よ。
最後に感極まった父に抱きしめられた後、促すような御者に誘導され馬車に乗り込んだ。
ボックス型じゃなくて、上が空いてるオープンな馬車だから周りがよく見える。
天気いいなー。あ、正面にでっかい虹出てる。すごい立派なアーチだ。あれ雨降ったっけ。
ゆっくりと馬が動き出して城門に向かって進み出す。ちらりと後ろを振り返れば父たち一行が手を振っていて、なんとなくだけど、ここにきてやっと目頭にじんわりきた。だから、
「ありがとう!!」
そういって大きく手を振れば、その手に持っていたハンカチが風に飛ばされて、最終的に都合よく父の手に収まった。その瞬間、父が泣き崩れたのを見送って前を向けば、一気に馬車は加速した。
そのせいで吹いた強風に目を瞑った時、目尻から涙が一筋零れた。
心地よい風を受けながら、目を閉じてそれを感じていたのに、そうしばらくたたないうちに、馬車は減速してゆっくり止まった。
ん?まだ城門すら出てないよね、とか思いながら目を開ける。
「泣き虫」
右手側から聞き憶えのある声がした。
半年間恋いこがれた黄金の双眸に目を見開いたが、彼がこちらに手を差し出したので、とりあえず後先考えずにその胸に飛び込んだ。
「また泣いたの?」
「うん」
「泣き虫」
甘い言葉とともにベールがめくられる。
「うん。でも泣いたら来てくれるんでしょ?」
「まあ。呼ばれたら行かないとうるさいからね」
「会いにくるの嫌だった?」
「別に。でも泣かれるたびにいちいち会いに行くの大変だから。
だから、一緒に住もう」
「うん」
いつの間にか馬車は無くなってて、周りもたくさんの花が咲く花畑になっていたけど、そんなことには気が回せない。
今は、今だけは、涙でぼやけた視界だけど、彼を見ていたいから。
そういえば、私が唯一、人前で泣いた時にいたのは母だけじゃなかった。
何で泣いたのかは憶えてないけど、たしか父もいて、
『泣く子は妖精にさらわれちゃうのよ。妖精は子供の純粋な涙が好きなの』と言う母に、父がこう言ったっけ。
『違うよ。妖精王が連れて行くんだ。泣き顔に惚れてね』
人名が一度も出てこなかった……
また続編書けたら紹介します。
それではありがとうございました。




