ようこそ、お客様
週末の休日がやってきた。
保健室に運び込まれてから翌日になる。
この日、俺、葉飼進は、見た目は美少女、中身は殺し屋という、お近付きになりないようでなりたくない、神前巴と共に、とある場所へとやってきた。
「葉飼君……何か、失礼なこと考えてる顔してる」
「気のせい。で、目的地はここでいいのか?」
「うん」
見えてきたのは、裏路地にあるテナントビルの一角、敷地はコンビニよりやや広い程度の建物だ。
パッと見では、地方の後援会事務所、なんて例えると分かりやすいだろうか。
鉄骨作りの骨組みに、しっかりとしたコンクリート壁となっている辺り、安造りの建物ではないのが伺える。
ただ、裏路地とはいえ人影が全くないのに、やや気が引ける。ええい、チキンめ、俺。
何故、二人でこんな寂れた場所――というと、このビルのオーナーに失礼かもしれないが、ここに訪れたのかというと、彼女曰く『異世界に行く方法』がここにあるというのだから仕方がない。
ちなみに、自分の体裁の為にきっちりと断言しておくと、別に彼女をいかがわしい建物に連れ込もうとしているわけではない。
人気のない場所に若い男女二人きりというこのシチュエーションを考えると、胸の高鳴りから一時の気の迷いが発生してしまうのもやむなしという気もするが、せっかく回避した身の危険がまた降りかかってしまうので却下だ。
美少女にドヤ顔で、『フッ、またつまらないハンバーグを作ってしまった』なんて言われた日には、然しもの伯邑考さんだって真っ青だろうよ。いや、意外と食べちまうのか?
まぁ、その場合、俺は食われる方だが。
「……あの、葉飼君? なんか私への誤解があんまり嬉しくない方向に捻じ曲がっていってる気がするんだけど……」
「誰しも、猟奇的な知人を持つと苦労するもんだ。それより、もう一度確認するが、本当にここでいいんだよな?」
「えーと……うん……」
ふむ。どうやら本当に間違いないらしい。
できれば間違いであって欲しかったので、複雑な表情を浮かべている隣人はとりあえず放置。
道中の彼女の説明によれば、どうやら、彼女のいう異世界【イル・ルビリア】は、理屈はよく分からないが色んな異世界と繋がっているのだという。
その内のひとつが、今、俺や彼女がいるここ“現実世界”と表現すると、他の世界の人には少々複雑に思われるかもしれないが。
自分にとっては今居る主観世界を“現実世界”と呼ぶことにする。
話を戻して、この現実世界と、異世界【イル・ルビリア】を繋ぐ門……推測では、召喚器らしきものと異世界への案内人がこの建物に居るらしい。
神前も、門を利用して現実世界を訪れたわけではないらしく、実際に見てみないと詳しいことは分からないという。
こちらとしてはさらに不可解な話ばかりなのだが、昨日、自身の身を以って、色々と理不尽な経験をしているので細かいことは突っ込まないスタンスでいく方針だ。
決して面倒になったわけでないぞ。
行ってみて実在するのなら、諦めて腹を括ればいい。
在るものは在る。
なんて、つい先ほどまでは開き直っていたのだが、実際に見て不安になっている、というのが現在の件だ。
いくら俺がチキンとはいえ、現地にきてただ腰が引けているだけではないぞ。
……全くないとは言わないけどさ、別にいいだろ。
百聞は一見にしかないもんだ。
「あのよ」
「なんですか?」
「なんか、看板に“あなたにぴったりのお仕事紹介します”って書いてあるんだが」
「はい。世を忍ぶ仮の姿……といった感じですかね」
「そりゃ、分からないでもないが……」
「まぁ、そういうこともやっている、としか」
「謎すぎる……」
急に不安になった理由がお分かりいただけただろうか。
どう見ても『派○の品格』なんて売り文句が似合いそうな建物なのである。
というか、そのままだろ、これ。
なんか唐突に用事を思い出して、180度ターンしたくなってきたぞ。
「では、中に入りましょうか。あ、ガイドさん、すっごいステキな女性ですよ」
「OK。分かった。すぐ行く」
誘導されたのは分かったが、もはや二つ返事だ。
神前め、なかなか孔明だな。
入り口の扉を押し開けると、無人のカウンターには羽ペンと入室管理簿が置かれていた。
神前さんに促されて名前を記帳すると、何処からか、かちゃん、という何かが外れるような小さな音が聞こえた。
「さぁ、これで奥の部屋に入れますよ」
どういう仕組みだ。
ぶっちゃけ、今は彼女が隣に居てくれるのを非常に心強く思う。
調子が良いって? 何も言わないでくれ。
奥へと続く、木製の大きな二枚扉を引いて中へと進む。ちりりん、と小さな鈴の小気味良い音が室内に響いた。
そして、背後の扉が閉じた瞬間、この部屋を統べるものが、肌に触れる空気が一変した。
暖かくもあり、冷たくも感じる。異質であって、しかし、不快ではない。
今まで感じたこともないような不思議な空間だった。
「ようこそ」
正面、立っているのは女性――
いや、まだ少女と呼ぶべきか。おそらくは、声の主だろう。
おそるおそる目を向ける。
「わたくしは、当ハロークエストの異世界コンサルタントを務める、アイリカ、と申します。どうかお見知りおきを」
「こんにちは、アイリカさん。ご無沙汰しております」
アイリカと名乗る少女に挨拶を返したのは神前だ。
この少女が、神前が言ってたステキな女性で間違いないだろう。
室内が薄暗いのではっきりとは見えないが、贔屓目に見ても可愛い。
雰囲気としては、日本人離れした風貌の少女だ。
妖精や精霊なんてものが存在するのなら彼女のような感じなのかもしれない。
胸のサイズや太ももの露出は控えめだが、二の腕を大胆に人目に見せているのはなかなかに好感度が高い。
「初めまして、アイリカさん。葉飼です」
「葉飼さん……ふむ、葉飼さん。…………やや?」
「やや?」
アイリカと名乗る女性が首を傾げるので、こちらもつられて首を傾げてしまう。
「これはこれは。よくよくご覧になれば、メルハザード様ではありませんか。メルトラ――むぐっ!」
「…………あは、あはははは! なんでもないですよ?」
アイリカの言葉を遮ったのは神前だ。
額に玉の汗を浮かべながら手で強引に口を塞いでいる。
どうやら結構無茶をするのは、自分に対してだけではないらしい。
「メルト……なに?」
「な、なんでもありませんっ!」
「むー! むー! むーっ!」
「あっ……ご、ごめんなさい!」
「……ふはっ! はぁ、はぁ、はぁ…………よ、よもや、わたくしの命を狙っておいでたとは……」
「ち、違いますよ!?」
「メル?」
「はい。それは――ふぐぅ!」
「あは、あははははははっ……!」
ループした。
とりあえず、聞かれたら神前にとって都合が悪いらしいことだけは分かった。
その後、口を押さえたまま神前が耳打ちすると、アイリカはそれで解放されたようだった。
さて。ここで、俺の選択肢は二つだが、まぁこの状況で話してくれるとは到底思えないので記憶の片隅に留める程度にしておこう。
「えーと、ここから異世界に行けるって聞いたんだけど……」
アイリカに尋ねてみる。
ここだけ聞くと、完全に頭がイっちゃっている人にしか見えないのだが。
「はい。ここは、選ばれし存在のみが訪れることのできる“ハロークエスト”……主に、異世界への派遣を請け負っております」
「異世界への……派遣?」
「左様でございます。当ハロークエストは、多世界に渡って存在しております。異なる世界にて依頼を受け、解決できる人材を派遣しているのでございます」
「なるほど……」
分かりやすい説明だった。
納得できるかどうかはさておき。
つまり、その世界内で解決できない問題でも、さらに視野を広げれば解決できるんじゃないか? とかそういうことなんだろう。
一般常識とか色々と度外視すれば、なかなかユニークな発想だ。
「意図はなんとなく分かった。要は、神前が今回の依頼主で、神前の住む世界のトラブルを解決できる人を探してる。理由は分からないが、それが俺、ってことなんだろう?」
明確に、神前がその世界の住人だという話を聞いたわけではなかったが、本人に全く縁のない場所での救済なんて普通は求めないだろう。
ちょっとした鎌かけである。
「…………え?」
おい、そこで首傾げるのかよ、神前。
「…………違うのか?」
「え? あ、いや、そうですよ! 葉飼君、さすがの洞察眼ですね!」
急に慌てて動きが激しくなる神前。
明らかに動揺している。
何かまずいことでも言ってしまったのだろうかと。
「わたくしの方では、メル……神前様からの依頼は承っておりません」
「……………………えーと」
そっちかよ!
なんか自信満々で言った俺の方が恥ずかしくなってきたよ!
なんかもう、選ばれた勇者! と勘違いした普通の人! みたいな流れになってるじゃん。
「いや、もういい……」
「ごめんなさい……」
はい、無し。この話は無かったことで。
パンパン、と手を叩いて話を仕切り直すジェスチャーをする。
「とりあえず、ここから異世界に行ける。そこで、お前の世界を救ってくる。ここまではいいな?」
「はい! その通りです」
ほっ、と密かに胸を撫で下ろす。
そもそも、これが違ってたら大前提から覆されるわけで。
「じゃあもう、後の細かいことはいいんじゃね? ここまで来ちまったんだし」
いつの間にか、口調も内心と同じ、完全に地になってるしな。
「え……本当に、そんなのでいいんですか?」
ぱちぱち、と目を瞬く神前。
そりゃそうだろうな。
俺自身でも、なんで開き直ってるのかよく分からなくて不思議に思ってるくらいだし。
「あぁ。まぁ、神前かなり困ってるんだろ? お前には結構……どころか、相当、いやかなりひどい目に遭わされたけど。頼るやついなくて、俺を頼ったんだよな? それなら、やっぱ力になってやりたいっていうか」
「葉飼……君……」
うーん自分でも何言ってるか、何言えば上手く伝わるのか分からないのがもどかしい。
「でもよ、なんかそれだけじゃない、って気もするんだよ。これは神前とは関係なしにさ。めちゃくちゃ突飛な話だし、普通なら誰も信じないってこんなの」
「そう……ですよね」
「俺だって『何言ってんだこいつ』とか思ったけどよ。でも、たぶん、初めから心の何処かでは信じてたんだと思う。じゃなきゃ、あんな目に遭った後にこんなところまでノコノコ付いて来ないだろうし」
「…………うん」
「それと……」
あー、やっぱ上手く説明できなくて無駄に口数増えちまってるんだろうな。
まぁ、でも大元の理由は何となく分かってるんだよ。
大きくは二つ、まず一つ目。
「さっきの、メルなんとかって、俺にも関わってるんだろ?」
「っ! そ、それはその――」
「あー、言いにくいなら別にいい。どうせ憶測の話だし、そこまで重要じゃない」
この反応は、やっぱりそうなんだよな。
思いっきり顔に出て、ほんとに隠しごとが下手なヤツだ。
まぁ、そっちはおまけみたいなものだし、本題は二つ目だ。
「ごめんなさい……」
「だから別にいって。何度も謝るなよ。それに、やっぱさ」
鼻を軽く指で掻きながら、やっぱり、こっちが本心なんだろうな、と。
「可愛い子が困ってるのって放っておけないだろ?」
例え、狂戦士でも可愛いは正義だ。
言って、ちょっとキザ過ぎたか?
なんて思わなくもなかったが。
「か―――か、かわっ――!?」
「かわ?」
急に、神前がしどろもどろになった。
下心とか誤解されたらどうしようかと思ってたが、心配はなさそうだった。
「神前?」
「な、ななな、なんでもありませんっ!」
露骨に赤面してるし、何でもなくないだろ、それ。
元が白いだけに余計に目立つというか、どこのシャ○専用だお前は。
軽く言ったつもりだったのに、そんなに慌てられるとこっちまで恥ずかしくなってくるだろ。
「お若いですね。できれば、わたくしも放置しないでいただけると、大変有り難く思う次第でございます」
「アイリカさん!?」
「のわっ!」
やべ、すっかり忘れてた!
なんか人の部屋にきて二人の空間作ってたみたいで余計に気まずい。
「いや、あの……アイリカさんの方が若いっすよね?」
……って。
言ってから気付いたが、何、女性にさりげなく年齢聞くような真似してるんだ俺は。
「そうとは限りませんよ?」
「そうなの!?」
「えぇっ!?」
反省する暇もなく全力聞き返してしまったが、神前の方がさらに驚いてるようで二重にびっくりだ。
「詳細はオフレコ…………と申しますか、実は自分でも分かりませんゆえ」
むしろ、そっちの方が驚きだわ。
ていうか自分の年齢知らないって、ありえるの?
記憶がないとか?
数え切れないくらい生きてるとか?
うーむ……。
「とりあえず、些細なことはそこらに置いておきまして、ひとまずは本題に戻りましょう」
異様に大きな物を、両手で隣にどけるジェスチャーをするアイリカさん。
その両手の幅だと、全然些細な大きさに見えないと思う。
「説明しておかなければならないのですが、まず、今回の派遣は、ハロークエストの依頼介入をしておりません。従って、こちらからメル葉飼さんの異世界活動における一切のサポートが行えないこととなっております。ご注意を」
「メル葉飼さんて……」
「心の代弁ありがとう、神前」
急に真面目になったと思いきや、やっぱりふざけてるのだろうか。
狙ってるのか天然なのかよく分からない人だぜ、アイリカさん。
「従って、メル葉飼さんは、異世界における如何なる困難も独力で乗り越えなければならないのでございます」
つまり、依頼介入していたら受けられる何某かのサポートには期待をするなってことだろう?
元々、そんな都合のいいものがあるなんて欠片も思ってなかったので全く問題はない。
「まぁ、これに関してはメル葉飼さんには本当に些細なことかと。そんなに大仰なサポートでもありませんので」
「自分で言うのか、それを」
フランク過ぎるだろ、この人。
惚れるわ。
「死んでも蘇生できる、などなど、その程度でございます」
「めっちゃ大事だろ! めっちゃ大事だろ、それ!! 大事なことだから二回言ったぞ!!」
「些事、ですな。……投げるのが匙だけに」
「上手いこと言ったつもりかもしれんが、イントネーション同じだからな!? しかも懸かってるの俺の命だし!」
まじで掴みどころねーぞ、この人!
確かに、掴むほどの胸はなさそうだが、ってそういう意味じゃなくてだな。
「……葉飼君とアイリカさん、初対面とは思えないくらい仲良いですね」
ぼそ、っと呟くのは神前だ。
暗い部屋だけど、特に光が当たってないようで余計怖いぞ。
「これのどこが仲良さそうに見えるんだ、神前には」
「えぇ、全くの心外でございます」
「気が合うな。でも、俺だって人並みには傷つくからな?」
「わたくしもでございます?」
「なんで疑問系なんだよ!」
いかん。
奇人が増えたらツッコミ回数が無駄に増えた気がする。
これボケ役の方が疲れなくていいだろ。
全国、異世界のボケ役の皆さんごめんなさい。
「よーし。じゃあ、そろそろ話まとめるぞ。俺が異世界行く。世界を救う。自給自足。これでいいか?」
「…………葉飼君、かっこいいです」
「この私としたことが、若干シビれてしまいました」
「よせやい、照れるじゃねーか」
綺麗にまとまったようで何よりだ。
現地で何をするかは俺に任せるって話だったしな。
自分で目的を立てなきゃならないのは面倒だが、変な制約がつかないのは気が楽だ。
「そういうことでしたら、すぐにでも転送いたしましょう。ポチっとな」
「え? あれ? そんないきなりなの? ていうか、そんな手軽に? ちょっと! ねぇ――」
ぷひゅん、と。
なにやら情けない音を立てて、俺の意識はなんだか凄い勢いで引き伸ばされたみたいになってしまった。
なんかもう、悪役を落とし穴に落とすくらいの作業で飛ばされてしまったわけだが、直後に見た光景は凄いもんだったさ。
なんか、真っ暗な空間の中に、無数の星みたいなもんが煌めいてて、その中央を、やっぱり数え切れないくらいの光の輪っかが同じくらい無数に折り重なってて大きな形を作ってたんだよ。
そこで、俺の意識は途切れちまったんだけどな。あとは、神のみぞ知る――ってヤツだ。
じゃあ、ここで会話してるのは一体誰なんだ、って?
…………さぁ? まぁ、とりあえずだ。この俺が無事なことを祈っててくれよ!
異世界、いっくぜぇ!
●○●○●○●
とある男が無情な出立を強制され、部屋に残されたのは二人の少女(?)だ。
二人は、男をしばらく無言で見送った後、お互いの顔を見るように口を開いた。
「てっきり、貴女も同行を申し出るものとばかり思っていたのですが」
「…………あの世界には、まだ私の記憶が残っているから……」
「ふむ。なるほど。しかし、宜しかったのですか?」
「えぇ。彼なら、もう存在を失って数百年が経つもの。人々の記憶からも、彼の名前は消えているわ。知っているのは……一部の神と、それに近しい存在だけよ」
「いえいえ、そういう意味ではなく」
「……はい?」
「彼、全くの手ぶらに見えましたが」
「――――あ」
「いきなり、サバイバル生活でございますね。どこぞで耳にした0円生活でございます」
「あ…………アイリスさんが飛ばしたんでしょうがーっ!」
「ふむ? ……おや? 新しい客人がおいでになったようですよ? ……こほん」
「えっ? ちょっとちょっと――」
「ようこそ、ハロークエストへ――」
学生編が終わり、このまま異世界編に入る予定だったのですが……
これまでの話を改稿していたら、これは書き直した方が早いんじゃないか? ってくらいに散々なのと、タイトルがいまいちかな? ということもあり、一旦完結することにしました。
ここまで読んでいただいた皆様、本当にありがとうございました!