新しい一日……が始まるはずなのだが
意識をゆっくりと覚醒させる。
背中には、柔らかさとほどよい硬さ――ベッドだ。
えーと、俺はなんでこんなところで寝て……。
思考を巡らせると、身体に鈍痛が走った。
「いててっ………………あ、そうか」
思い出した――。
自分は、葉飼進、諸説諸々の事情から『異世界』に行こうとして、想像の遥か斜め上をいく惨劇に見舞われて……。
「ここが、異世界なのか……」
とうとう来てしまったのか。
半信半疑ではあったが、今では感慨深く思ってしまう。
「…………君、大丈夫?」
そこで、不意に声を掛けられた。
驚いて目を向けると、少し離れた椅子に女性が腰掛けていた。
問われたことで、自分の身体の様子を確かめてみる。
多少の擦り傷や打撲はあるようだが、それ以外に目立った外傷はなさそうだった。
『あんな目』に遭った直後だというのに、これが異世界の力なのだろうか――ますます実感が篭もってしまう。
「はぁ……大丈夫っぽい……かな?」
「……その様子だと、あんまり芳しくそうね。頭でも強く打ったのかしら?」
――はい?
『大丈夫?』と聞かれたから、大丈夫、と答えたのに、こちらの予想していた反応と相手の実際の反応は正反対だった。
「余程、打ち所が悪かったのかしら? 脳輪切りにしてみる?」
確かに、強くどころかかなり激しくぶつけたはずで、打ち所も悪かったから意識を失ったのかもしれないが。
それにしても、その言い様はあんまりではなかろうか。
お世辞にも勉強ができる! とは言いがたい現状ではあるが、赤点を取ったことは今のところない。
不服を表情に込めて、問い詰めるように女性に視線を向ける。
「あの、その言い方は………………あれ?」
女性の姿を見てふと何かに気が付いた。
黒縁の眼鏡が良く似合う端正な顔立ち。長い黒髪は頭上で纏め上げてある。たゆん、と服の上からでもはっきりと分かる女体の神秘。
まさか……という予感が、脳裏を過ぎる。
いや――はっきり言おう。
学校でも男子に人気のある『おっぱい擁護教諭』こと、保健の穂村由香里先生だ――。
学び舎にして異端の、この白衣から覗くけしからん谷間を見間違えるはずがない。
「………………先生も異世界に?」
「………………脳外科が必要かしら。それとも精神科?」
念を込めた、確認の為の発言だったのだが、分かっててもあんまり過ぎる。
気が重くなるのを我慢しながらぐるりと周囲を見渡し、状況を再度確認した。
備え付けのベッドが二つ、それぞれを囲うように取り付けられたカーテンレール、白い天井には露出した安っぽい蛍光灯。漂う消毒液の臭いに、あちこちに置かれた薬品や医療道具。机の上にはいかがわしい雑誌。
もう、間違いようもなく学校の保健室である。
「…………………………」
……なんだろう、この、凄くやっちゃった感は……。
友人との超痛い身内会話を、間違えて世界チャでごばっちゃったみたいな。
しかし、ここには『やっべー!w 誤爆しちまった!w』なんて言い訳をして、心の傷を軽くできるフレンドもギルメンも存在しない。
「とりあえず、身体は大丈夫そうね? ここまで運んできてくれた『彼女』に感謝なさい。男の子を運ぶなんて、女の子にさせる労働内容じゃないわよ? あ、私は会議で席を外すから、後のことは適当にお願いね。それじゃ」
と、まくし立てて、穂村先生はスタスタと部屋を出て行ってしまった。
怪我人の生徒の扱いにしては、非常にアバウトな気もするが、それだけこちらの身体に大事ない――ということなのだろう。ポジティブシンキングだ。
考えがひと段落ついたところで、先生の言う『彼女』に目を向けた。
「…………………………」
その姿は、改めて確認するまでもなかった。
こちらと同じように、かなり気まずそうな表情で仕切りカーテンを背に立ち尽くしているのは、かの美少女転校生こと神前巴だ。
なんというか、もう、『さん付け』する気にもならないのはそろそろご容赦願いたい。聖人君子じゃないし。
しばし無言で過ごしていたが、このまま放っておいても解決する望みは薄そうで、かといって永久にも続きそうな沈黙と重い空気に耐え切れる心の強さもも自分には備わっておらず、
「これ…………失敗したと、解釈すればいいのか?」
諦めて、簡潔に、要点だけを述べることにした。
失敗というのは、おそらく、彼女が知っているという異世界へ行く方法――それを実践した、と個人的には思いたい、自分が恐怖の『怪奇、鳥人間コンテスト以下略』の犠牲となった件だ。
「…………はい、ごめんなさい」
――ごめんで済む内容じゃないだろ! と問い詰めたいところではあったが。
そうするのも大変申し訳なく思えるくらいに、神前さんは恐縮してしまっていた。いやぁ、おろし寸前の光景だったもんね。
立場が逆なら、三つ指ついて謝罪してただろうし、状況によっては、要求のままにお尻を差し出してもいい。もちろん嫌だが。
ベッドから降りようとすると、彼女が慌ててこちらを静止しようとしたが、片手で制して立ち上がった。
あんなことがあったというのに、自分の身には、ほんとに擦り傷と打撲しかないらしい。
我がことながら空恐ろしいというか、もうさっぱり何が何だか分からないので、彼女に説明を頼むことにした。
説明きぼんぬ。はよ。
「えーと……はっきり言ってしまうと、私にも計算外だったんです。本来なら、あそこで葉飼君が肉体という器を失い、イル――目的の世界に再転生していただくつもりだったのですが……」
「…………理解はできないけど、物騒なニュアンスだけは伝わった」
もちろん皮肉である。
つまり、彼女は、初めから俺を『殺す』気だったらしい。――ふざきんな!
ちょっと可愛い、いやだいぶ……超可愛い……、アイドルとかモデルとかと比べても遜色ないどころか下手したら彼女に軍配が上がるんじゃないか? ってくらい外見が優遇されてるからって、なんて恐ろしいことをするんだ。
ドMにしたって、喜ぶ限度を大気圏越えて凌駕しまくってるぞ。
「大事に至らなかったってだけで……結果だけ見ると、ゴメンで済む内容じゃない気が」
「えぇ……そうですよね……」
小動物のように震えながら身体を縮込ませる神前さん。
なんか、俺が悪いことしてるみたいに見えて申し訳なく思えてくるのはなんでだろう。
これが、いわゆる美少女の特権か。くっ、策士め……かの鳳雛先生でも外史でしか真似できんぞ……。
「あの、この件のお詫びに関しては、なんでも……します。だから、あの……」
「――なんでも、だと!?」
くわっ! と目を見開いて唐突に大きな声をあげたこちらの様子に、神前さんがびくっ、と一回だけ身体を震わせた。
「なんでも……なんでもするのか?」
「は、はい」
「本当だな? 本当なんだな?」
「え、えぇ……」
両肩を掴みかねないこちらの真摯(血走ったともいう)な剣幕に、彼女がちょっとヒき気味なのが気になるが、今の俺には瑣末なことだ。
――こんな美少女が!
――なんでもしてくれる!
という夢の台詞にときめかない男子高校生がいるだろうか!?
――いや、いない。
有名な講師も言っているじゃないか。『いつヤるの? 今でしょ!』――と。
俺は、彼女の豊かな膨らみと、そして、トレードマークとも言える黒ニーソと制服ミニスカートから覗く白い太ももを凝視した。
あぁ、なんて素晴らしい…………出るところは出てるのに、均整の取れたプロポーション。
黒ニーソの縁が、柔らかい太ももにわずかに食い込んでいるのがまた良い。
なんて美しい御脚なんだ――――と、思い出さなくていいのに、すっかり恐怖が染み付いた身体は無意識に思い出してくれたわけで。
――彼女の美しい脚から、あの、恐るべき破壊が繰り出されたことを。
「ふぅ…………俺は、危うくまた死を選択するところだった」
「え? よく分かりませんが、私には願ったり叶ったりなんですけど」
こえーよ! てか、そんなヒロインふつーいねーだろ! 賢人モードが一瞬で解除されたわ!
てか、ほんとに反省してるのか、この子。
はい――分かったこと、その一。
この子は可能ならばまだ、俺の死を望んでいる。
…………よし、危険な橋を渡るのはやめよう。今、俺が決めた。
「…………いい、許す。幸い、怪我は大したことなかったし」
「ほ、本当ですか! あ、ありがとうございます!」
ぱぁっ、となんだかこっちまで嬉しくなるような明るい笑顔を浮かべる神前さん。
まぁ、こんな笑顔が間近で拝めるのなら悪くは……ないか? むぅ。いや、やはりお釣りくらいは受け取っておくべきだったのではとも。
「あぁ、でも、もうこんな風に俺の命を狙うのは勘弁な?」
「?」
「そこは可愛く首を傾げてもダメだ! 絶対にだ! だから、そんなに不思議そうな顔をするんじゃない! ため息吐いてもダメなものはダメ!」
君がっ! 死ぬまでっ! 殺すのをやめないっ! ――とか、言われたら真剣の本気で困る。
もう、俺の精神ライフは0です。やめてください。
「とても……残念です……」
「分かった! まるで反省してないな、お前!? よく分かっちゃったよ、俺!」
「冗談ですよ」
「…………なんかキャラ変わってない?」
いや、もしかしたらこっちが地なのかもしれないが。
とりあえず、あんまり反省してないのは態度でなんとなく伝わった。恐ろしい子!
「えーとですね、もう一度謝っておきます。ごめんなさい。でも、これならこれで、私にとっては嬉しい誤算でもあるんですよ。だから、もう葉飼君を挽き肉にするつもりはありません」
「微塵も心の篭もってない謝罪なんていらんわっ! そして、俺はだんだんお前が怖くなってきた」
「えぇっ、葉飼君ほどじゃないですよ?」
「そりゃ、確かに俺が目論見どおり挽き肉オブジェ化してたら学校七不思議どころの恐怖ネタじゃすまねぇが! って、そうじゃねぇ!」
「はい、誤算の話ですよね?」
「………………しれっといきなり話の流れ変えられても、こっちにも話題のテンションというものがあるですよ?」
なんてやりにくい女だ。
きっと、俺と彼女の相性とか星の巡り会わせって、前世から最悪なのではなかろうか。
意外と良いコンビだと思った人、怒らないから前に来なさい。特に女子だと嬉しい。
「私としてはですね、神前君には十全の状態で異世界に向かって欲しかったんです。そのためには、一度、人の身体を捨て、再転生してもらうのがベターだ――って判断したんですけど……」
……彼女が何を言っているか分からないと思うのはこれが初めてではないが、つまり、彼女は初めから殺る気まんまんだった――ってことだ。
ふっ……身体が武者震いしやがるぜ。特急が通過するホームに突き飛ばす、とか、ス○イツリーからゴム無しバンジーとかさせられなくてよかった、と。
「そこまで、並外れた生命力があるなら、そのままでも大丈夫かな――と。再転生してもらうにも大変そうなので」
声も口調も可愛いが、言ってることはやはり物騒だった。
「それに、再転生――となると、また一からリスタートになってしまいますし……。葉飼君の前例を考えると、前世の記憶を保てるかどうかも危ういですから……」
「よし、OK。とりあえず、死ななくてもいい方向になったんだな? それだけ分かればとりあえずは十分だ」
「あれ? 死ぬの、イヤなんですか?」
「――おい」
「……………………」
む? てっきり、俺の華麗なつっこみが欲しくてたまらない身体になってきたのかと思ったのだが、図らずも神前さんは真剣な表情をしてる?
「……そりゃあ。嫌に、決まってるだろ。そこまで人生に絶望してねーし……」
「そう……ですか………………ふふっ」
そこで、彼女は――知り合ってまだ日は浅いけど、今まで見てきた中で、一番嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
なんかよく分からないが、『ま、いっか』って気になってきたのは、俺も単純だからなのだろうか。
それで、気付けば、今度は俺にどんな無茶を要求してくんのかなー、なんて期待してる自分もちょっとだけ居たりするわけで。
ま、なるようにしかならないだろ。
次回辺りで学生編終わる予定です。
本当はもっと色々やりたかったのですが(汗)
それと、混沌のルビリアというタイトルですが、早く投稿したかった!+ネタバレ回避!+世界観構築!という三つの理由で(適当に)付けたタイトル名なので、学生編終わったら内容がイメージしやすいタイトルに変更しようかなとも考えております。
現状では完全にタイトルミスマッチなので(汗)