終わりと始まり
かつて、新たな世界が創られた時、数多の異世界から数多の種族と生命が召喚された。
その世界の名は【イル・ルビリア】――
生命は、生まれて間もないイル・ルビリアでの覇権を得るべく、ひたすらに競い、そして殺し合った。
世界は、戦乱という名の混沌で満たされていた。
時は流れ、中でもとりわけ強大な力を持つ存在は『神』と呼ばれ崇められ、多くの生命を束ねる存在となる。
人は、神の為に剣を取り、神は、人を護る為に力を振るい、時に与えた。
神から直接力を与えられた人は使徒呼ばれ、神に代わり信仰を集め、街を作り、それはやがて国の礎となった。
神と人々は、互いの領地を求め、長い戦いに明け暮れた。
しかし、その争いも永くは続かなかった――
ある一柱の、あまりに強大すぎる神が存在したからだ。
その神は、世界に存在する多くの神を、使徒を、人を殺した。
自身を信仰することを是とせず、人や、人を護る神に仇為した神々――『魔神』や『邪神』をも、全ての存在を分け隔てることなく殺した。
戦慄した神々は、その存在を【理の破壊神】と名付け、いつしか世界は『理の破壊神』と『それ以外の全ての存在』との構図を迎えた。
それ以外の全ての存在は、いつしか人々から『光の勢力』と呼ばれるようになり、中でも最も大きな力を持つ神と『秩序の守護神』と呼び、破壊神との矛を交えた。
これは、その終わりと新たな始まりを記す物語である――
●
遥か高き空を臨む聖域――
そこには多くの命が途絶した中、それでも佇む二つの存在があった。
一柱は『理の破壊神』と呼ばれ、また一柱は『秩序の守護神』と呼ばれた。
男性の姿を持つ理の破壊神は、名を『ゼオフレア・メルハザード』という。
女性の姿を持つ秩序の守護神は、名を『アティ・メルトラム』という。
二つの柱は向き合い、対峙していた。
それは、この場のみに限った話ではなく、ここに至るまで、悠久ともいえる永い歳月においての、その如何なる瞬間と場合においても――だ。
その二つの柱から、やがて声が生まれる。
「貴方を……止めに来たわ」
「無理だ」
その永い歳月の中で、こうして顔を合わせて真の意味で対峙することは、多くはないが決して稀というほどではない。
それだけの歳月を生きているのだ。
「お前では俺を殺すことはできない。理由は……前に言ったはずだ」
「止めることくらいはできるわ」
「ほう……?」
「今までだってできたもの。できる――いえ、やらなくてはいけないのよ」
「俺は破壊神だ。全てを……破壊する」
わずかな沈黙が流れる。
「……だからこそ、止めなくてはいけないのよ」
「それは、お前を信仰する人間の為か? お前を祀り上げた愚劣な神々の為か?」
「いいえ」
アティは、力を込めて応えた。
「“全て”の為よ。もちろん、そこには貴方も含まれているわ。だから私は、貴方を止めなくてはならない」
「――はっ。意味が理解できないな。何を企んでいる?」
ゼオフレアがアティの言葉に疑問を抱くのは、永きに渡る遣り取りの中でも珍しいものだ。
「私が何も気付いてないと思ってるの? 私がどれだけ……どれだけ貴方と対立してきたか、知らないわけはないでしょう。私が、どれだけの刻の中、貴方を見てきたのかも」
「………………」
アティの目は真っ直ぐにゼオフレアを捉えていた。
「貴方の言うように、私ひとりの力で貴方に勝てるとは思ってないわ。私は貴方と違って、祀り上げられた『守護神』だもの」
「……それがわかっているなら、どうして止められると断言できる?」
「できるわよ」
アティは、一拍を置いてこう続けた。
「だって、私は貴方に一度も『破壊』されてないもの」
そう告げられた時、ゼオフレアの表情がわずかに変化した。
「貴方はこれまで、神を含む多くの命を奪ってきたわ。でも、私の命は、一度として奪われてないの。何故? 貴方がその気になれば、いつだって私を破壊できたはずよ?」
「確かにな。 で? まさか、それが理由か?」
「そうよ。貴方は、心の底では破壊を望んでいない。だから、私を殺さない。殺せない。だから、私は貴方を止めるのよ。貴方の望まないことを止める為に」
「くっ…………」
耐え難いように、ゼオフレアの身体が小刻みに震える。
「っ…………っは…………はははははは……っ!」
ゼオフレアの哄笑が響いた。
アティが彼の笑い声など聞いたのは初めてだが、内心では緊張が高まっていた。
彼のの笑いは、彼女を見下したものだったからだ。
「……笑わせてくれる。何を言うかと思えば、俺がお前を殺さないのは、俺がお前の破壊を望んでないからだと? こんなに笑った冗談は、この腐った世界に召喚ばれて以来だ!」
「ち、違うというの?」
「いいや、違わないさ。じゃあ、逆に問うが、もし俺がお前を破壊したら、その次は何を破壊すればいいんだ?」
「何を……ですって?」
「あぁ。お前は、光の中心だろ? ならば、その次は?」
理の破壊神が秩序の守護神を破壊した後、何を破壊すればいいのか。
言葉を補足するなら、最大の仇敵を殺した破壊神が、一体何を破壊して“喜べば”いいのか――
量らずも、理の守護神にはそう聞こえてしまった。
「貴方は……貴方は、自分が楽しむ為に、それだけの為に、私を生かしていたと……?」
「これでも俺とお前は永い付き合いだからな。最大の好敵手に、寡少な愛着を持って何が悪い?」
アティが正面に見据える顔は、笑いに歪んでいた。
「ゼオフレアっ!」
「良い顔だ……。おっと、加減しても見逃してもらえるなんて勘違いはするなよ? 来るなら全力で来い」
「言われ――なくてもっ!」
言われざま、アティ――秩序の守護神は腰に構えていた聖剣を抜き放った。
しかし、それは、ゼオフレア――理の破壊神を前に、造作なく受け止められてしまう。
「くぅ……っ!」
「どうした?」
鍔迫り合いのままの睨み合いが続く。
力の差がある相手とこの状態で対峙していても、先に精神を磨耗するのはこちらだ。
ならば、極限まで高めた集中力が途切れる前に――
「――っは……!」
アティが聖剣を振り抜いて距離を取った。追撃は――ない。
まだ、遊ばれている――!
「――聖剣、セイクリッドソードよ!」
右手に掲げた聖剣の名を呼ぶ――。
神々しいまでの光に包まれ、刀身が白く輝いた。
相対するゼオフレアも、右手に下げた魔剣の名前を呼んだ。
「起きろ、エレンケイア……」
呟くと、魔剣が脈を打ち、漆黒の波動に包まれた。
彼の持つ、破壊の力の一端だ――。
魔剣も、セオフレア自身の力も遥か強大だ。技と呼べるものはなくとも、その一振りは地を割り、山を裂く。
真っ向から衝突すれば、威力を相殺し切れずにただ吹き飛ばされるだけだ。
その後の命運など考えるまでもなく分かりきっている。
ならば――と、アティは先制を取る!
「はぁっ!」
神速の一撃だ。
この領域にいるものでなければ、視認することすら許されまい。
速さにおいては、ゼオフレアを上回るものだと自負している。最善策は、つまり、相手に攻撃させなければいいだけの話だ。
一撃、二撃、三撃、四撃――止まることのないアティの剣は、衝突する度に弾かれる方へと回転を加え、さらに速度を乗せていく。
剣と剣がぶつかった際の高音が、やがてひとつの連続した音になるほど速度を増した時、アティの攻撃速度がゼオフレアの防御速度をわずかに上回った。
彼の肌に、こちらの剣による浅い斬り傷が増えていく。
ただし、これは大きなダメージへと繋がることはない。
破壊神という力を前に、この程度の小さな傷では戦いながらもすぐに癒えていくからだ。
ならば、それをも上回ればいい――。
ゼオフレアも剣を切り返す為に対峙するアティとの間合いを開けようとするが、即座に、アティは相手が下げた足と逆の足を同じ距離だけ前に詰め、それを阻止した。
距離を離されたら危険なのが分かっているからだ。
ゼオフレアの魔剣は、ツーハンデッドソード(両手剣)に分類される大きさだ。
刃渡りは身長ほどかそれ以上もあり、鍔元の剣幅に至っては両手を横にして並べても足りない。
対して、アティの聖剣は片手で扱える細身の剣だ。柔軟性で比肩することはなく、ましてやこの近距離では、大剣のリーチはただの短所に成り下がる。
さりとて、油断はできない。
ゼオフレアは、イル・ルビリアにおける最強の存在ゆえに破壊神と呼ばれるのだ。
いくら両手剣が長かろうが重かろうが、この男の前では瑣末なことだ。
もし、彼がひと度その気になれば、それこそまるで片手剣を扱うように軽々と振るうだろう。
ただ、この神域に至る戦いであるからこそ、ほんのわずかなリーチの差が目に見える結果として現れるだけだ。
一瞬でも気を抜けば、為す術なく斬り飛ばされるのはアティの身である。
ゆえに、いくら斬り合いを続けて破壊神の肌に生傷を増やそうが、それが致命傷に至らないようでは状況が有利だとはいえない。
100回斬っても1回でひっくり返されては意味がないのだ。
ならば狙うのは一撃。
止める――のではなく、ずっと躊躇っていた相手の命を絶つ為の攻撃だ。
機会は一度。
こちらの加速が最大まで高まった時に行う、相手の剣を利用した最大最速の一撃――
(――今っ!)
回転を用いた全ての遠心力を、腕先から剣先まで乗せる。
相手の胴元に向けた剣筋を、左手で右の肘を受け止め、無理矢理斜め上の軌道に切り替える。
ゼオフレアは胴払いを警戒したままだ――
取った――! とそう思った。
足から腰、肩、腕、手首に至る関節の挙動を速さに繋げ、アティの剣が、防御の為に構えられたゼオフレアの剣身を斜めに滑り、加速――頚を狙う。
――――!
一瞬の火花を散らしたアティの剣は、受け止められることなく虚空へと振り抜かれた。
空間そのものを切り裂くように、閃光が迸る。
続いて舞ったのは、月と星の光を浴びて、黒く輝く――――ほんのわずかの、ゼオフレアの髪だ。
アティの目が驚愕に開かれる。
ゼオフレアが取った行動は単純なものだ。
こちらが相手の刀身を利用して加速する瞬間、ゼオフレアはわずかに腕を伸ばし、魔剣を持ち上げたのだ。
そうして、角度をずらされたアティの剣は、ゼオフレアの頭上をただ通り過ぎた。捉えたのは些少の黒髪のみ。
もちろん、いくら相手の剣身を利用したからといって、そこに触れている時間など、ほんの、瞬きにすら遠く及ばない刹那の瞬間だ。
こちらの剣は、そもそもが“神速”なのだ。
「《アーケイン》」
衝撃が芯を穿つ。
耐えかねて、アティの身体は宙を舞っていた。
前後左右もない。重力を失い、受身を取ることすらできず、ただ石面に叩きつけられる。
背中を強打し、呼吸が止まる――この戦いにおいて、もはや許されざるほどの隙だ。
「か……はっ……」
肺から息が漏れる。
じゃりじゃり、とゼオフレアの足音が近付いてくる。
視界に魔剣が映し出され、アティは自分の命運を悟った。
「………………………」
しかし、一向にゼオフレアの凶刃が振り下ろされることはなかった。
「ゼオ……フレア……?」
見上げる彼の顔は、さきの歪んだ嘲笑から一転し、一切の感情を消していた。
そこに、わずかに見える感情があるとすれば……憂い、だろうか。
じっと、見つめていなければ、気付きもしない程度の。
「どう……して?」
殺せたはずだ。
この男なら、何度も、何度も、何度でも自分を殺せるだけの時間があったはずだ。
それは、今この瞬間だけのものではない。
今までもそう、おそらくはこうしてずっと見逃されていたのだ。
こちらが全力を以ってしても、それでも見逃されてしまう。
それだけの実力差が、この男と自分の間にはあるのだ。
「さっき答えただろう?」
「何を……」
「俺が、お前を破壊したら。俺は、何を破壊すればいいんだ? 何を楽しめばいいんだ? と」
「それは……」
アティが、続けられずに言葉を失うのも無理はなかった。
ゼオフレアが彼女に、いや全てにおいてだろうか。
初めて見るその表情は、おそらく彼自身は気付いていないであろう“悲しみ”を表すものだったからだ。
「俺に与えられた役は『破壊神』だ。破壊することしかできない。俺が望もうと望むまいと。役割がある以上、何もせずとも、破壊される為にやってくる存在が尽きることはない」
彼の言う通りだった。
破壊神が存在する以上、多くの戦士が、英雄が、使徒が、神が――彼を倒すにやってくるのだ。
それはアティ――いや、秩序の守護神だからこそ例外はない。
「俺はただ演じるしかない」
「そんな……の……」
「お前とて同じだ。秩序の守護という使命が与えられている限り、その秩序を乱す“理”から逃れる術はない」
「………………」
ゼオフレアが背中を向け、遠く空に浮かぶ青い月を見つめる。
「永い歳月、ただ破壊を繰り返しながら考えていた。何の為に破壊をするのか、何の為に存在するのか。解に辿りついたら、案外拍子抜けしたものだ」
「答えが……あるっていうの?」
「あぁ」
ゼオフレアが口角を上げる。
「俺は、世界が秩序を保つ為の、必要悪だ」
「――っ!」
「考えてもみろ。お前ら、光のやつらが生まれた理由を」
「生まれた……理由……」
互いに、このイル・ルビリアが開闢されて以来、永い歳月が経過している。
その中で、どの時代が最も『平和』であったかなど、熟考するまでもない。
今、“必要悪”と答えたゼオフレアの言葉に、アティは反論する弁を持たなかった。
「だから俺は考えた。どうしたらこの歯車から抜け出せるのかを」
彼は、決して望んで破壊をしていたわけではなかったのだ。
光の神々が彼を危険視し、その命を脅かすから彼は戦うしかなかった。
そうすることしか選択肢がなかったのだ。
「俺には破壊しかできない。ならば、残る選択肢は限られてくるだろう」
ようやく彼の真意に届いた気がした。
彼は、これまで、“世界を破壊する”という彼にできる至極単純な選択を、今まで選ばなかった。
ならば、彼に残る選択肢というのは……
「ま、待って、ゼオフレア! まだ……まだ、他にあるはずよ! きっと!」
「……聞いてやろう。言ってみろ」
「わ、私が……光の神々を説得する。そうすれば、貴方も、彼らも無駄に死ぬことはないわ!」
ゼオフレアが首を振った。
「駄目だな。やつらは俺を畏れている。手を取り合う未来などない」
「そんな……そんなことない!」
そこで、ゼオフレアの表情がふっ、と緩んだ。
「――では、お前が俺と一緒に暮らすか?」
●
遥か高き空を臨む聖域――
その場に残されていたのは、石面に突き立つ魔剣と、ひとりの少女であった。
『ははっ、お前が無理なら、光のやつらが俺と暮らすなどそれこそ不可能だろう――?』
そう言って、彼は、自身の胸に剣を刺し、自らを破壊した。
少女に記憶に残されたのは、最初にして最後の、彼の笑顔であった。
遥か高き空を臨む聖域――
そこには長い間、少女の小さな嗚咽だけが音を作っていた。