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第八章 ガールズ・ミート・イール

「おっはー!」

「おっはー!……って……まだ開店前なのに、その声は!」

 松吉が戸口を振り向くと、

「お兄ちゃーん。うなぎ食べさせてー」

と、紅林まりんの愛い姿。頬が紅潮している。

「まりんちゃ……じゃなかった、まりん先輩。まだ開店前ですよ。板長も誰も居ないんですよ」

「じゃあさー、どっか食べに行こうよー、まりん、おごってあげるよー」

「えっ!」

 おごってあげる……松吉はどれほど、その言葉に遮二無二飛び付きそうになったことか……しかし自制した。辛かった。辛かったけど耐えた。

「紅林さん……来てたんですね……」

 また、別のお客が到来したようだ。その人は……。

「井戸口さん!」

 みどりだった。が、みどりはまりんの姿を認めると、じっと……。

「紅林さん、まだ開店前ですよ。満月くんは準備で忙しいんだから、邪魔しちゃダメじゃないですか」

 心なしか、きつい言い方に聞こえる。冷静に言ってはいるが、その中に、何か鋭いトゲのようなものが感じられた。

 まりんが平気の(へい)()といった感じで、みどりに向って無邪気に言ってのける。

「みどりちゃんこそー、どうして開店前に来たりしたのー?」

 無邪気と言うよりもむしろ、無邪気を装うというふうにも見える。

「そ、それは……」

 みどりが俯く。

「そ、それは! わ、わたしは! 同じ便利委員として、彼がちゃんとやっているかどうか、見届ける義務もあるし、慣れない業務を同じ委員仲間同士として、手伝う義務がありますからね。開店前準備というのは大変ですから」

「ふーん。そうなんだー」

 まりんのいかにもわざとらしい棒読みが、「お前の真意など、とうにお見通しだよ」とでも言わんばかりのニュアンスを漂わせ、松吉をゾッとさせる。

 みどりとまりんの二人は何も言わずに、目と目で話しているようだ。お互いの目をじっと見据えて、身じろぎをしない。二人の視線の間に、まるでオレンジ・カラーの電流の迸りがぶつかり合うかのようだ。

「ねえ、お兄ちゃん! まりん、おごってあげるから、これから、何か食べに行こ!」

 そう言ってまりんが、松吉の胸に飛び込む。

「えっ、いや、あの」

 戸惑う松吉。そこにみどりの金切り声が上がる。

「ちょっと紅林さん! 離れなさいよ! 満月くんが困ってるでしょ!」

「変なみどりちゃーん、いつものクールなみどりちゃんらしくなーい。何テンパってんのおー」

 松吉の胸の中で、まりんがみどりを嬲るか如き言い方。みどりは声のテンションをますます上げる。

「紅林さん! 満月くんは忙しいって、さっきから言ってるでしょ! どうして聞き分けがないんですか!」

「何よー、お兄ちゃんは忙しいなんて、自分じゃ言ってないもーん。みどりちゃんが勝手に、そう言ってるだけだもーん」

「な、何ですってえ! ね、ねえ満月くん、い、忙しいわよねえ。こんな開店前に、迷惑よねえ」

 そう言って松吉に同意を求めるみどりの表情が、途轍もなく必死なものに見える。顔が、すっかり引き攣っていた。

 その時、妙な口上が聞こえて来た。ドスの利いた低音ヴォイスで……。

「今日はうなぎを食べるのがぁ、ハマの掟というものさぁ、うなぎの食べ方種々あってぇ、うな丼うな重ひつまぶしぃ、蒲焼唐揚うなぎ寿司ぃ、フライ天ぷら茶碗蒸しぃ」

 また誰か来た。しかも、やっぱり聞き覚えのある声。ドスの利いた低音ヴォイス。

「耶麻田井さん!」

 みどりが、その声の主を見て声を上げた。

「うなぎ、食いに来たぜ」

 耶麻田井火魅子がそう言って、席に陣取る。次いでみどりとうらんに向って、こう言った。

「揉め事なら外でやりな。ここはうなぎ屋だ。ケンカは似合わねえ。それから、おい、そこの小っちゃいの」

 依然として松吉に抱き付いているまりんに対し、

「うぜえんだよ。目障りだ。お客にそんな見苦しいもん、見せてんじゃねえよ。いつまでも抱き付いてねえで、早く離れろ」

と、言い放つ。

「耶麻田井さん、わたしと紅林さんを外に追い出して、ご自分は何をされるおつもりなのかしら?」

 みどりの、その丁寧な中にも探りの込められた言い方に対し火魅子は、

「何? どういう意味だ?」

と、目を見開いてみどりを凝視する。

「まだ開店前よ。この店」

「じゃあ、待たせてもらうぜ」

「随分、お暇なようで」

「人間、たまには息抜きが必要なのさ」

「どんな息抜きなのかしら」

「何が言いたいんだぁ? あぁ!」

 火魅子が凄む。が、みどりは動じない。二人の目線の間に、またも炎が見えるかのよう。

「悪い奴に対して以外には絶対にインネンなんか付けたりしないあなたが、彼にインネン付けたって聞いて、これはおかしい、何かある……って思ったら、やっぱりそういうことだったのね」

「そういうことって、どういうことだぁ?」

「自分の胸に聞いてみたら」

「それおかしいねー。火魅子ちゃんがそんなことするわけないモン。何の口実なのかなー」

 まりんがみどりの言葉を引き継いで、意味ありげな言葉を付け加える。おそらくわざとだろう。

「余計なお世話だ! 黙ってろ!」

「ヤキ入れるとかだったら、とうにやってるだろうし。どうも、それ以外の目的があるとしか思えないですものね」

 みどりの探りに、火魅子が挑むように探り返す。

「おめえこそ、どうなんだ? 何でここに居るんだよぉ、あぁ?」

「わたしは同じ便利委員として、立会いと補助の義務があるの。カール大小父にも言われてるし」

 火魅子がそれを聞いて、あざ笑うかのように、

「立会い? 補助? ケッ、何だ、それ。それこそ口実だろ。ドヤ顔してんじゃねえよ」

と、一蹴する。しかし、みどりはポーカー・フェイスを貫く。

「いずれにしても、わたしには然るべき正当な理由があるんですからね。あなたたちとは違うんです」

「何が『あなたたちとは違うんです』だ。どっかの元総理か、おめえは」

「まりんだって正当な理由、あるもーん。だってこの前、お兄ちゃんがプーさん取ってくれた。そのお礼がしたかったんだもーん」

「お礼なら、この前、紅林さん言ったでしょ。くどいことしなくていいんですよ」

「みどりちゃんが、わざわざこんなとこにまで押し掛けて来ることのほうが、よっぽどくどいもーん」

 まりんのその言葉が、またもみどりに火を点けたようだ。

「何ですってえ! 押し掛けるとは何よ! 押し掛けてるのはあんたのほうでしょ!」

「自分の持ち場ほったらかしといて、こんなとこにまで追い駆けて来てるってのに、これが押し掛けでなくて何なんだよ? あぁ?」

 火魅子が畳み掛けるようにみどりに迫る。みどり、火魅子に言い返す。

「温泉施設は夜だけでしょ。それ以外の時間で何をしようが、わたしの勝手でしょ。わたしの自由時間なんだから」

「だからその時間は、便利委員じゃないってことじゃんか。自由時間として、ここに来たってことだな。おめえ、語るに落ちたな」

「自由時間を、便利委員としての補助業務に当ててるのよ。何が語るに落ちたな、よ。ふざけんじゃないわよ。あんたこそ口実作って、満を持して押し掛けて来て。あんたのほうがよっぽどドヤ顔だわよ。恥を知りなさいよね。まったく」

 みどりの一連の言葉に、火魅子が髪を逆立てた。

「てめえ! 言わせておけば!」

「火魅子ちゃん、あやしーい。さっきから何か必死だよー。顔が赤いもーん」

 まりんはそう言いながら、松吉から離れようとはしない。

「てめえ! 離れろよ!」

「そうよ! あんたっ! いつまで満月くんに抱き付いてんのよ!」

 みどりと火魅子が共同で、松吉からまりんを引き離しに掛かった。まりんはもがいた。

「やだあッ! まりん離れないーっ!」

「離れろっつってんだろうがよぉ!」

「ロリ特権(とっけん)で出し抜こうったって、そうは問屋が卸さないんだからねっ!」

 その時、またも一人の女の声がした。強烈な関西訛り。

「何やあ! ちょっとあんたらぁ! ワテとまっつんの店で、いったい何やってるんやぁ!」

「おめえの店じゃねえだろ!」

 火魅子の突っ込みにその女、梅乃が言い返す。

「ワテとまっつんが、便利委員としてこの店を任されてるんやぁ! ワテらの店も同然や! 文句あんのけぇ? オラア!」

「どんな理屈だぁ! わけ分んねえこと言ってんじゃねえっ!」

「じゃっかあしやあい! いてまうどワーレー!」

 まるで横浜ヤンキーと大阪ヤンキーの対決の如き有様を呈す。そこへ、みどりが梅乃に嫌味を放つ。

「すっかり夫婦気取りってわけ? 笑わせるわ」

「何じゃお前はあ! 何しに来たんや! 早よ温泉帰りさらせぇ! ダアホ!」

 まりんが松吉に強くすがり付いた。

「怖いよう。お兄ちゃん。ガラの悪い鬼婆(おにばば)が怖いよう」

「誰が鬼婆じゃぁ! こら、ガキ! ワテのまっつんに、何してるんやぁ!」

 梅乃が、松吉に抱き付いているまりんの腕を掴み、激しく揺する。

「痛いっ! 痛いよう!」

「何、可愛子(かわいこ)ぶってんねん! ワレ、シバキ回すぞ! ゴルアァ!」

 火魅子が梅乃の発言に突っ込む。

「おめえこそ、何が『ワテのまっつん』だ! おめえのもんじゃねえだろがぁ!」

 梅乃、激烈に反論する。

「うっさいんじゃ! ワテは一番先輩やで! ワテに一番権利があるんやぁ!」

 みどりが突っ込む。

「わたしだって、カール大小父に直々に頼まれてるのよっ! 権利が一番あるのはわたしなのっ!」

 今度は火魅子がみどりに突っ込む。

「おめえ、二言目にはカール、カールって、おめえは三橋(みはし)美智也(みちや)かぁっ!」

 まりんは一層、松吉にすがる。

「怖いよう。お兄ちゃん。鬼が三匹もいるよう」

 みどりと火魅子と梅乃が、まさに鬼の形相で、うらんに挑みかかった。

「あんたぁ! いつまでダッコちゃんみたいに、くっ付いてんのよ!」

「このグレムリンがぁ! ヤキ入れてやらぁ!」

「オンドリャア! さっきから、何、猫被(ねこかぶ)っとんじゃあ! かましたろかぁーっ!」

 みどりと火魅子と梅乃が、松吉にしがみ付いているうらんに掴み掛かる。その結果、松吉に四人の女が一斉にすがり付く格好になり、押し合い圧し合い、まさに、組んずほぐれつの大揉み合いへと発展した。女たちのむせ返るような芳香が混ざり合う。

 松吉、たまらずに絶叫し、懇願する。

「痛い痛い! やめてやめて! お願いだから離して! お願いだから髪を引っ張らないで! 頼むから鼻の穴に指を入れないで! 拝むから口の中に拳骨を押し込まないで! 後生だから綱引きみたいに右と左から同時に俺の腕を引っ張るのはやめて!」

 火魅子がまりんを、ついに引き離した。

 ビリビリビリッ!

 まりんは松吉の上着ごと、引き離された。その結果、松吉の上着が盛大に破かれてしまった。

 上半身裸になった松吉。まりんが今度は、松吉の足にすがり付く。またも引き離されるまりん。

 ベリベリベリッ!

 松吉は、パンツ一丁になってしまった。まりんが、パンツ一丁姿の松吉にしがみ付く。

「まりんが、もーらった❤」

「アホかあ! ワテのもんじゃあ!」

 梅乃が松吉から、まりんを引き剥がしに掛かる。

「アタイの目の黒いうちは許さねえっ!」

 火魅子も同じく松吉から、まりんを引き剥がしに掛かる。

「満月くん、わたし、助けてあげるからね!」

 みどりもまた同じく、松吉からまりんを引き剥がしに掛かる。

 伸びるパンツ。いつの間にか女たちは、なぜだか、松吉のパンツを奪い合う格好になっていた。

「やめてえーっ!」

 松吉が、必死で自分のパンツを庇いながら叫ぶ。そして……。

 パッチーン!

 炸裂する破裂音。女たちは店内に、四方の方角にそれぞれ吹っ飛んだ。そう、各々パンツの(きれ)を胸に抱いたまま。

 ガラガラガラッ! 戸の開く音。また誰か来たようだ。

「やっだー! 今日は間違えてないのにー!」

 その声の主はポニー・テールの先をはためかせて、生まれたままの姿の松吉を見て顔を赤らめつつ、歓声を上げた。

「に、錦小路さん……」

 みどりの声に、新客・錦小路茂菜香は、

「井戸口さんじゃない? どうしたの?」

と、みどりに問う。みどりは問い返す。

「錦小路さんこそ……まさか、錦小路さんも……」

 茂菜香がモジモジしながら言う。

「あたし……今日は何だかうなぎが食べたくなってしまったの……でも、幾ら何でも……ナマのうなぎなんて……あたし、まだ食べられないっ!」

 そう言って茂菜香は、両手で顔を押さえた。

「そ、そんな究極のグルメ、まだ早すぎるっ! ダメッ! ダメよッ! だ、だって、あたしたち、出会ってまだ一か月しか経ってないのにっ! もうっ! 恥ずかしいっ! いやっ! いやっ!」

 梅乃も茂菜香が身をよじらせる姿を見て、さすがに呆気にとられた様子。火魅子に向って自分の頭を指し、

「あの姉ちゃん、ココ大丈夫か?」

と、尋ねる。火魅子は何ともバツが悪そうに、

「アタイに聞かねえでくれよ……」

と、はぐらかそうとする。

「ナマのうなぎ……って……それって……あの……」

 みどりの言葉は、しかし、松吉の言葉に掻き消された。

「も、もういやっ! こんな生活っ! 耐えられないっ! 知らない知らないっ! ばかあーっ!」

 松吉は破れた衣服を抱きかかえて全裸のまま、店を飛び出した。


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