第七章 ボーイ・ミーツ・イール
聖アンドロポフ学園内にあるグルメストリート。
そこは学園関係者のニーズに応えるため、多種多様な店舗が用意されている。天ぷら屋あり、バーガーショップあり、ステーキハウスにすき焼き、しゃぶしゃぶ、焼き肉、トンカツ屋、ハンバーグ・レストラン等々各種肉料理専門店あり、てっちり、懐石、寿司処あり、洋食屋もあれば定食屋もあり、フレンチ、イタリアン、中華、タイ料理、それに特筆すべきは、温泉にはさすがにトルコ風呂はなかったが、こちらにはちゃんとトルコ料理の専門店まであるのだ。
その一角に、うなぎ屋『うな満』はあった。何でもミシュランの三つ星だという。学食でミシュランの最高得点を獲得したのは、この店が世界唯一らしい。以前、音楽界の巨匠であるアンタノ・モッコリーネや、映画界の鬼才であるスダッレー・ルービックキューブが来日して学園にて講演をした際、この店に立ち寄り、うなぎに舌鼓を打った。それにより、世界にその名声が一躍轟き、以後、この店のうなぎ目当てに、世界中の名士がアンドロポフ学園での講演を希望して引きも切らない現状なのだとか。
この店の手伝いを命じられた松吉だったが、いかんせん、料理に関しては素人のため、仕事は店の清掃と諸準備、料理の運搬が任されることになった。
「じゃあ、よろしく頼むね。分らないことがあったら、何でも聞いて」
店長からそう言われて、
「はいっ、よろしくお願いします」
と、松吉は頭を下げる。
『うな満』ネーム入りユニフォームに身を包んで、さあやるぞと腕まくりをした、その時。
ガラガラガラッ! 戸の開く音だ。
「いらっしゃいませ! すいませんお客さん。まだ開店前……」
松吉がそう言いながら、戸のほうを見やると、
「もう、京阪神がえらい混んでなあー、ワテ、参るわあ、ほんまぁ」
と、言いながら入って来たのは、強烈な関西訛りの一人の若い女性。サックスカラーのワンピースに、耳には瑪瑙のイヤリング、首には珊瑚のネックレス、腕輪は琥珀と真珠が煌めく。さすがに鼻輪まではしていなかったが。なかなか派手な出で立ちではある。
「ちょっと兄ちゃん! 聞きたいんやけど。『うな満』さんて、ここで間違いないんけ?」
それにしても、きつい関西訛りである。
「はい」
松吉は席に案内しようとしたが、その女性が遮った。
「ああ、ちゃうちゃう。ワテはお客やないねん。兄ちゃん聞いてへんのけ? ワテは今年の卒業生の、梅乃や。佐渡河梅乃っちゅうんや」
松吉は、これが園長の言っていた今年の卒業生便利委員かと、改めてその若い女性をまじまじと眺めた。はっきりした目鼻立ちで、すこぶる華やかな印象を与える。それなのにやや化粧が濃い。むしろこういう顔立ちの女性は、ナチュラルメイクのほうが似合うものだ。
ヘアスタイルはソバージュのセミロングであり、こちらは結構似合っていた。細長い手足から、すっきりとしたハーブの香りが漂う。
「何や。あんたぁ、ワテのことジロジロ見たりして。けったいなやっちゃで」
梅乃はテーブル席に陣取り、
「兄ちゃん、とりあえず、水おくれぇな。喉がカラカラやねん。頼むわ」
と、リクエスト。松吉は冷たいおしぼりと氷水を持ってきてやる。梅乃は氷水を一気に飲み干す。
「ぐわーっ! ごっつぅうまいやんけぇー! あんたぁ、なかなか気ぃ利くやんけ! 気に入ったで! 冷えたおしぼりも、ちゃんと一緒に持って来るとは、商人に向いたぁるでぇ、あんたぁ」
「いや、別にマニュアルだし。そう言われてるからその通りにしてるだけのことであってですね」
「何、フガフガ言うとんねん! 褒めとんのやよって、素直に『へえおおきに』て言うたらそれでええんや! 分ったか!」
松吉は、すっかり梅乃のペースに乗せられている。
(な、何で初対面で、こんなにエラそうなんだ……)
「食事はどうしますか?」
それでも、松吉は先輩に対して健気にふるまう。
「お昼まだでしょう?」
「まだやけど、あんたに鰻は捌けへんやろがいな。板さんは居るんか?」
「いえ、まだ開店前ですから。店準備の僕だけです。グルメストリートでお昼でもどうですか?」
「あんたぁ、ワテを食事で釣って、その後どうする気ぃや」
松吉が、梅乃のニヤニヤ笑う顔を見て、思う。
(どうもしねえよ!)
とりあえず松吉の理想の彼女は、健気で可愛い美少女なのだ。ルックスはともかく、こんな野生の荒馬みたいな性格をして、けたたましい関西弁でまくし立てる彼女とは、とてもじゃないがソフトクリームを共有することは無理に思える。全部分捕られそうだ。
「もちろん、あんたのおごりやろな」
しまった、余計なこと言うんじゃなかったと、松吉は思ったが、もう遅い。
「……分りました」
「ワテ、せっかくやさかい、珍しい国の料理が食べたいわぁ」
松吉は、ふと、梅乃の持っているハンドバッグに目を留めた。
「これか? これはな、イールスキンや。うなぎの皮で作ったバッグや。ワテのお気に入りやねん。ちょうど、うなぎ屋やさかい、ピッタリやわいなぁ」
梅乃はそう言うと、カラカラと声を立てて笑った。
そんなこんなで、ここはグルメストリートのアフリカ料理店。
「あー、ごっつうまかったわぁー」
腹をポンポンと叩く梅乃の向かい側で、松吉は財布を開けて中を見て、肩を落とす。
「トホホホホ……」
しかし確かに珍しい料理を鱈腹食べることができたのは、とりあえず良かったのかも。と松吉は思った。何せ今まで、なかなかそんな機会が松吉にはなかったので、新鮮といえば新鮮ではあった。味も良いし店の雰囲気も良い。便利委員としてひたすら奉仕活動に没頭していたので、いわば松吉にとっては、だいぶ思っていたのとは違うけれども、一種の変則的デートとでも考えれば腹も立たない。もっとも相手は……。
「ワテ、食後のコーヒー飲みたいわぁ」
「すいませーん、ウェイターさん」
ウェイターを呼んで、コーヒーを注文する二人。
「僕、アメリカン」
「ワテ、アフリカン」
「そんなコーヒーねえよ!」
「なんでや! ここ、アフリカ飯の店ちゃうんけ! しゃあないなあ! 分ったわ! ほんなら、ちゃうのにしたるわい! ワテ、南アフリカン。なかったら、ナイジェリアンでもええでえ!」
「トホホホホホホホ」
松吉はもはや、突っ込みをする気力もなかった。これじゃあ学年最下位も納得がいく話だなと、松吉は自分のことは棚に上げて、溜息を吐いた。
「何、シケた顔してんねん」
梅乃がキリマンジャロ・コーヒーを飲みながら、松吉の顔を見て言う。
「僕、顔、シケてますか?」
「アホか、お前は」
何かにつけてすぐ、こうしてアホ呼ばわり。にべもない。
「園長さんに聞いたで。あんた、満月松吉ってゆう名前なんやて?」
「はい……よろしくおながいします」
松吉は、これから一緒にやって行くことでもあるし、挨拶をしようと思って言ったのだが、「お願いします」と言うべきところを、ついうっかり言い間違えてしまった。
「それを言うなら『お願いします』やろ。アホか、お前は」
そう言って、梅乃は松吉の頭をピシャリと叩く。
「トホホホホ……」
「トホホとちゃうわ! 早よ、ワテのコーヒーのおかわり貰といで!」
またも頭を叩かれた。
(トホホホホ……)
言うと、また叩かれるので、心で思うことにしたという次第。松吉は、コーヒーのおかわりを梅乃に持って来てやる。
「おう、御苦労」
まるで、どこぞのお大尽といった趣の梅乃。松吉は、こいつ、首でも絞めてやろうかと思った。
そのコーヒーのおかわりを飲みながら、梅乃が言う。
「あんた、名前もおもろいけど、なかなかおもろい奴ちゃな」
梅乃がふと表情を柔らげる。
「佐渡河先輩は、今、何をしてらっしゃるんですか?」
「えっ? ワテか……」
梅乃の表情が曇る。
(しまった……地雷……)
松吉は内心そう思った。尋ねなければ良かった、と。また叩かれるか、それとも怒鳴られるか。松吉は覚悟を固めたが、梅乃は、カラカラと笑い声を上げながら、
「プータローや」
と、言った。
「何もしてへん。大学も全部落ちたしな。実家に帰っても邪魔者や。アホの子ぉ呼ばわりや。ほんまはワテ、卒業後も実家に帰るつもりはなかったんや。無理やり帰らされたけど、やっぱり色々あってな。こっち出て来る口実に、便利委員を使うたというわけや」
梅乃はそう言いながら、
「終わっても帰りたないわ。ワテ」
と言って、目を瞬かせた。
「じゃあ、こっちに居たらどうですか」
松吉の提案に、梅乃が目を丸くする。
「なんやて?」
「だって帰りたくないなら、こっちに居るのが一番いいと思いますよ」
「それはそうやけど……」
梅乃の様子がさっきと全然違うのが、松吉の目を惹いた。
「学内の塾が格安だし、そこに入って受験勉強したらどうですか? 寮もありますし、そこも殆ど費用は掛からないし」
「それはワテも知ってるわいな。一応ワテもここのOBなんやさかい。あんた、ワテにそうせい言うんか」
「別に強制してるわけじゃないけど、そういう方法もありますよね」
松吉は何というか、余計なお世話かとも思ったのだが、なぜかそう言わずには居られなかった。
「なあ、あんた。なんでそんな、ワテのこと気にするんや?」
梅乃の問いに、松吉は答える。
「いや……その、ちょっと、何か可哀想になって……」
「可哀想? ワテがか?」
梅乃が驚くような反応を示した。次いで、声を落とした。
「人にそんなこと言われたん、初めてやわ、ワテ」
「初めて?」
松吉が梅乃の顔を見る。何やら突っ張ってはいるが、松吉には、梅乃がそんなに悪い人間には見えないのだった。
「なあ、あんた、ワテのこと、どない思う?」
そう訊く梅乃に、松吉は正直に答えた。
「ユニークな人だなって、思います」
梅乃はそれを聞くと、松吉の頭を叩いた。
「お前にだけは言われたないわ。アホか、お前は」
「トホホホホ」
梅乃が松吉の顔を見ながら笑う。梅乃の笑う顔は、何か吹っ切れたような表情をしていた。
「まっつん、よろしゅう頼むでえ」