第六章 ボーイ・ミーツ・ウール
松吉が便利委員に任命されてから、早一か月が過ぎた。
ゴールデンウィーク。しかし松吉は実家に帰ることも、遊びに行くこともできない。入試が最下位だった彼は、その期間は補習授業を受けることを強制されていたのだ。
もちろん、あの例の「便利委員」も。
「満月さーん、園長がお呼びデース」
「え?」
数日後、学寮長室に呼び出された松吉。そこでさらに、園長がお呼びだから行くようにと、カール大小父の指令。
「園長室に行ってくだサーイ」
理事長もそうだけど、園長の顔も見たことないなと、松吉は思った。二人とも海外出張中とかで、入学式の時は居なかった。パンフレットなどの資料にも、やはり理事長と同様、名前しか載っていなかった。園長は、その後間もなく帰って来たらしいが、未だに会ったことがない。温泉保養施設にも来ないし。
入学案内のパンフレットによると、学園長の名前は「メリー羊川」というらしい。何とも、童謡チックな名前である。
コンコン、ドアをノックする松吉。
返事がない。
園長室。確かに間違いはない。松吉は、何度も表の札を確かめる。確かに、園長室と書いてある。どこからどう見ても。
(誰も居ないのかな)
松吉は、
「ごめんください」
と、声を掛ける。若干、何か場違いのような気もするけども。
「ごめんください」
もう一声。
「ごめんくださいっ!」
しーんとしている。誰の声もしないし、どうなっているのだろう。出直したほうがいいのだろうか。松吉は逡巡したが、何気なくドアのノブを回してみると、それは回り、ドアが開く。
松吉は躊躇ったが思い切って、中に入ってみた。
「!」
思わず目を疑う。そこには……
Tシャツ一枚を着て、下にはイチゴ柄のパンツを履いた(パンツしか履いていないのだ!)、およそ体重百キロはあるかと思われるパンチパーマのおばさんが居た。おばさんは強烈な厚化粧を施し、ランランランとか歌いながら、盛んにエクササイズに励んでいた。
おばさんは、また物凄い香水の香りを漂わせている。おそらく色々な銘柄を、全部混ぜ合わせているのか、それとも、多種多様な香水を片っ端から次から次へと身に沁み込ませているのか。その香りと言うか匂いが部屋中にも溢れ返っていて、松吉思わず、
「オエッ」
となる。
おばさんはシェイプアップ・エクササイズに夢中だったが、どうやら部屋に入って来た松吉に気付いたらしく、
「キャーッ!」
と叫ぶ。
(叫びたいのは俺のほうだよ!)
松吉が心の中で突っ込むと、そのおばさんは、なおも、
「やめてぇーっ! 襲わないでぇーっ!」
と言って、一人で身をくねらせている。
「誰が襲うかよ! 何にもしてねえよ!」
松吉は突っ込みながら、香水の匂いにむせながら、辛うじて正気を保たせた。
「あたくしが、当学園園長、メリー羊川です」
園長席に陣取ったそのおばさんは、自己を紹介する。上下に、シックなダブルのツーピースでまとめたファッション。彼女、あれから慌てて着替えたのだ。
「とんだところを見られてしまいましたが、内緒ですよ。いいですね」
松吉は頷く。
「素直でよろしい。ところで遅ればせながら、当学園への御入学、おめでとう。心から歓迎します。これから三年間よろしくね。それから、成績末席による便利委員の職務、お疲れ様。大変だろうけど、これも修行と思って精進してください。困ったことあれば、何でも相談に乗りますからね。フォローもするつもりでおりますから」
「あ、ありがとうございます」
園長のメリー羊川は、さっきとは打って変わってテキパキした様子で話す。さすがにその辺は、やっぱり園長なんだなと、松吉は思った。それにしても……この切り替えの早さはどうだろう。さっきまでイチゴパンツを露出して悶えていたおばさんと同一人とは、とても思えない。
まあ……教師といえども一人の人間だしな、息抜きしたい時だってあるだろう、松吉は、努めて寛容になろうと努力した。もっとも、するなら学校以外でしてほしいものではあるが。
ともあれメリー園長は、松吉のことを気には掛けていてくれているようである。何と言っても園長という立場のことゆえもあるだろうが、こうして話を聞いていると、松吉には、悪い人には思えなかった。
「あなたには便利委員を務めてもらっているんだけど、今は温泉施設で頑張ってくれているようですが、実はこのたび、あなたの配置転換が決定いたしましたので、それをお知らせします」
「配置転換、ですか?」
松吉は、思わず身を乗り出す。
「それ……僕一人だけですか?」
「そうです」
松吉は落胆した。とすると、みどりとは持ち場が離れてしまうのか……と。
ん? どうして、みどりと違う場所に行くのに、そんなにガッカリしなきゃならないんだ? 松吉は頭を振った。
「満月松吉さん、あなたには、卒業生便利委員の佐渡河梅乃さんと一緒に、ミシュランで三つ星の評価を得た学内グルメストリートの目玉店舗の一つ、うなぎ屋『うな満』のお手伝いさんをお願いします。三年生便利委員の小恋夏中助さんと、いわば入れ替えです」
「卒業生便利委員? 佐渡河さん?」
松吉は、聞き慣れないその言葉、名前に、率直に疑問の意を呈した。メリー園長は笑いながら説明する。
「あたくしが出張で不在でしたもので、あなたがたの便利委員就任時の辞令は、学寮長のカール大小父と副学寮長のチンミン先生に委託しましたが、そうでしたね。あなたが辞令をもらった時は、佐渡河さんは居なかったのよね。そうすると、初めて会うことになるのね。彼女は去年、高等部を卒業して大阪に帰ったのですが、卒業成績が学年最下位でした。もっとも、その場合の便利委員は任意です。仮にするにしても、期間も時期も、本人が自由に選べることになっています。例年、あまり志願する人は居ないのですが、今回は彼女が自分からそれをさせてくださいと、いわば、自分から志願したのですよ」
メリー園長は、まるで橋田壽賀子ドラマのような長台詞で説明してくれた。松吉、思わず「説明、乙」と声を掛けたくなってしまう。
「しかし、珍しい人もあるもんですね。任意なのに、自分から志願するなんて」
松吉がそう言うと、メリー園長は目を細めて、しみじみとした調子で言った。
「そうですね。でも、たまに志願する人も居るのですよ。懐かしさとか、自分を見つめ直すためとか、そんな理由でね。いずれにせよ、学園を巣立って羽ばたいて、しばし羽根休めをするという効用もあるのなら、懲罰システムとはいえ、なかなか役に立つ部分もあるのかもね」
「その佐渡河さんという人は、大学とかには行かなかったんですか?」
「ええ」
「じゃあ、どこかに就職を?」
「いいえ」
「じゃあ、浪人?」
「ある種、そう言えるでしょうね。でも彼女のプライベートですから、あんまり……ね」
「分りました」
こうして連休初日、松吉は学内付属温泉保養施設から、うなぎ屋『うな満』への配置転換を命じられたのである。




