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第一章 ボーイ・ミーツ・ボーズ

 満月松吉。十五歳。明日は入学式。ピッカピッカの一年生。

 どこの入学式か。それは、松吉が夢にまで見て憧れた、真倭市の私立聖アンドロポフ学園高等部。補欠入学とはいえ、正式な生徒である。

 今日は入学式の前日だが、新寮生入寮の日。

 寮は曲線を多用したアール・ヌーヴォーの瀟洒な様式で統一され、凱旋門をあしらった出入り口に、なぜか日本語で「良く学び、良く遊べ」と刻まれている。

 それを入ると四季の緑と花々に彩られた噴水庭園。今は春なので、ソメイヨシノが爛漫と咲き、そよそよと花弁が庭園に舞う。中央の噴水では、白亜の磨き抜かれた小便小僧が際限なく放出する水が、陽に反射して金の光彩を煌めかす。春のうららな陽気の中で、雲雀や雀が愛らしい声を鳴らしながら、盛んに遊び興じている。チョコレート色の煉瓦の壁のところどころに嵌め込まれた銀色のキューピッドたちが、まるでその戯れを祝福するかのように微笑んでいる。

 庭の向こうに見える高等部の校舎。

 大きな新校舎は建ったばかりなのかまだ真新しく、カスタードクリームの色をまとったコンクリートの壁と透き通るようなガラス窓がその鮮やかな対照を示す。旧校舎は鋭角な尖塔を持つ校舎もあり、ドーム型の校舎もあり、蔦の絡まる時計台もあり。また体育館も真新しく、茶室のような建物もあるし、その傍には苔庭と石庭を折衷した日本庭園まである。他にもまだ色々様々なタイプの建物が、大きな敷地に点在している。

 松吉は二階の、自分に(あて)がわれた居室からそれらを見下ろして、いたく満足であった。まるで、お殿様にでもなったような気分だ。殿様気分。いい気分。

 それにしても、なんて洗練された学園なんだろう。松吉は改めてそう思う。

 もともと、あの繁華街での一件から志願した学校ではあったが、正直なところ、最初は学校そのものに関しては、それほど期待していたわけではなかった。ホームページの写真で見ても、それほど大きくも美しくも見えなかった。

 が、実際に下見に来た時、学校を構成する諸々の和洋折衷の様式の、ややアンバランスな中にも感じられる絶妙なバランスと、その敷地の広大さに、松吉は息をのんだ。正直、めまいを覚えたほどだ。

 そして、グレーとブラウンのチェック柄を施した、糊のきいたブレザーの制服。ワインレッドの色のネクタイ。上着の胸の部分に輝く金の刺繍。それは、あの時に見た「∩(あんど)」の校章マーク。

(これで……)

 松吉は溢れる思いを押さえきれずに、胸を押さえ、また肩を震わせる。

(これで、俺も、ついに、高校デビューできるんだ!)

 松吉は学園の寮の自分の部屋で制服に身を包んだまま、嬉しさのあまり、自分自身に抱き付いた。部屋は個室であり、自分一人なのも都合が良かった。

(ハアハア)

 高校デビュー。そう、松吉の切なる願いは、都会のお洒落な学び舎での、素敵な彼女との出会い。繁華街でデートして、あんなことや、こんなことをすることだ。たとえばこんなふうに。

「松吉くん、おはよう」

「おっす、なんだお前、朝シャンしたのか。いい香りがするじゃん」

「松吉くんが好きなフローラルだよ」

「なんだお前。わざわざ俺のためか。可愛いな」

「そ、そんな。こんな人前で恥ずかしいよ」

「いいじゃん。可愛いものは可愛いんだ。こっち来いよ」

「もう、強引なんだから」

「いい香りだ」

「明日もしてきてあげる」

「バカ。シャンプーじゃねえよ……お前の……香りさ」

「松吉くんのエッチぃ。もう、知らない」

「俺の香りはどうだ……? え?」

 松吉は部屋の中、仮想の彼女と一人二役を兼ねて演じながら、完全に妄想ワールドに突入していた。他人が見れば、さぞ頭のおかしな人だと思われることだろう。しかし、もうバカは誰にも止められない。松吉は部屋に誰かが入って来たことにも、まったく気付かなかった。

「松吉くん、UFOキャッチャーしてぇ」

「おねだりか」

「あのキューピーちゃんのストラップが欲しいの。お願い」

「いいけど、タダではできねえな」

「もうっ、ケチっ、意地悪ッ」

「嘘だよ。ほら、キューピーちゃん」

「わあっ、ありがとう。嬉しい。これ欲しかったんだ。さっきはごめんね。お詫びに……」

「ちゅっ」

「や、やだっ、先越されちゃった。も、もう、次はあたしからキスさせてくれなきゃ、許さないんだからねっ」

 仰向けに寝ながら、松吉は一人二役の妄想演技に、すっかり夢中になっていた。次は彼女から彼に対してキスをする番だ。と、その時。

「何を許さないって?」

「え、それは決まってるだろ。次はお前のほうから俺に……」

 ん? 松吉は答えながら、彼女の声が妙に爺臭(じじくさ)くなったことに気付いた。

 目を開ける。

 松吉の眼前には、可愛い彼女……ではなくて、頭がツルツルに禿げた、全身黒衣に身を包んだ爺さんが居た。

「ぎゃあっ!」

「わあっ!」

 松吉の叫びに、爺さんも驚いて叫び返す。松吉と爺さんは、それぞれ、部屋の真反対の方向に飛び退いた。

「はあはあ」

「マ、マジでビビった……な、何なんですか、あなたは。いったい、誰なんですか?」

 松吉の問いに、爺さんは答えた。

「驚いたのはこっちじゃ! まったく、昼間っから何やっとんじゃ!」

 松吉は落ち着きを取り戻すと、自分の服を手で叩いて、爺さんに向って言う。

「自分の部屋で何をしようと、僕の自由でしょう。あなたこそ勝手に人の部屋に入って来て、失礼じゃないですか」

「待て待て、ワシはちゃんとノックしたんだぞ。しかし、確かに部屋に居るはずなのに、返事がない。おかしいなと思ったら、何か変な声が聞こえるから、さては変質者が忍び込んだのかと思うてな」

 爺さんは、憮然とした表情で言った。

「あなたのほうこそ、どう見ても変質者じゃないですか」

「誰が変質者じゃ! 失敬な!」

「じゃあ、誰なんですか?」

 松吉の問いに、その爺さん、やや胸を張って、

「ワシは見ての通り、一介(いっかい)の坊主じゃ」

と、ドヤ顔をして言う。

「はあ?」

 松吉は、呆気にとられざるを得ない。

「坊主?」

「さよう」

 その自称坊主は、得意げに鼻をこする。

「坊主って、お坊さん?」

「さよう」

 自称坊主が重ねて答える。松吉は依然、警戒を緩めない。

「坊さんが、なんで僕の部屋に勝手に入って来るんですか? ここは、学園の関係者以外は立ち入り禁止のはずですよ。警察呼びますよ」

「待てというに! まあ……驚くのも、無理はないわい。実は、ワシは坊さん(けん)理事長(りじちょう)の、(べん)()(べん)(ねん)じゃ。この学園の理事長じゃよ」

「理事長?」

 松吉が眉をひそめる。「弁田弁念」という名前は、松吉にも覚えがある。学園案内のパンフレットやホームページに、名前とコメントだけは出ていたから。が、顔の写真は出ていなかった。つまり松吉は、理事長の顔を知らないのである。

 松吉は、しばらくその自称坊主兼理事長の顔を見ていたが、やがて一言。

「うっそだー!」

 とてもじゃないが、松吉は信じられなかった。自称坊主兼理事長が、目を剥いて訴える。

「嘘じゃない! 本当にワシは理事長、そして坊さんなんじゃ!」

「さては……坊さんのコスプレした、変質者だな!」

 自称坊主兼理事長が猛反論する。

「違う! 違うんじゃ! 信じてくれ! コスプレじゃないんじゃ! 本当にワシは坊さんなんじゃ!」

「だったら、証拠を見せろよ!」

「わ、分ったわい。い、今、証拠を見せるから、ちょ、ちょっと待っとれ。え、ええと、あ、あれは、どこじゃどこじゃ」

 そう言いながら、その自称坊主兼理事長は、黒衣の(ふところ)(まさぐ)るも、

「あ、しまった。こっち来る時に置いて来ちゃった」

と言って、さらに、

「てへっ」

と、頭を()く始末。

 松吉が突っ込みながら、その禿げ頭を叩いた。

「『てへっ』じゃねえ!」

「な、何をするんじゃ! ワシは理事長だぞ!」

「何が理事長だ! この変質者め!」

 自称坊主兼理事長、遂に切れたのか、駄々っ子のように泣き出す。

「わーん! だから! ワシは坊さんで、理事長なの!」

「うるさい! やっぱりお前は変質者だ!」

「おぬしにだけは言われとうないわ!」

「やかましい! そこになおれ! 成敗してくれる!」

「わーっ! と、年寄りを大事にせんかーっ!」

「コブラツイストだっ!」

「やめてーっ!」

「神妙に、お縄を頂戴しやがれ!」

「わ、分った! もう、退散するわい!」

 自称坊主兼理事長は、黒衣を翻し、ほうほうの体で走り逃げる。

 ドアのところで、その自称坊主兼理事長は振り返った。彼は松吉に対して、こう言い残した。

「おぬし、女難の相が出ておる。気を付けられよ」


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