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第十一章 ボーイ・ミーツ・エール

「何やア! まっつん! 何、しけたツラしとんねん!」

 『うな満』での開店準備中、梅乃が松吉に突っ掛かって来た。

「いや、その」

「聞いたで、まっつん! あんたぁ! なかなかやるやんけぇ! 明後日のコンテストに出るそうやないけぇ! ワテ、応援したるさかいな! 負けたら承知せんどぉ!」

「は、はい……」

 その時、ドスの利いた低音が。火魅子姐さんのご登場である。

「今日も来た来たうなぎ屋のぉ、タレの香りに鼻動きぃ、泣く子も黙るその味はぁ、大人もやっぱり驚きでぇ、驚き桃の木山椒の木ぃ、ゴボウに泥棒バッテン棒ぅ、山椒やっぱり欠かせないぃ、それがうなぎのセオリーさぁ……」

「いつまで言うとんねん! ちょっと火魅(ひみ)やん! あんたぁ! また、ワテのまっつんにチョッカイかけに来たんやなぁ!」

 梅乃の突っ込みを火魅子はやり過ごし、カウンターの席に腰掛けた。

(まつ)。話は聞いたぜ。おめえよお、よくあんなチャラけたもんに出ようって思ったもんだなぁ。まあ、せいぜい頑張るこったぁ」

「ちょっとあんたぁ! 何、ワテのこと無視してるんや!」

 そして今度は子供の声が。まりんちゃんのご登場。

「わぁーい、お兄ちゃーん」

「まりやん! また来よったな! 懲りへん幼女やでぇ、ほんまぁ」

「まりん、幼女じゃないモン。十八歳だモン!」

「八歳の間違いやろ」

「お兄ちゃん! 頑張ってね! まりん、応援するよー! ぜーったい! お兄ちゃんが優勝するよー!」

「それはどうかなぁ」

 梅乃が松吉の頭を叩く。

「アホかぁ! 何を気の弱いことを言うてるんやぁ! かましたらんかいぃ!」

「相変わらず、やかましいお店だこと」

 そこへ、エレガントなお声が。ポニー・テールをはためかせたる茂菜香お嬢様がご登場。彼女、何やら脇にレモン色のリボンが掛かった箱を抱えている。

「モナやんまで! しっかし、あんたらもヒマやなあ。ビビるで、ほんま」

「ヒマはお互い様でしょ」

「ワテは忙しい!」

「はいはい。きゃっ、(まつ)くん。こんにちは。聞きましたわよ! コンテスト、絶対首位をお取り遊ばせ! 十宮なんか、あんなカッコだけの男、恐るるに足らず、ですことよ!」

 茂菜香の激励。しかし、何だか調子の出ない松吉。

「はい……」

「おい、まっつん! お前、さっきから全然気乗りしてへんやないけぇ! しっかりせえや!」

 梅乃に背中を平手で叩かれ、前につんのめる松吉。

「何か不安材料でも、あんのかよ」

 火魅子の問いに、松吉が答える。

「服が……」

「服?」

「服がないんだよ。出場する時の衣装が」

「そんなん、制服でもええやないけ」

「いや、ちょっと待て。確かに制服でもいいが、アタイの見て来た限りじゃ、制服はなかなか、優勝にはつながりにくいんだよなぁ」

 火魅子が、そう言いながらストレート・ロングの頭をかく。

「ほんならどうすんねん? もう明後日やど」

「ふっふっふ……」

 茂菜香が笑う。

「何や? 気色の悪い笑い方してからに。ついにキレたか、モナやん」

「こんなこともあろうかと!」

 茂菜香、脇の箱をカウンターにドーン! と置いた。

「何や、この箱は?」

「松くんのお洋服よ! 緊急オーダーしちゃいましたあー!」

「うわっ! (いと)はんパワー炸裂やなぁ!」

 そのリボンの掛かった箱を見て、松吉は茂菜香に対して問い掛ける。

「俺に?」

「開けてみて!」

 茂菜香にせがまれて、松吉はその箱を開けた。するとそこには……。

 いずれも新品である、ネイビーブルーの色をした、シングルの上下の夏用スーツ、白のカッター・シャツ、ペイルトーンのピンクと白をグラフィック柄にあしらったネクタイ。パープルカラーのベルト。以上が箱の中に、彩り豊かに収まっていた。

「うわー! カッコイイ服ー! お兄ちゃんにピッタリー!」

 まりんが無邪気な声を上げる。

「ふ、ふーん、まあまあやな……」

「まあ、悪くはねえ、ってレベルかな……」

 梅乃と火魅子も、とりあえず貶しはしない。

「ほやけど、何や、モナやん一人に先越されたみたいで、何や、ちょっとけたくそ悪いなぁ! そう思わんけぇ?」

 梅乃の言葉に、火魅子も同意する。

「まったくよぉ、これじゃあよぉ。アタイたちの面目が立たねえよ」

 まりんも、また同じ気持ちらしかった。

「はーい、まりんも、お兄ちゃんの役に立ちたーい」

 茂菜香が、それらの言葉を聞いて、不敵に笑う。

「ふっふっふ……どうせ、そんなことだろうと思ったわ。実はあたしに、ある提案がありまーす!」

 そう言って茂菜香は、

「みんなで出し合うのよ! この衣装代を!」

と、衣装を指して高らかに宣言した。

 一同、一斉に同意する。

「おお、そりゃナイス・アイディアじゃん! おめえ、たまにはいいこと言うじゃんか!」

「よっしゃぁ! 割り勘やな! そらええわ!」

「わーい! まりん、これでお兄ちゃんに、ご恩返しできるー! やったー!」

 火魅子がしかし、ふと声を潜めて言う。

「けどよ……あと一人……」

 梅乃も頷く。

「そうやわ。井戸(いど)やんを除け者にするわけには……いかんわなあ……」

 まりんも同意する。

「みどりちゃんも混ぜてあげようよ! ねっ! モナちゃん!」

 茂菜香が、指を鳴らして言った。

「井戸口さんなら、もう既に交渉済みよ。とりあえずオッケーだそうよ」

 こうして一同、一斉に誓約の証を述べるのであった。

「まぁ、この際しょうがねえ。今回ばかりはアタイたち全員、協力しようじゃん」

「この場はそうでもせんと、収まりがつかんやろしなぁ。一時休戦といくか」

「はーい、まりんも賛成するよー!」

「じゃあ! 決定!」

 茂菜香が大きく手を上げた。その時。

「ちょっと待ってくれよ!」

 松吉が、制止するかの如き言い方をする。

「ありがたいんだけど……」

 松吉は箱の蓋を閉めた。次いで、箱を茂菜香に渡す。

「ごめん……せっかくだけど、返すよ……ホント、ごめん……」

「ええっ! ど、どうして? 松くん、気に入らなかった?」

 茂菜香の顔を松吉は、正視できなかった。

「おい、松。せっかくモナが用意してくれたんだ。もらっとけよ」

 火魅子が松吉の肩をポンと叩く。梅乃も同意する。

「ほんまやぁ、くれるゆうもんは、素直にもろといたらええんや。商いの基本やど」

 まりんも、加勢する。

「まりん、モナちゃんのオーダーした衣装、とーっても、お兄ちゃんにお似合いだと思うけどなー」

 松吉は耐えきれずに、大声を上げた。

「似合わねえよ! そんないい服! 俺なんかにゃ似合わねえ!」

 梅乃が松吉をたしなめた。

「何や! 急にデッカイ声出すなや! ビックリするやないけ!」

 松吉は矢も盾もたまらず、店を飛び出した。

「コラアーっ! 松吉ーっ! 店ほったらかして、どこ行くんやーっ! 戻って来ーい! アホー! ボケー!」

 梅乃の怒鳴る声を背中に受けながら、松吉は走った。

「何やぁ! あのアホンダラァ!」

 梅乃は憤然といった趣で、カウンター席にエプロンを叩き付ける。

「何か、ジレンマにとらわれてる……ってとこだな。あの様子は」

 火魅子が指を組んで、頭の後ろに手を当てながら言う。

「あたし、余計なことしちゃったのかな……」

 茂菜香が箱のリボンを見ながら俯き、力なく言った。

「モナちゃん、それは違うよー。お兄ちゃんは、今、戦ってるんだよー。大丈夫だよー。お兄ちゃんは、絶対その服、着てくれるよー。まりん、そう信じてる!」

 まりんが、茂菜香の肩に手を掛けて言った。


 学外近くの川のほとり。松吉は腰を下ろし、ぼんやりと川のせせらぎを眺めていた。

「何、黄昏(たそがれ)てんの」

 松吉が振り返ると、そこには、腕を組んだみどりの姿が。

「井戸口さん」

 みどりが松吉の横に座る。

「出るんでしょ。明後日のコンテスト」

 みどりが、顔を川の方向に向けながら問う。目を伏せ、うなだれる松吉。

「俺……」

 松吉は、衣装のことを言った。

「俺、衣装が……」

「衣装がどうしたの?」

 みどりが、松吉に不審げに問い掛ける。

「衣装なら、錦小路さんが用意してくれたのがあるでしょ」

 松吉は目を伏せたまま、こう言った。

「ダメだよ。俺、あんな洒落た服……似合わねえよ……」

「似合うと思えば、なんだって似合うもの。そういうもんよ」

「それに……」

 松吉が、声を落とす。みどりが問う。

「それに?」

 松吉が、さらに続けた。

「俺、何かみんなに施しを受けてるみたいで、恥ずかしい……」

「それで?」

「俺、やっぱり辞退するよ」

 松吉がその言葉を言った後、みどりはしばらく黙っていたが、やがて傍の小石を一つ、川へと投げた。

 水面にさざ波が弧を描く。松吉がそれに見惚れていると、

「嘘ね」

と、みどりが言う。確信に満ちた声。

「そんなの嘘。大嘘。あなた、嘘吐いてる」

 みどりの指摘に、松吉は彼女の顔を見ることができない。

「あなたは怖いのよ。十宮さんに会って、怖気づいたのよ」

 松吉は、

「どうしてそのことを……」

と問うたが、みどりはそれには答えずに続ける。

「十宮さんに会って、思ったんでしょう? 最初こそムキになって、衝動的にエントリー出したけど、やっぱり俺には無理なんだって。俺、どうせ優勝なんかできっこない。俺みたいな、バカな田舎者にはって。出るだけ無駄だ、恥をさらすだけだって、そう思ったんでしょう?」

 みどりの尋問は静かな調子ではあるが、何やら有無を言わせないものを感じさせ、松吉をたじろがせる。

「バッカみたい」

 みどりが言い放ち、立ち上がった。

「衣装のことなんて、単なる口実よ。わたしの目は誤魔化せないわよ」

 みどりは続けて、別人のような声で迫った。

「顔を上げなさいよ」

 松吉がゆるゆると顔を上げると、そこにみどりの顔があった。みどりは腕を組み、松吉を睨むかの如き表情で見下ろす。松吉が目を逸らすことを許さない。

「わたしの目を見て」

 松吉は目をショボショボさせながら、みどりの目を見ようとした。みどりは、しっかと松吉の目を見据えている。

 みどりは大きく息をすると、耳を疑うような発言をかました。

「あんた、何のためにチンタマ付けてんの?」

 川のさざ波が、サーッと引いてゆくのが分る。

「俺、俺……」

 松吉は何をどう言って良いのか分らない。そんな松吉に対して、みどりが言う。

「そりゃあ、できることなら優勝してほしい。でも、そんなことはどうだっていいの。あなたの晴れ姿が見たいだけ。わたしたちが、お金を出し合った衣装を着た満月くんが見たい。最後まで、舞台を降りない満月くんの姿が見たい。最後まで、話し続ける満月くんの声が聞きたい」

 松吉が黙り込む。みどりが言う。

「聞いてほしい話があるの」

 川の流れる音がチロチロと、そこだけ別世界のような音を立てている。


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