第九章 ボーイ・ミーツ・ボーズAgain
「トホホホホ……」
とりあえず店を飛び出した松吉は、破れた衣服を何とかつなぎ合わせ結び合わせ、それを身にまとった姿で、学園の敷地内にある野外植物園に潜んでいた。
寮の自分の部屋に帰る気になれず、かと言って店に戻る気にもなれず、結局フラフラとさまよううちに、ここに辿り着いたのだった。
しかし、いつまでもこうしているわけにもいかない。
(店に戻るか)
店には、彼女たちはまだ居るだろうか。梅乃は同じ持ち場だからともかく、他の女たちもまだ居るだろうか。
(どうすりゃいいんだ)
タイプの違う美女たちに囲まれ、迫られる。男にとっては夢の桃源郷だ。理想のハーレム状態だ。だけど。
(あんまり嬉しくない……)
服を破かれたことよりも、生まれ立ての姿を見られたことよりも、松吉にとって、もっと気に掛かることが生じていた。
女の子を何人も掛け持ちするなんて、自分にはとてもじゃないができない。
友達としてならともかく、彼女を何人も抱えるなんて。
全員を彼女にするなんて。
松吉は溜息を吐く。
「どうすりゃいいんだ……」
「何をどうするって?」
ふと、オッサンのような声がしたような気がする。幻聴だろうか。
「それは……みんなが好いてくれるのは嬉しいけど……て言うか……ん? ああっ! あ、あんたはああっ!」
松吉は、その声の主を見て、心の底から仰天した。
「あの時の変質者!」
「誰が変質者じゃ! ワシは坊主。そして理事長じゃと、前にも言うたじゃろうが!」
あの時、入学式前日。寮の松吉の部屋に勝手に入って来た自称坊主兼理事長。そいつがうなだれて座っていた松吉を、見下ろして立っている。今日の坊主は、あの時と同じ黒衣姿に、頭には菅傘を被っていた。松吉はぶっきら棒に坊主の言葉を否定する。
「また言ってら。誰が信じるかっての」
「信じようが信じまいが、真実はいつも一つ」
坊主が合掌する。
「南無……」
坊主は松吉の、ボロをまとったかのような姿をジロジロ見て、
「やはりワシは、おぬしにだけは変質者とは言われたくはないのう。それにしても何て格好をしてるんじゃ。そんな格好でウロウロして。それは流行りの格好なのか?」
と、尋ねる。
松吉は俯いて言う。
「あんたに関係ないだろ」
坊主はしばらく松吉の傍でじっとしていた。が、やがて、
「ワシは理事長じゃ。従って、生徒の動向を把握する義務があるんじゃ」
と、落ち着いた声で言った。
松吉は坊主を見上げた。坊主の目が、心なしか優しげに見える。
「安心せい」
坊主が言った。
「何が?」
松吉の問い掛けに、坊主は続けて言う。
「おぬしの顔から、女難の相は消えておる。そのことは、もう心配ないぞえ」
松吉は疑惑をぬぐえない。どう考えても、これからがいよいよ本番だとしか思えなかったから。
「デタラメ言ってんじゃねえよ」
松吉の言葉に、坊主は真剣な顔をして、
「デタラメではない。なれど……」
と言い、さらに一呼吸置いて、
「おぬしに、新たなる厄介な相が見える」
と、勿体を付けて言う。松吉は、
「女の次だからって、まさか、男だってんじゃねえだろうな?」
と、冗談を言って坊主をからかってやった。すると坊主は……。
「さよう」
「へ?」
坊主はゆっくりと言葉を噛みしめるが如く、言葉を発す。
「おぬしに男難の相が現れておる。気を付けられよ」
「そんな相あんのかよ!」
植物園を出て、松吉が坊主に連れ立って歩いていると、坊主が、
「おおそうじゃ。今日は、ワシの身分を明かすもの、ちゃんと持って来たぞ。とりあえずワシが変質者でなく、正真正銘の坊主じゃという証拠をな」
と言いながら、自慢げに懐をポンと叩く。が、松吉は、
「いいよ」
と、坊主に対して言う。
「え?」
坊主が目をキョトンとさせている。松吉は、
「あんたは正真正銘、坊さんってことにしといてやるよ。それでいいんだろ」
と、言った。
「『しといてやる』という言い方が、少々引っ掛かるのじゃが……」
坊主はやや不満げだったが、やがて、
「確かに、見せたところで信じてもらえる保証もまた、なきにしもあらず……」
と、何か意味ありげな言い方。被っている菅笠を外し、それを松吉に渡しながら、こう語り掛ける。
「察するに……」
坊主、間を置いて言葉を続ける。
「おぬしは優しすぎるんじゃろうな。それが難を呼ぶのじゃろうて。なれどおぬしは、呼び込んだ難に対しても、また優しさを示す。おそらく、それがおぬしの業なのじゃろう」
坊主はそう言うと風とともに、いずこへともなく立ち去った。




