第2話「開きっぱなしのトビラ」
コカゲが扉を抜けると、そこには数カ月前に見た懐かしい景色があった。
たくさんの背の高い建物。そして、地面には青々とした木々が立ち並んでいる。
「そう言えば、トビラまた消えちゃったりしませんか?そうだと、コカゲさん人間界に帰れなくなりますよ?」
アオリは隣に立つコカゲにそう疑問を投げかける。
「はは。心配してくれてるの?」
コカゲは口元に笑みを作る。
「ただ、何となく気になっただけです!」
「大丈夫だよ。トビラが神出鬼没なのは人間界だけだから」
「そうなんですか」
そして二人は、木々の立ち並ぶ道を歩きだす。
青色の空には、羽を持った人たちが行きかう姿が見えた。
「で、心の合鍵を作るんだよね。アオリの友だちの・・・・」
「アストです」
「そう、彼の」
「・・・アストに会わなくちゃいけないですから、とりあえず彼の自宅まで行こうと思います」
アオリは真剣味のある表情を浮かべ、そう呟いた。
「・・・うん。そうだね」
アオリはここの世界にきてから、少し表情が引きつっているように見える。
少しの沈黙の後、コカゲは言った。
「どうして心の合鍵を作る必要があるの?・・・まぁ、わたしにとっては、仕事ができるから大歓迎なんだけどね~」
「・・・最近、アストが変なんです」
「変って?」
コカゲは眉を寄せる。
アオリは目を伏せながら、静かに言った。
「いつもと違うというか・・・話しかけてもあまり反応しないし・・・それに、とても鋭い目で僕を見るんです。・・・少し前までは、いつも元気で優しい人だったんですよ」
「・・・」
「だから、アストのホントの心を知りたいんです。そうすれば、もとのアストに戻ってくれるかもしれません」
「・・・そうだね。そのことを彼が望んでるかは分からないけど」
コカゲは微笑みを浮かべる。
「え?何ですか?」
「で、アストくんの家はまだなの?」
「あ、つきましたここです」
アオリは歩みを止める。
コカゲも歩みを止め、そして、思わぬ光景に目を見開いた。
アストの家の玄関は、遥か頭上にある。
「あー・・・どうやって入れと?」
コカゲは引きつった笑みを浮かべ、アオリを見た。
「何言ってるんですか。こうやればいいんです」
アオリがそう言った瞬間、彼の背中から空色の羽が現れた。そして、ふわりと空中に浮き上がる。
「ちょっと失礼します」
アオリはそう言いながら、コカゲの方へ手を伸ばしてくる。そして、そのまま抱きかかえるようにしてコカゲの体を持ち上げた。
「!・・・」
アオリは羽をはばたかせ、より高く浮き上がった。
あっと言う間にさっきまで足をついていた地面は遠ざかる。
「ま・・間違って落とすなんてことしないでね!」
コカゲは突然のことに驚き、思わずそう口走る。
「そんなことしませんってば!」
アオリは溜息混じりにそう言いながら、上へ上へと登って行った。
そして、玄関の前にある狭いスペースに足をつくと、その隣にコカゲを下ろす。
「ありがと」
コカゲは微笑んだ。
「・・・意外にコカゲさんって重いんですね」
「うるさい・・・・で、アストくんはいるの?」
「多分、いるとは思うんですけど・・・」
するとアオリは、トビラの横の呼び鈴をカラカラと鳴らす。
「・・・」
「・・・」
が反応はない。
「ほんとにいるのかな~?」
コカゲが疑いの眼差しで、アオリを見ると彼は焦ったように、
「アスト!僕です!ちょっと用事があるので、開けてくれませんか!?」
開かない扉のドアノブを、しきりに回しながらそう家の中に向かって叫ぶ。
「・・・」
それでも反応は、ない。
「せっかく、コヨミに頼んでまでも異世界にきたのにな~。もしかして無駄足になちゃっうとかそういう展開?」
「・・・困りましたね!で、でもっ、待ってればアストもそのうち帰ってきますよ!」
とその時、
「さっさと帰ってくれ!!」
家の中から、そう怒鳴る声が聞こえてきた。
「なんだ、いたんだ。よかった」
コカゲはクスリと笑う。
一方、アオリは焦った様子で、
「よかったって!全然そんな雰囲気じゃなかったですよ!?」
「わたしは、アイカギ屋の仕事ができるから、よかったって言ったんだよ」
コカゲはボソリとそう呟くと、手の中に鍵を現した。
「!・・それは・・・」
「この家の扉の合鍵」
コカゲは、アオリには目もくれずその鍵を、鍵穴に差し込んだ。
「コカゲさん!?」
そして、扉を開け放つ。
「こんにちは。わたしはアイカギ屋のコカゲ。アオリくんの依頼で、君の心の合鍵、作りに来ました」
コカゲが静かな笑みを浮かべて、そう言いきると、部屋の隅の机に座っているアストがこちらをギロリと睨みつけた。
その瞳はまるで、人でも殺してしまいそうなほど、鋭い。
コカゲはその瞳にも、臆することなくアストに近づく。
「コカゲさん!失礼にもほどがありますよ!?」
とアオリに腕を掴まれた。
コカゲはそれに歩みを止めると、アオリを見る。そして、浅く息を吐いた。
「確かに、他人の家に勝手に上がり込むなんて失礼だよね」
「・・・分かっているなら、なんでやったんですか」
アオリはそう言って、手をコカゲから離す。
「・・・」
「アオリ!!どうしてアイカギ屋なんか連れてきた!?」
「!」
突然、椅子から立ち上がったアストが、こちらに歩みよりアオリの襟首を勢いよく掴む。
アオリはそれに表情を歪ませると、
「アストこそ、どうしちゃったんですか!?少し前までは、こんなことする人じゃなかったのに」
「・・・分かってないな。アオリ。お前は、俺の友だちだろ?それなのに、全然分かってない」
アストは口元を吊り上げそう言うと、アオリの襟首から手を離す。
そして、静かな声と引きつった表情で、言葉を続けた。
「今までの俺は、全部作りもの。これが本当の俺だよ」
「!・・・」
「だから、もう友だちじゃいられない。・・・そうだろ?アオリ」
アストは、引きつっていた表情を無にすると、ぼそりとそう言った。
アオリは、その不安も悲しみも憎しみもない表情に、恐怖を覚えた。
・・・そして、改めて実感した。
この人は、自分の知っているアストじゃない。
その時、正面から一瞬風が吹き抜けた。
アオリは視線をずらすと、そこには・・・
「ははは。心のトビラが開きっぱなしだね」
コカゲは、そう言うとアストの後ろに現れたトビラを見据える。
─・・・しまっているはずのアストの心のトビラは、大きく開いていた。
まるでコカゲを導いているかのように。
「これじゃ、わたしが合鍵作る必要なんてないよね」
コカゲは、溜息をつくと微笑んだ。
(まさか・・・こんな展開になるなんてね)
待ってました、コカゲは心の中でそう呟く。
・・・わたし以外に心の扉を開けるのはあの人だけ。
あの人に会うチャンスに巡り合えたかと思うと、今までになくゾクゾクした。
(今度は絶対に騙されないし、負けない!)
「どうしてトビラがっ・・・!?」
アオリが後ずさりして、コカゲの横に並ぶ。
「わたしの知り合いに先越されたみたいだね」
「!?」
コカゲは掌をトビラに向ける。
その瞬間、心のトビラは幻のように姿を消した。
「どうした?オレの心のトビラを開けるんじゃなかったのか、アイカギ屋」
アストは鋭い表情のまま、こちらにじりじりと歩み寄る。
「・・・・」
コカゲはひとまず、沈黙を守った。
ここで、何を言おうがこの状況を変えることはできない。
「そいつが作る気がないなら・・・これで開けてみろよ」
すると、アストはいつの間にか手に持っていた、鉛色の鍵をアオリの方へ放り投げる。
「?」
アオリはそれ受け取ろうと、手を伸ばした。
「!!」
コカゲはその光景を見てハッとすると、アオリを無理やり押しのけて、そのカギを受け取る。
その衝撃で、アオリは床に尻もちをついた。
「コカゲさん!何するんですか!?」
「受け取っちゃダメ!」
コカゲは鉛色の鍵を握りしめながら、そう強く言った。
「・・・受け取ると、“おかしくなるよ”?アストくんみたいに」
コカゲは静かに微笑んで、手の中のカギに指先で触れた。その瞬間、カギはパラパラと砂のようになって消えてしまう。
「おかしいのはお前らだろ?これが本当のオレなんだよ」
その声に振り返ると、そこには“真っ黒な”羽を広げたアストがいる。
「アスト!その羽色どうしたんですか!?」
アオリは、信じられないような声でそう叫んだ。
「・・・アストくん、あんな羽色してたっけ?」
「してませんよ!アストの羽色は、銀色です!」
「・・・今は、何かいやーな感じの色だけどね」
そうしているうちに、アストは、机の上のペン立てから何かを引き抜くと、
「さっさと出ていけ!!」
そう叫んで、それをこちらに投げつけてきた。
「──!!」
「──っ!」
それ──・・刃をギラつかせたカッターは、コカゲとアオリの間の空間を勢いよくすり抜けると、後ろにあるドアに突き刺さった。
「あっ危ないじゃないですかっっ!!」
アオリは目を白黒させて叫んだ。
「・・・ここはとりあえず、ででった方がいいみたいだね」
コカゲは、ドアを開けるとアオリの腕を引っ張って、外へでる。そして、しっかりと、ドアを閉めた。
一人になったアストの部屋・・・・。
「やっと会えたわ・・・。あたしの可愛い可愛いコカゲ・・・。ねぇ・・・またあたしのこと、大好きだって言って」
その声がどこからともなく聞こえてくる。
アストはそれに、
「・・・セツナさん。そんなことばかり言ってるから、娘に嫌われるんだよ」
そう低い声を返した。
その途端、アオリの心の扉が彼の背後に現れる。・・・そして、その入口が開いたかと思うと、そこには若い女性が一人立っていた。
彼女は、ふわりとアストに近づいた。
「あらっ。そんな口のきき方していいのかしらー?・・・あなたのホントウを取り戻してあげたのは誰だっけ?」
「あなただよ。セツナさん」
セツナはクスリと笑い、アストの頬にそっと掌を触れる。
アストは、彼女のことを見据える。その瞳には、セツナしか映っていない。
「・・・またコカゲをあたしのものにしたいわ。・・・どうやったらいいかしら?」
「・・・アイカギ屋は、アオリに心を許している。・・・アオリを利用することが一番手際がいいと思うけどな」
セツナは掌を離すと、微笑んだ。
「・・・そうね。そうしましょうか」
セツナはそう言うと、アストに背を向ける。そして、その姿を煙のように変化させると、トビラの中に戻って行った。
一人になったアスト。あたりは、何事もなかったかのように静まりかえっている。
その時、アストの瞳から一筋の涙がこぼれた。
・・・アストはその涙を拭うことなく、部屋を後にした。