第1話「異世界へのトビラ」
コカゲは扉を開けた。
扉の向こうに見えるのは、見慣れた景色だった。
木の色をした壁に、背の高い本棚。それに、丸テーブルの上に置かれた飲みかけのミルクティー。
そう、いつも自分が長い時間を過ごす、店の中だった。
「よかったー!戻ってこれた!!」
コカゲは、暗い色をしたフローリングの床に足をつくと、その場にへなへなと座り込む。
一体自分は、今までに何個の鍵で扉をあけてきたのだろう。・・・きっと、両手の指では数えきれないほど、開けてきた。
そう・・・・自分は異世界で、迷子になっていた。いや・・・正確に言えば、現代に繋がる扉を見失ってしまった。
その原因はいやというほど身にしみて、分かっている。それは、トビラを見つけるたびに「どんな世界に繋がっているのだろう」と気になってしまい、次々と扉を開け入ってしまうこと、だ。
異世界にある扉が、また別の異世界に繋がっていて、その異世界に現れた扉がまた、別の異世界に繋がっている・・・・。それを繰り返すうち、現代に繋がる扉がどこの世界のどこの場所にあるのか、すっかり忘れてしまったのだ。
コカゲの趣味は、異世界を渡り歩くこと。異世界はこの世にたくさんあり、それはみんな扉によって繋がっている。そして、コカゲの能力があれば、扉を開くことができどんな世界へでも行けてしまうのだ。
「次からは気をつけよう・・・」
コカゲはそう、心に誓った。・・・というのも、これで何回目か忘れた。
いつも、気をつけよう、気をつけようと思っていても、異世界に足がついた瞬間、すべて忘れしまう。
・・・だって、異世界はとても素晴らしい場所だから。このことだけで、心が弾み、全ての気持ちを異世界に奪われてしまうから。
とその時、店の出入り口の扉にぶら下がっているベルが、カランコロンと音をたてた。
「あのー・・・」
カウンター越しに立っているのは、白髪の優しそうなおばあさん。
彼女は、コカゲが床に座りこんでいることに、驚いているのか、こちらを見て小さな目を見開いている。
コカゲは平常心を装って素早く立ちあがると、スカートについた汚れを払い落しながら「いらっしゃいませー」と微笑んで言ってみせた。
「家の合鍵をなくしちゃってね・・・作ってくれるかい?」
あばあさんはそう言って、シンプルな銀色の鍵をカウンターの上に置く。
「はい。すぐにお作りしますので、少しお待ちくださいね」
コカゲはカウンターに歩みよると、その鍵を手に持ち、くるりとおばあさんに背を向けた。
そして、何も持っていない方の掌を、その鍵の上にそっと被せる。・・・そこから、淡い光が発せられたかと思うと、掌を離したときには、一つ鍵が増えていた。
「お待たせしましたー。お代は○○円になります」
コカゲはそう言って、おばあさんの方へ向き直り、カウンターの上に先ほどの鍵を二つ並べておいた。
おばあさんは「あら。もうできたのかい」と呟くと、財布を取り出し、その中からお代の小銭をコカゲに手渡した。そして、カウンターの上の鍵を手に握り、彼女はコカゲに背を向ける。
コカゲが「ありがとうございました」と言ったのとほぼ同時に、おばあさんは店から出て行った。
(久々のお客さん・・・嬉しいな)
コカゲは預かった小銭を、いつもそうしているように木箱に入れておく。
そして、店の奥にある椅子に腰かけ、テーブルの上に置きっぱなしになっているミルクティーのマグカップに手をのばした。
(あーさめちゃった)
・・・自分は、この能力を活かして合鍵屋を営んでいる。まぁーこの通り、売上はよくない。一日に一人、お客さんがくるかどうか。
(こんなんじゃ、いつまでたっても目標達成できないよね)
とその時、またカランコロンと呼び鈴がなる。
コカゲは、反射的に立ち上がった。
「あっ・・・いらっしゃいませ・・」
「コカゲさんですよね!?」
「?」
コカゲは、カウンターの前に立つ少年を見て眉をひそめた。
(だれだっけ?)
少年は、カウンターを越えてこちらまで早足でやってきた。
「探しましたよ!ここの町、入り組んでいて、こんな地図じゃ全然分らなかったです」
少年はズボンのポケットから、紙をとりだしてそれを広げ、ミルクティーの乗っているテーブルに広げる。
「あっ・・・これって・・・」
このチラシは、異世界で自分が配ったものだ。異世界でも、合鍵屋の仕事ができると思い、通りすがりの人に配ったのがこのチラシだ。そのチラシの隅っこには、本社?の所在地を簡単に記しておいた。
「もしかして君、異世界の人?」
「もちろんです!というか、一応、コカゲさんに合鍵を作ってもらった者なんですが」
「ごめん。思い出せない・・・」
何しろコカゲは、たくさんの異世界を渡りあるいている。そのうえ店の宣伝もついでにおこない、異世界で合鍵屋の仕事をすることも少なくないのだ。
すこしの沈黙。
少年は呆れたように、軽く息を吐いた・・・その時、少年の背中から空色の羽が現れた。
「!─・・・」
少年は、羽をふわりと広げる。
その時に生み出されたわずかな風が、コカゲの前髪を揺らした。
「これで思いだしてくれました?」
コカゲはその綺麗な色の羽に見覚えがあった。
たしか、数カ月前に行った異世界の住民に、そんな羽がはえてたっけ。
「・・・もしかして、君、ツバメの民の・・・・えーっと・・・誰だっけ?」
「アオリです!」
「あーそうそう。そんな名前だったよね」
「・・・」
コカゲは椅子に座り直し、飲みかけのミルクティーに手を伸ばす。
「それで、アオリ。わたしに何の用?」
「・・・また、合鍵をつくってもらいたいんです」
「え?また好きな人でもできたの?この前は、たしかピンクの羽のあの子に告白する勇気がなくて、わたしが心の扉の合鍵を作ったんだよね。・・・えーっと・・・結果は見事にふられたんだっけ?」
「・・・余計なことは覚えてるんですね・・・」
コカゲはくすりと笑い、ミルクティーを飲みほした。そして、そのカップをテーブルの上に置くと口を開く。
「合鍵が必要なら、喜んで作らせてもらうよ。・・・もちろん、お代はちゃんと貰うけど」
アオリはコカゲの言葉に、不満そうに表情を歪めた。
「えぇ・・・?お金、とるんですか?この前は、何もとらなかったのに」
「この前は、初めてのご利用だったからサービスしたんだよ」
コカゲはアオリの表情を見ても、関係なしそう言いきる。
「・・・分かりました。お金はちゃんと払いますから。・・・どうしても開きたい扉があるんです。・・・僕と一緒に来てくれませんか?」
アオリは、せかすように、コカゲの手首をとり、椅子から立ち上がらせようとする。
「わかったから。引っ張んなくてもちゃんと行くからっ」
アオリはコカゲの言葉を聞くと、あっけなく手を離した。
「それじゃ、速く行きましょう!」
アオリは背中にはえた空色の羽とともに踵を返す。
コカゲもそれに続いた。
アオリは店の前の通りをしばらく歩き、裏道に入って少し行ったところで歩みをとめた。「で・・・ここに何があるの?」
コカゲはアオリの背中を見ながらそう問いかけた(店をでたときから、羽はしまったようだ)。
「トビラが・・・ありません!!」
「は?」
アオリはこちらに振り返り、必死な様子で言葉を続ける。
「僕は、ここにあるトビラから人間界にきたんです!」
「でも、ないよね」
「たしかにこの場所だったんです!」
「まぁ、異世界へ続くトビラは神出鬼没だしね。ずっと同じ場所にあるわけないよ」
コカゲは小さく息をはく。
「えぇ!そうなんですかっ?・・・コカゲさんが、僕の住む世界に来てくれないと意味がないのに・・・」
アオリは困ったように眉を寄せた。
「・・・心の合鍵は、わたしの知り合いとか本人の写真があれば作れるけど」
「顔が分かれば作れるってことですか?」
「そうだよ」
「そそれじゃ!僕の友だちのアストの合鍵を作ってください!前、コカゲさんに会ったとき僕と一緒にいた人です」
「・・・」
「・・・」
「・・・どんな人か忘れちゃった。はは」
コカゲは可愛らしく笑ってみせる。
「・・・・はぁ・・・やっぱりそうですよね」
アオリは大袈裟な溜息をつく。
「わたしだって、覚えてるときは覚えてるんだけどなー」
「覚えてるのは、どうでもいいことだけですけど」
「え?何?」
「何でもありません」
「・・・で、どうする?」
コカゲは腕を組み、アオリを見た。
アオリも口元に手をあて、考える。
「・・・・・どうしましょう・・・」
「・・・」
(・・・せっかく、久々のアイカギ屋の仕事ができると思ったのに)
異世界へのトビラ・・・しかも、アオリの世界に繋がるトビラなんて見つけることは、宝くじで一等をあてるより難しいと思う。
「あっ・・・」
「何かひらめいたんですか?」
アオリが期待の眼差しで、コカゲを見る。
「今思ったんだけど・・・アオリ、トビラが見つからないと、もとの世界に帰れないよね?」
「あーーーーっ!!・・・・」
アオリはそう叫んで少しの間、固まる。そして、コカゲの手を取りそれを力強く握って、絶望したような表情でコカゲを見た。
「お願いです。コカゲさんっ・・・どうにかしてください」
「わたしも、どうにかしてあげたいのは山々なんだけど・・・」
トビラを開けることはできても、こればかりはどうにもできない。
でも、このままアオリがもとの世界に帰れないっていうのも気の毒すぎる。
「あっ」
「!何ですか?」
アオリは手をぱっと離すと、潤んだ瞳でコカゲを見た。
「時間を巻き戻せばいいんだよ」
アオリはコカゲの発言に、眉を寄せる。
「そんなこと、できるはずないですよ」
「・・・それが、できるんだよね」
コカゲはクスリと笑うと、ポケットからケータイを取り出す。
・・・その能力、が双子の妹のコヨミにはあるのだ。
コカゲは電話帳から、コヨミのケータイ番号を選んだ。
「ほんとですかっ?」
アオリはコカゲに詰め寄る。
「うん。ちょっと待ってね」
コカゲはアオリに、くるりと背を向けると、発信ボタンを押す。
「・・・」
呼び出し音が数回なると、久しぶりにきく双子の妹の声が聞こえてきた。
『コカゲちゃんだ~おはよー・・・』
「コヨミ。また寝てたの?電話かけるたび、いつも寝てるよね」
『だって、気持ちいいんだよ。コカゲちゃんはお昼寝のよさを知らないんだよー』
「それで、頼みたいことがあるんだけどいい?」
『うん。コカゲちゃんの頼みなら、何でもきいちゃうよ』
「今すぐ、ケヤキ通りのコンビニにこれる?」
『分かった。今すぐ行くねー』
そして、コカゲは通話を切った。
「誰と話してたんですか?」
アオリが不思議そうに訊いてきた。
「双子の片割れ」
「え!コカゲさんって双子だったんですか」
「今からコヨミのこと連れてくるから、ちょっとここで待ってて!」
コカゲはアオリにそう言い残すと、小走りで待ち合わせのコンビニに向かった。
コカゲがコンビニの前で待っていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「コカゲちゃん。久しぶりだー」
声の方を見ると、コヨミが手を振りながらこちらに歩いてくるのが分かる。
「コヨミ。ひさしぶり」
コカゲは微笑んだ。
すると、コヨミは傍にくるなり、コカゲに抱きついてくる。
それと同時にコヨミのフワフワとした髪がコカゲの頬をくすぐった。
「ねっコカゲちゃん。折角会えたんだし、一緒にお茶しよ?」
コカゲはコヨミを丁寧に引き離すと、やわらかな声でそれに応える。
「お茶はまた今度ね。それで、時計屋さんのコヨミに頼みたいことがあるんだけど」
「うん。なになにー?」
コヨミはニコニコしながらコカゲを見た。
コカゲはそれに微笑みを返すと、
「とりあえず、わたしと一緒にきてくれる?」
「彼女が、双子の片割れのコヨミさんですか」
元の場所に戻ると、その場で待っていたアオリが興味ありげな表情でコヨミを見てそう言った。
「そうだよ。コヨミ、彼はアオリって名前。さっき知りあった人」
コカゲがそっけなく言うと、コヨミはにこっと笑った。
アオリもそれに頬を赤らめながら、会釈を返す。
すると、アオリがこちらに振り向き、小声で言った。
「全然コカゲさんと似てないじゃないですか。本当に双子なんですか?」
「双子だからって、全てが似てるわけじゃないの!」
コカゲはアオリにすぐにそう返す。
・・・そのことは、自分自身も思うことだった。コカゲとコヨミは、れっきとした双子だが、容姿と性格はあまり似ていない。
幼いときはよく「そっくりだね」とは言われたんだけど。
「コカゲちゃん。頼みたいことって?」
コヨミが首をかしげる。
「・・・えーっと・・・1時間ぐらい前だっけ?トビラがでてたのって」
「それぐらいだったと思います」
コカゲはアオリから視線を外すと、コヨミを見た。
「コヨミ。この場所に1時間ぐらい前に異世界への扉がでてたの。その扉をもう一度使いたんだけど・・・」
「え!コカゲちゃん。また異世界旅行してたの??」
「・・・今回は違うの。アオリがもとの世界に帰れなくなっちゃったから、その扉もう一度だすことってできる?」
コヨミは時間を操る能力を持っている。・・・きっとその力を使えば、そのことだって可能のはずだ。
「うん!できるよ~。ねっコカゲちゃん。今度、異世界旅行に行くときは、わたしも連れっててね。約束だよっ」
「うん。わかったわかった。で・・・さっそくだけど、やってもらっていい?」
コカゲの言葉に、コヨミは首にかけてある琥珀色の懐中時計を手に取った。
「うん!あ・・・扉ってどこら辺にあったのかな?」
コヨミはこちらを見て、首をかしげる。
「扉はここにありました!」
コカゲの代わりにアオリがそう応えると、彼はコカゲの前の空間辺りを指さす。
「うん。分かったよ。そこの空間の時間だけを、巻き戻してみるね」
コヨミは懐中時計の蓋を開けると、その下にある時計の針に指をかけた。そして、彼女は軽く目を伏せる。
─・・・空気の揺れを感じた。
「!-・・・」
その瞬間、コカゲの目の前にトビラが姿を現した。
「あっこのトビラだね」
コヨミはそう呟くと、指先を時計から離す。
「すごいです!コヨミさん!このトビラに間違いないです!」
アオリが興奮気味にそういうと、コヨミは恥ずかしそうに微笑んだ。
「コヨミ。ありがとう。すごく助かった」
「嬉しいな~。コカゲちゃんの役にたっちゃった」
コヨミは懐中時計のふたを静かにとじ、コカゲに笑いかける。
「それじゃ、アオリがわたしに用があるらしいから、行ってくるね」
コカゲは扉の前に立ってこちらを気にしているアオリを横目にして、そう微笑みなが言った。
「うん。いってらっしゃい。気をつけてね」
コヨミはいつものように、笑顔でそう返した。
・・・その笑顔はどこか哀しげに見えた。
コカゲは、コヨミに背を向ける。そして、アオリとともに異世界への扉に足を踏み入れた。
(コカゲちゃん・・・ちゃんと帰ってきてね)
コヨミは扉の中に姿を消したコカゲを見ながら、心のなかでそう願う。
コヨミは怖かった。
─・・・コカゲが異世界に行ったまま、帰ってこないことがあるかもしれないと。
コカゲは異世界に行ってきたことを、会うたびに楽しそうに話してくれる。
コヨミもそれをきいているのが楽しかった。
けれど、不安で仕方なかった。
─・・・コカゲがいつか、すべての心を異世界に奪われて、ここの場所に帰ってこない日がくるかもしれない、そう思うからだ。