表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私は、ライラックが咲いていても、その花の名前をライラックだと知らずに、ただ「美しい」と見つめるのだろう

作者: aina
掲載日:2026/04/07

 仕事の帰り、電車の中からライトアップされている桜が見えた。川沿いに並ぶ桜は、ビルやマンションに隠れながら、しばらく続いている。ここはきれいなので、桜の時期は見逃さないように窓外に目をやっていた。

 ライトアップが見えなくなったので、スマートフォンを取り出す。SNSのタイムラインの一番上に、ライラックの写真があった。紫色の細かい花々が、いくつもいくつも集まっている。大好きな花店の投稿だった。どれくらいの大きさなのだろう。私は写真でしかライラックを見たことが無い。もし本物のライラックが咲いていても、それがライラックだと同定できないと思う。


 電車に三十分ほど揺られ、最寄りの駅に降り立つ。駅から家までは徒歩五分だ。マンションの三階の部屋に着く。

〈ライラックってどんな花か知ってる?〉

《何それ、ブランキーの歌詞?》

 すぐに彼から返信があった。

〈聞いてみたかっただけ〉

 私の口角が自然と上がる。

《わからないよ》

 ミセスの曲? と言わないところが好きだ。メッセージの相手は彼は同僚の大海(おおみ)くん。今は家にいるのだろうか。

 ブランキー・ジェット・シティーのベンジーは、ライラックのことを「たぶん赤くて五センチくらい」と歌っている。大海くんがライラックを知らなかったことも、ベンジーみたいで好きだと思った。もし、彼が花に詳しくても大好きだと思うけれど。

〈今度の土日、どっちか空いてる?〉

 駅前のコンビニで買ってきた、いちごサンドとヨーグルトと野菜ジュースをテーブルに並べる。スマートフォンで『ライラック』を流した。

《どっちも空いてるよー》

〈じゃあ土曜日、桜を見に行かない?〉

《OK。どこで見るの?》

〈港でランチして桜並木が見たいな〉

《わかったよ》

 いちごの甘酸っぱい香りがする。ブランキーの『ライラック』は冬の歌だ。「その友だちは、きれいな心を持ってる」という歌詞が響く。きれいな心とはどんな心だろうか。大海くんはきっと持っている。私にもあるだろうか。人は人の、きれいな心に惹かれる気がする。

 電車の中から桜を見るたびに、ここに大海くんが居たら、と思っていた。土曜日の桜は、満開を過ぎているだろう。まだたくさん咲いているといいなと思いながら眠りについた。


 待ち合わせの港の駅で降りると、すでに大海くんが改札の外で待っている。こちらに手を振っていた。

「お待たせ」

「さっき着いたところだよ」

 もうすぐ正午だ。予定していたカフェの、二人がけの席に案内される。前に来たときと違い、春のメニューになっていた。

「満開だね」

 笑顔の大海くんが窓から視線を私に向ける。カフェの大きな窓から、桜並木が見えていた。

「うん、雨で散らなくてよかった」

 私も笑顔で言った。

 大海くんのアイスアメリカーノと、私のアイスカフェラテが届く。

「今日は何か買うの?」

「ううん」

「スニーカーが欲しいから、あとで付きあってよ」

「いいよ」

 大海くんは和牛のビーフシチュー、私はモッツァレラとトマトのポモドーロを食べ終わり、カフェと同じファッションビルに入っている靴屋に行った。ネイビーのスケートハイを試しに履いている大海くんは、「俺はヴァンズとマーチンしか履かない」と言っている。私もヴァンズの黒いオールドスクールを持っていた。今日はマーチンのチェリーの3ホールを履いている。黒の8ホールを履いていた大海くんと、お揃いのようで嬉しい。


 大海くんがネイビーのスケートハイを選び、ファッショビルを出ると目の前に桜並木が続いていた。潮風が吹くたびに花びらがアスファルトに舞い落ちる。雪が振っているようだった。胸がぎゅっとなる。大量の桜の木から次々に花びらが零れていた。

「すごいな」

 大海くんも舞い散る桜を見ている。駅まで二人で並んで歩いた。桜の中の大海くんを感じる。冬に彼女に振られたばかりの大海くんと出かけるのは、今日がはじめてだった。今でも大海くんの心の中には、前の彼女がいるのだと思う。私は何も言えない。この時間を壊してしまうことはできない。大海くんと桜の中にいる、この時間が永遠でありますようにと、祈ることしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ